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「ハニートラップ」なんてことで、そのような歴史の話を解釈するのはよろしくない(半藤一利氏って、こんなトンデモだったのという気がする)(下)

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先日書いた記事

「ハニートラップ」なんてことで、そのような歴史の話を解釈するのはよろしくない(半藤一利氏って、こんなトンデモだったのという気がする)(上)

のつづきです。

前の記事執筆時点では未入手だった「昭和史の論点 (文春新書) 」が手に入ったので(新書本ですので買えばいいのですが、その気になりませんでした)、さっそく該当部分を参照しました。坂本多加雄秦郁彦半藤一利保阪正康の4名による座談形式の本です。(p.126~p.127)

>半藤 (前略)陸軍は明治以来、ドイツ陸軍に学んできましたから、親近感を持つのもわかるんですが、イギリスに学んだ海軍が、なぜドイツに傾斜したのか。そのことが疑問で、旧海軍軍人に会うたびに訊いたんですが、みんな口を濁して答えないんです。 

ところがあるとき、海軍中佐だった千早正隆氏があっさり真相を語ってくれたんですね。つまり、ドイツに行った海軍士官はみんな女をあてがわれて、それで骨抜きにされたんですよ。

保阪 ドイツではメイドの名目で若い女性を日本の武官と一緒に住まわせたといいます。これが実質的な現地妻だった。

半藤 アメリカへ行った武官は、そんなことはまるでなかったのに、ドイツへ行った武官はみんなすごくいい思いをして帰ってきた。それで、ドイツはいい国だと。実に下世話な話で、まことにつまらない話ですが、真相はそのあたりにあるようです。

いや、どうしてそんな程度の話で

>真相はそのあたりにあるようです。

なんて話になっちゃうんですかね(苦笑)。だいたい

>ドイツに行った海軍士官はみんな女をあてがわれて、それで骨抜きにされたんですよ。

>アメリカへ行った武官は、そんなことはまるでなかった

なんて、もしそんなに効果があるのなら、米国だろうが英国だろうが当然徹底利用したろうし、日本側だってそれはそれなりに警戒もするし、そもそも

>ドイツへ行った武官はみんなすごくいい思いをして帰ってきた。それで、ドイツはいい国だと。

ということと、軍事的にドイツと同盟関係を結ぶ大きなポイントになったなんてこととは、話の次元が違うでしょう(笑)。

ていうか、素人さんの放言じゃあるまいし、この本の著者である坂本多加雄(故人)とか秦郁彦あたりはずばり大学教授だし、保阪正康、半藤といった人たちは、学者ではなくても近現代史に造詣の深い人たちです。失礼ですが、この人たちこんな愚劣なことをほざいていて、恥ずかしくないんですかね(笑)。

常識的に考えて、日本のドイツ駐在海軍武官がみなドイツ側のハニートラップにやられたなんてことはないでしょうに。前記事でも書きましたように、女遊び大っ嫌いという人もいるでしょうし、嫌いじゃないがメイドとはNGという武官もいたでしょう。あるいは遊びはしたが、完全に割り切っていた人もいたはず。当時の海軍武官がみな

>骨抜きにされた

なんてことがあるわけがない。たとえば横井忠雄はどうか。

>横井はドイツ駐在経験がある親独派として知られ、軍令部甲部員在職中は日独伊三国軍事同盟賛成の急先鋒であった。しかし2度目の在勤では反ナチスとなり、その意識を隠そうともしなかったため、やがてドイツ側から好ましからぬ人物(ペルソナ・ノン・グラータ)としてドイツ外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップから大島 浩日本大使を通じ、暗に横井の交代を求めるメッセージが届けられ、横井は駐在武官を交代させられ伊号第八潜水艦に便乗して帰国した。

つまり横井は、少なくとも2度目の在勤時には、ハニートラップはきかなかったわけです。半藤氏はこれをどう解釈するのか。そのときは、軍事同盟が成立していたから関係ないとでもいうのか。また小島秀雄は、

>晩年には日独協会の副会長職を務め、同会会長だった三井高陽とともに、日独友好に尽力した。その功績を評価した西ドイツ政府から功一級連邦功労大十字章を授与されており、また1979年(昭和54年)に行われた海上自衛隊のヨーロッパ遠洋航海に際しては、ドイツ政府からドイツへの招待を受けた。

とのことで、言っちゃ悪いですが、ハニートラップにやられてのドイツびいきなんて軽いものではないでしょう。なぜ、当時の日本海軍の認識として、ドイツと緊密な関係を結ぶということが日本の国益につながると海軍軍人の主流は考えていたという常識的な解釈ができないのか。変な話です。

それではドイツ大使だった大島浩の晩年の発言をご紹介。まさか彼は、陸軍出身でドイツびいきだから関係ないなんてことは言わないでしょうね。

国をミスリードした男 A級戦犯・大島浩の告白

>大島浩 元駐ドイツ大使
“あれは私が言い出したんですからね、三国同盟。おそらく日本政府は(同盟を)やるということには応じるだろうから、至急松岡洋右外相に会ってくれと、おれが電話するからと。”

