あ、すみません。過日記事にしたイザベル・ヴェンガルテンの死を約1年後に知ったことと同じようなものですが・・・。
ロベール・ブレッソンの映画にも主演したフランス人女優であるイザベル・ヴェンガルテンの死を知るbogus-simotukareさんの記事を読んでいて、「そういえば、前『もの言う裁判官』とでもいうべき寺西和史って人がいたなあ」と思い出しました。彼については、拙ブログでも1回記事にしたことがあります。
令状審査の際、請求者から事情聴取や資料の追加請求をしているのでは、言いなりよりなお悪いそれで彼について氏のWikipediaを観てみたら、あーら、寺西氏って、昨年の8月に依願退官していたんですね。朝日新聞の記事を引用します。
>「政治運動」で戒告経験の判事、依願退官 新聞で主張も
2020年8月15日 5時00分
仙台地裁の判事補だった1998年、捜査機関による通信傍受などを認める法案に反対する集会で発言し、裁判所法で禁じる「積極的な政治運動」にあたるとして、戒告処分を受けた寺西和史・高松高裁判事が15日、依願退官した。
寺西氏は98年4月、通信傍受法案など3法案に反対する集会に参加。裁判官の身分を明らかにしたうえで、一般参加者席から「所長から懲戒処分もあり得ると警告を受けたので、パネリストとしての参加は取りやめた」などと発言した。
この発言をめぐって開かれた裁判官の懲戒を判断する「分限裁判」で、仙台高裁は同年7月、寺西氏を戒告処分とする決定を出した。最高裁は同年12月、この決定を支持。表現の自由について「裁判官の言動は一定の制約を免れない」と指摘して裁判所法の規定を「合憲」とする初判断を示し、議論を呼んだ。
寺西氏はこのほか、朝日新聞の「声」欄に身分を明かして複数回投稿。裁判所の令状実務を批判したり、自衛隊を違憲と主張したりするなどした。
ネットで情報をあさったのですが、寺西氏の依願退官についてある程度報じている記事があまり見受けません。私が観た限りでは、上の朝日新聞の記事くらいです。
寺西氏がどういう事情で依願退官したのか定かでないのですが、なんらかの談話ほか彼自身の言葉による説明があればいいなと思います。寺西氏は文章も書ける人であり著書もあります。そういう人なのだから、自分の言葉で依願退官の理由を知らせてほしいですね。もちろん書けない理由があるのかもしれないし、最悪何らかの病気で職務継続が不可能になったなんてこともありえない話ではない。さすがに何かの不祥事があって職務を辞したということではないと思いますが、どうなんですかね。
寺西氏はたしか、その文章の出典をここでは書けませんが、自分としては定年まで裁判官をしていたいという趣旨のことを書いていました。その人が、いまさら依願退官をするのだからそれなりの理由はあるでしょう。もし可能だったら、それはぜひ何らかの形で明らかにしてほしいですね。寺西氏は、1964年8月26日生まれとのことですので、彼は55歳(56歳の直前)で裁判官を辞めたことになるわけで、まだ当分判事を続けることができたわけです。当方裁判官の人事なんて詳しくありませんが、寺西氏は2012年に神戸地裁→2016年大阪高裁→2019年高松高裁という人事であり、そんなにものすごく出世していない、冷や飯を食っている、ということでもないんじゃないんですかね。いや、よくわかりませんけど。ただ彼の昔の著書『愉快な裁判官』では、この本がいま手元にないので、引用はできませんが、たしか裁判官としてそんなに出世したいなんてことを彼は示していませんでしたがね。いや、それから寺西氏が変わったのかもしれませんが、1度戒告処分を受けている以上いまさら彼が、最高裁の裁判官を目指す、高裁の長官を目指す、なんてこともないと思うんですけどね。どうなのか。
寺西氏が、この件でなんらかのことを語っていることをご存じの方は、ぜひご教示いただければ幸いです。なおこの記事のヒントをくださったbogus-simotukareさんに感謝をいたします。