旧聞で大変恐縮ですが、韓国の元大統領全斗煥が亡くなりましたね。記事を。
>韓国の全斗煥元大統領死去
クーデターや光州事件首謀
2021/11/23 17:05 (JST)11/23 17:06 (JST)updated
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全斗煥氏(聯合=共同)
【ソウル共同】韓国で1979年の粛軍クーデターや、80年の光州事件を首謀したなどとして無期懲役が確定した全斗煥元大統領が23日午前、ソウル市内の自宅で死去した。90歳。多発性骨髄腫などの持病があったという。韓国メディアが報じた。民主化運動を弾圧する一方、在任中はソウル五輪誘致に成功したほか、84年9月に韓国大統領として初めて公式訪日した。
慶尚南道陜川出身で、陸軍士官学校卒。79年10月の朴正熙大統領暗殺後、戒厳司令部合同捜査本部長として粛軍クーデターで軍の実権を掌握した。80年5月の光州事件を経て9月に大統領に就任した。
さて、ここで興味深い記事があります。
>「夫に代わって特におわび」 韓国・全斗煥元大統領夫人が謝罪
毎日新聞 2021/11/27 12:27(最終更新 11/27 12:27) 331文字
病気のため23日に90歳で亡くなった韓国の全斗煥(チョンドゥファン)元大統領の李順子(イスンジャ)夫人が27日、「夫の在任中に苦痛を受けたり傷ついたりした人々に対し、夫に代わって特におわびする」と謝罪した。聯合ニュースが報じた。
全氏は生前、民主化を求める学生らを弾圧。多数の死傷者を出した1980年の「光州事件」に対する謝罪も拒み続けていた。全氏側から謝罪の言葉が出たのは、今回が初めて。韓国では通常、大統領経験者が死去した場合は「国家葬」(国葬に相当)が営まれるが、全氏に対する世論の反発が強いことも踏まえて実施されなかった。
もう1つ。共同通信の記事を。
>韓国・全斗煥元大統領の妻が謝罪
告別式、光州事件は対象外
2021年11月27日 17:19
【ソウル共同】1980年5月の光州事件などで民主化運動を弾圧した韓国の全斗煥元大統領の告別式が27日、ソウルで開かれた。全氏が謝罪しないまま死去したことへの批判を受け、李順子夫人は「夫の在任中に苦痛を受け傷ついた方々に対し、夫に代わって深くおわびしたい」と述べた。
ただ、聯合ニュースによると全氏の側近は、謝罪対象は大統領在任中の弾圧で、光州事件は含まれないと指摘。全氏は79年の「粛軍クーデター」で実権を握ったが、大統領就任は80年9月だった。
全氏の側近は27日、謝罪対象に関し「(民主化要求の)デモをした学生や、警察の拷問で死亡した学生ら」を例示した。
光州事件が「対象外」というのもどうもなあですが(ただし、側近はともかく、奥さんの真意はどうなんですかね? あんまり分離できるものでもないと思いますが)、ともかく奥さんが謝罪したというのもいろいろ興味深いですね。たぶん彼女は、全が死んだら謝罪の言葉を述べる方針を固めていたのでしょうから、おそらく全もそういうことを全く理解していなかったわけでもないのではないか。そのあたりの真偽はともかくとしても、今の韓国で全斗煥という人物がどのような評価であるかが伺えるというものでしょう。つまりは、きわめてよろしくない人物であるというものであるわけです。
さてさて、そもそもこんなことは拉致問題解決とは何の関係もない話なので、するのならほかですればいいのですが、かの荒木和博の記事をご紹介。
全斗煥元大統領の逝去【調査会NEWS3529】(R3.11.23) : 荒木和博BLOG
この記事に限らず昨今の荒木の書いている記事や動画などは、拉致などでなく彼の鉄道趣味とかそんなものが多く、もう荒木も拉致問題でやる気もないんだろうなとか(そういった話は過去にも書いています)いろいろ考えますが、ここでは全斗煥をかばっています。
> 10月26日盧泰愚韓国元大統領の逝去に続き、全斗煥元大統領も後を追うように今日逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。
