以前こんな記事を書きました。
三波伸介も、やはりシリアスな方向へもシフトしようという意思があったのだと思う(ご存命なら今月90歳)昨年6月執筆の記事ですので、もし三波伸介がご存命なら現在(2021年8月時点)91歳ということになります。
それで記事執筆時点では映画を観るにいたらなかったのですが、なんとかその後観ることができました。実は、オリンピック開会式に抗議すると称して京都に出かけた前の日(7月22日)に観たのです。DVDですが。
前回の記事と同じ写真では芸がないので、いちおう違う写真をはりつけます。
で、DVDのAmazonでの紹介を引用しますと、
>頑張れダメおやじ!特訓、シゴキを耐えに耐え、行くが男の生きる道!
●「あの頃映画 松竹DVDコレクション」第5弾 笑いで元気になろう! 喜劇の松竹セレクション初DVD化作品!
●「びっくりしたナァ、もう!」のギャグで一世を風靡した三波伸介がダメおやじを好演!
●何をやってもダメな男で万年平サラリーマン・通称ダメおやじと、夫の出世を願女のエゴからのシゴキにかかる妻・通称オニババとその子供タコ坊が巻き起こす爆笑ドラマで、当時の世相を巧みにすくいあげた傑作喜劇。
●古谷三敏の人気マンガ(当時「少年サンデー」連載)原作を主演に三波伸介を得て、監督野村芳太郎が、脚本と自身とジェームズ三木で、撮影川又昴で描いた意欲作。
●「三波で、もっとも身近なダメおやじを描く事、観る人に、共感と、同情と、ちょっぴり優越感を抱いてもらう事、それだけを考えて、此の映画を作ろうと思っている。」(野村芳太郎・演出の言葉より)
製作年 1973年
(中略)
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
何をやっても上手くいかない平サラリーマンの姿を描くコメディ。結婚10年を迎えた雨野大助は、妻子との平凡な3人暮らしに満足していた。しかし、妻の冬子は大学時代の後輩・由美子の夫が昇進したことに嫉妬し…。“あの頃映画 松竹DVDコレクション”。
内容(「Oricon」データベースより)
何をやってもダメで万年平サラリーマンの男と、夫の出世を願ってシゴキにかかる妻、そしてその子供が巻き起こす傑作爆笑ドラマ。三波伸介、倍賞美津子ほか出演。「あの頃映画松竹DVDコレクション 第5弾 笑いで元気になろう!喜劇の松竹セレクション」対象商品。
というところです。それで映画の内容も、ほぼこの通りです。
それで松竹としては、人気があって興行成績がよければあわよくばシリーズ化も視野にあったようなのですが、けっきょくこの1本で打ち切られました。ただ内容を見ると、いちおうこの作品で完結はしています。『男はつらいよ』も、本来は1回こっきりの作品の予定で(したがって、最初の作品では、さくらに子どもが生まれています。これは後で山田洋次は「しまった」と思ったとのこと)、あれはあれで完結していましたから、この作品が人気があれば当然続編ができたのでしょうがそうははならなかったわけです。
それでこの映画のコンセプトは、これは当然と言えば当然ですが、上の引用にある野村芳太郎監督の言葉がすべてを物語っていますね。
>三波で、もっとも身近なダメおやじを描く事、観る人に、共感と、同情と、ちょっぴり優越感を抱いてもらう事、それだけを考えて、此の映画を作ろうと思っている。
つまりだいぶこの時点で原作とコンセプトの異なる映画になるということです。それは当然の話で、あんな原作そのまま映画にするわけにはいきません。そして、倍賞美津子がオニババなんだから、そんなにオニババになるわけがない。このあたり原作者の話を引用します。
>僕はまずキャスティングが良くないと思った。もともとオニババは和田アキ子さんに、ダメおやじはせんだみつおさんにしたいと言ったんだけど(笑)。和田さんにはイメージが悪くなるからという理由で断られたらしい。さもありなんだよね。
確かに和田アキ子ならオニババのイメージに合いそうですが、ただご当人も事務所も嫌がるでしょうし(実際そうなりました)、興行的には厳しいでしょうね。またせんだみつおのダメおやじもいいと思いますが、これもちょっと興行的にはねえ。ちょっと無理ではないか。彼は1947年生まれで、当時(1973年)は26~27歳です。なお彼は、和田アキ子とラジオのパーソナリティで共演していたそうで、あるいは原作者はそのあたりからも連想をしたのかな? 彼は司会業で売り出していましたが、役者としてはまだまだのキャリアでしたから、さすがに主演は厳しかったでしょう。
そう考えると、原作者の見解はともかくとして、私は三波伸介のダメおやじ、倍賞美津子のオニババというのも、そんなに悪くないと思います。つまりは、原作と完全に違うものと考えればいいということです。それは当然で、あの原作では映画になりませんから、いわばコンセプトだけいただいた映画という形にしかなりませんから、それはそれでいいということです。
なおオニババの母親が浅香光代で、全然遺伝的に顔が違うじゃんと思いますが、実は三波って、彼女の一座に参加していたんですね。そういう点をかんがみてのキャスティングですかね。
それで以下映画のラストを書きますので、知りたくない方は以下読まないでください。
ラストいろいろあって(詳細は、ここでは書かないこととします)、稚内の営業所(なんていうものではなさそうですが)へ係長職に栄転(?)したダメおやじが、上野駅(というのが時代だしレトロ)から夜行寝台(というのが時代だしすさまじくレトロ)で出発します。同僚らはホームで万歳をします。
少しまったく関係ない話を。『新幹線大爆破』で、爆弾を仕掛けられたひかり109号が東京から出発する際に、やっぱり万歳をしているシーンがありました。いまどき駅や空港で万歳をする人はいないし、見ることもないのかもですが(私は見たことがない)、必要とあればこういう連中に依頼することもできます。
宴を盛り上げ続けて40年超 早稲田大サークル「バンザイ同盟」
家族の同行もなく、さびしく1人で寝台に寝転がるダメおやじですが、実はオニババと息子が潜り込んでいます。単身赴任でなく家族での新天地ということになるわけです。また尻をたたいてやるよとオニババに言われながら、稚内に向かうところで映画は終わります。
このラスト自体は、「これしかない」という感がありますね。「いろいろあったが、最後はハッピーエンド」というのは、この種の映画の定石(囲碁の用語。将棋では「定跡」という)です。ただけっきょくこのラストは、「ダメおやじ」という原作が、あんまり映画の素材にはそぐわないということを示している感があります。しかしそうすると、やはり映画の興業はあまり良くないのだろうなという気はします。
ところで前の記事でも書きましたように、75年の映画出演(『吾輩は猫である』(市川崑監督))の後、三波は急逝してしまいました。その死は予想できることではありませんが、あるいはですが、『ダメおやじ』が作品的・興行的に成功していれば、彼が7年にわたって役者稼業と縁を切ることはなかったのかもと考えます。もちろんそれはわかりませんが、そのしばらくの間は、三波にとっての一種のリハビリの期間だったのかもという気はします。彼の俳優復活作をみると、基本的に前記事のタイトル通りシリアス系の役どころです。彼自身、コメディアンではない方向であらためて役者にチャレンジしようという思惑があったはずで、そうなると改めて彼の突然の死が残念です。仲間の伊東四朗のようなポジションも夢ではなかったはず。
映画自体は肩がこらずに観られますので、興味のある方は乞うご鑑賞。なおこの記事は、bogus-simotuakreさんの記事からヒントを得ていますので、あらためて感謝の意を申し上げます。