(中略)

“いちばん初めにスターマー(特使)が訪ねてきたのは、私の家なんです。成案を持ってきたわけではないんです。そのときに(松岡外相が)私に一案書いてくれって言いましたよ、骨子をね。参考に骨子をひとつ書いてくれって、それで出しました。”

ナチスドイツに傾倒した末に…

当時、三国同盟に対しては大国アメリカを敵に回すことになるとして、海軍を中心に国内に反対意見もありました。しかし、強力に同盟締結を進めた大島。証言からはナチスドイツの力を過信していたこともうかがえます。

大島浩 元駐ドイツ大使
“私は2回、ドイツ軍を視察しているんですよ。実に立派な航空隊を作ったものだと、爆撃の装置もよし、射撃の装置もよし。これはもう(日本)軍のパートナーとして不足はないと。”

さらに、ヒトラーに心酔していたことも打ち明けていました。

大島浩 元駐ドイツ大使
“ヒトラーの頭がいいこと、天才であることは疑いのないことでしょうからね。私が酒好きだって知ってるもんですから、私にだけキルシュといういちばん強い酒を出すんですよ。私だけ特別だって。”

昭和史研究の第一人者で、作家の保阪正康さんです。国を左右するほどの重要な政策を1人の男が動かしていた、その実態を物語る貴重な証言だといいます。


ノンフィクション作家 保阪正康さん
「当時はドイツとつながるのが国策だから、(大島は)特別な存在だったんだなという感じがする。大島さんはちょっとドイツびいきが過きたなと。50:50があまりないんですね。大島さんは100%ほれてしまったんです。」

大島が尽力した三国同盟をきっかけに、日本は無謀な戦争へと突き進んでいきました。

大島の言葉が投げかける現代への教訓

東京裁判で終身刑の判決を受けたあと、1955年に釈放された大島。その後、ほとんど公の場に姿を現すことなく、晩年を過ごしたといいます。大島は自らの過ちを率直に認める言葉も口にしていました。


大島浩 元駐ドイツ大使
“私はもちろん自分の責任を痛感する、非常にそういうことを感じますね。いま考えるとドイツが勝つだろうという前提に立ってやったわけなんですよ。私が陸軍武官のときは、軍が強いか弱いかを見てればいいんだけど、大使になれば総力ですね、経済力とか産業とか、そういうことに関する判断もしないとならん。経済力・生産力なんて判断はまったくやってないんですよ、私はね。軍力だけでこれは勝つだろうと。”

保阪さんは、大島だけでなく当時多くの指導者が不都合な事実から目を背け、十分に議論を重ねようとしなかったことを忘れてはならないと指摘します。


ノンフィクション作家 保阪正康さん
「やっぱり状況は動くわけですから、国家ビジョンを持って見る目をもたないと、国の進む方向なんて危なくて為政者に任せられない。その責めを大島さんだけに負わせるのはかわいそうですね。しかし大島さんを見ることによって、そういう問題点が浮き彫りになってくるということは知らないといけないと思います。」

実は三国同盟は、ドイツの特使が来日してから調印されるまで、わずか20日間で結ばれたものでした。大島が語った交渉の舞台裏は、国の命運を左右する重大な決定を少数の指導者が、長期的な視野を持たず、勢いに任せて行うことを可能にした、戦前の日本の意思決定機構の欠陥を浮き彫りにしています。


当時は、政治指導者だけでなく、世論も三国同盟を歓迎していました。ドイツの快進撃を見て、世論は「バスに乗り遅れるな」とドイツとの提携を熱狂的に後押ししていたのです。同盟に反対する声は、大島のような推進派の運動と世論によって、かき消されてしまいました。現代でも、このようなことが起きないとは言い切れません。大勢に流されず、冷静に物事を判断する眼を持つことの大切さを感じました。

保阪さーん、あんた前半藤さんの珍論に付き合っていたじゃないですか。そのあたりの整合性はどうなんだよという気はします。ではもうひとつ。朝日新聞の記事より。

(133)駐独大使・大島浩、晩年の言葉

>(前略)

興味深いのは独ソ戦だ。39年に不可侵条約を結びながら、41年にドイツはソ連に攻め込んだ。

 「ヒトラーはソ連の軍事力を低く見ていた。39年にフィンランドに攻め込んだソ連軍がさんざんな目に遭ったのを見て、その戦力はたいしたもんじゃないと見くびった」

 「開戦から間もなく前線を視察した。捕獲したソ連の大砲を試すと、命中精度が高い。兵もよく訓練されていた。私もソ連軍は弱いと考えていたから驚いた」

 独ソ戦を「ドイツが必ず負ける戦争だったのか」と振り返っている。純軍事的に戦力を集中しモスクワを攻めれば結果は違っていただろうとの見方だ。そうしなかったのはヒトラーの判断で、コーカサスの石油を手に入れる政治的思惑があったからと説明している。

 なぜソ連を攻めたのか。「ドイツの宿敵はロシア。ヒトラーは一貫していた。しかしドイツを強くするにはベルサイユ条約を壊すことが必要で、それでまず英国が敵になった」

 大島の父はドイツ陸軍の制度を日本に導入したことで知られ、陸軍大臣までつとめた。その父のもと、大島は小さい時からドイツ語を学んだ。録音にはしばしばドイツ語が登場する。34年に駐在武官としてベルリンに赴任し、38年に大使に昇進。39年に辞任するが40年に三国同盟が誕生すると再び大使に任命され、45年までその職にあった。

 「ユダヤ人虐殺は知っていたか」と尋ねられると、「うわさはあった。あんな大規模とは知らなかった。ヒトラーは何しろ性格が変わっていた。俗人では分からない」。ヒトラーへの言及は多く、「勘がいい。本を読む。人の意見を聞きたがる。研究心が盛んだった」などと述べている。

 大使としての仕事も述懐している。日本軍がソ連軍と戦った39年のノモンハン事件では、東京から「ドイツに仲介を依頼しろ」との指令を受けた。「日本が勝っているという話ばかり聞いていたので、仲介なんておかしいじゃないと思ったが、独外相に頼んだ。それをソ連のスターリンに伝えると、〈勝っているのはこっちだ。こちらから戦争はやめない〉と言われ、恥をかいたと独外相にこぼされた」と述べている。

 40年に日独伊三国同盟ができると、41年に外相の松岡洋右が欧州を訪問し、日ソ中立条約を結ぶ。ドイツはソ連攻撃の準備を進めていた。「ドイツに不利になるので、ソ連との条約を結ぶな」と大島も独外相も説得したが、松岡は聞かなかった。「松岡は独ソ開戦の機運を信じていなかった」と大島は振り返っている。

     *

 「自分の責任は痛感するが」としたうえで、大島は37年の盧溝橋事件を「最大の失策」と指摘している。「中国との戦争を始めた。どうしてあんなことをやったのか。ヒトラーは何かをする公算が大きかった。日本にとって最も大切なのは事を構えないことだった。日本は眼光が欧州に届いていなかった」と振り返る。日中戦争がなければ、独ソ戦が始まった時に異なる選択肢があったとの思いをにじませている。中国への敬意を失ったことが戦争の原因だったとも述べている。

 録音されたのはベトナム戦争の時期。「米国は大国で鎧袖一触(がいしゅういっしょく)だと思った。ベトナムを簡単に倒せると思った。日本と同じことをした」とも語っている。

 (後略)

これは大島だけの話ではもちろんなく、つまりは日本全体がドイツの力を過信していたということです。それは海軍の関係者もかわらないでしょう。うんなもん、ドイツは女を世話してくれた、だからドイツびいきになるとか、そんな低次元、はっきり言ってゲスな話ではない。でですよ、半藤さんは、仮にあなたがそのときドイツでの海軍駐在武官であったとしたら、ドイツ側から女を世話してもらったら、国益よりもドイツに対する恩を優先させるの、ってきいたら激怒するんじゃないんですかね。でも彼に、そういわれて激怒する資格ががあるのかあと思いますね。ないでしょ、そんなもの。こんな当てにならんデマほざいていてはどうしようもないでしょうに。

さて前の記事でも指摘しましたが、上で半藤氏がいう

>あるとき、海軍中佐だった千早正隆氏があっさり真相を語ってくれた

というのは、半藤氏の書いているところから推測すると、たぶん1970年代半ばくらいなのでしょうか。千早正隆氏は2005年まで生きたということで(94歳で死去)、文春新書が出たときはまだご存命だったのですが、ある程度「時効」みたいなところもあったんですかね、実名を出したということは。しかしほんとに「ハニートラップ」なんてことを論じるのなら、それは関係者がご存命のうちに綿密に取材して本でも著すべきでしょうに。そういうことを彼がしなかったのは、やっぱり半藤氏もこの話がいかがわしいと考えていたのではないですかね。それでたぶんですが、自他共に認める山本五十六びいき(なおこの2人は、同じ県立長岡中学校(旧制)の出身)である半藤氏は、「当時の海軍軍人が山本さんみたいに米国びいきだったら、あんなことにはならなかったんだ」という気持ちがあるんでしょうね。いや故人だから「あった」か。それで「ハニートラップ」がどうしたこうしたとかいう話をして、関係者を罵倒しているのでしょう。そういうことにしたいという気持ちを理解しないわけでもないですが、でもちょっとなあですよね。現実性や妥当性ともにあまり感心できた話ではない。正直馬鹿も休み休み言え、デマもいいかげんににしろというレベルでしょ、これ。これでは「なんだ、半藤氏ってトンデモじゃん」といわれたって仕方ないと思います。

なおこの記事は、bogus-simotukareさんの記事に全面的依拠していることをいることを断りしておきます。


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