全斗煥については、現在の韓国ではあまりにも不当な扱いを受けており、それ自体が韓国のかかえる深刻な問題なのですが、あらためてその業績を見直してみようと思います。
だそうです(苦笑)。
>そのような中で起きたのが1980(昭和55)年5月の、いわゆる光州事件です。全羅南道光州市で起きた暴動の鎮圧に軍が入る過程で多数の死傷者が双方に出ました。全斗煥はこの鎮圧の責任を最後まで問われていたのですが、一方で北朝鮮がこの暴動事件に関与していたことはほぼ事実で、友人である元工作員李氏は「当時出撃のために待機していたが、早々に鎮圧されたため取りやめになった」と言っていました。北朝鮮からは派遣しなかったとしても、当時光州に潜伏していた工作員が暴動に関わっていた可能性は否定できません。
光州事件を「暴動」で片づけちゃうのがすごいですねえ(もちろんほめていません)。それにしても
>友人である元工作員李氏は「当時出撃のために待機していたが、早々に鎮圧されたため取りやめになった」と言っていました。
ていうのもねえ。こういう特定できない人物の口を借りてめちゃくちゃなことを主張するというのは荒木がよく使う手口です。別の例を後でご紹介します。これは、渡部昇一が大西巨人に血友病がどうしたこうしたとかいう難癖をつけた時にも使った手です。つまりは、荒木も、そしてさすがに渡部も、自分の意見はまずいというくらいの認識はあるわけです。
それにしても
>一方で北朝鮮がこの暴動事件に関与していたことはほぼ事実で
というのと
>北朝鮮からは派遣しなかったとしても、当時光州に潜伏していた工作員が暴動に関わっていた可能性は否定できません。
って言っていることがそぐわないじゃないですか(呆れ)。直接の工作員が暴動にかかわっていなくても、北朝鮮が暴動の上層部分には関与していたとでも主張するのか(苦笑)。どんだけデタラメなんだか。
だいたい北朝鮮が仮に工作にかかわっていたとして、だからといってあのような鎮圧が正当化されるというものでもないでしょうに。より非暴力な対応は可能だったはず。たとえば1950年代に日本共産党が51年綱領で非合法活動をした際に、ソ連や中国のバックがあったわけですが、だからといって日本の警察だって、そんなにめちゃくちゃな鎮圧をしたわけではない。当たり前でしょう。
>全斗煥はこの年9月に大統領になり、1988(昭和63)年2月の退任まで8年間務めます。この間韓国は急速な経済発展をし、国内的には夜間通行禁止をはじめとする様々な規制の解除を行いました。いわゆる「民主化」勢力が求めた大統領直接選挙実施と金大中赦免復権も全斗煥の決断でできたことです。
bogus-simotukareさんは、
>事情はともかく「そのように全斗煥が動き、悪あがきしなかったこと」をある程度評価してもいいでしょうが、あくまでも「ある程度」です。全斗煥は自分から進んでそう動いたわけではない。民主化の動きに抵抗しきれずそうしたわけです。
とご指摘になっています。また
>わざわざ「いわゆる」だの書いたあげくカギ括弧までつける辺りが荒木らしい。「民主化を口実に全斗煥を攻撃しただけの北朝鮮シンパ」とでもネガキャンしたいのでしょう。
ともお書きになっています。まーったく荒木というのもどうしようもない野郎です(苦笑)。
>しかしこれは韓国の親北左派からすれば絶対に許せないことでした。だから今や光州事件は聖域化され、利権も含めて左派の牙城になっています。そしてそうするために全斗煥は極悪人とされてしまいました。しかし光州事件を「虐殺」と言うのであれば金日成・金正日・金正恩のやってきた虐殺行為は何と言えば良いのでしょう。もちろん韓国の左派は北朝鮮における人権侵害を問題にすることはありません。
聖域かはどうか知りませんが、光州事件に「利権」なんてあるんですかね? どのような利権が? だいたい全斗煥のやらかしたことと金一族のやったことなんて、直接の関係はない。
>もちろん韓国の左派は北朝鮮における人権侵害を問題にすることはありません。
そんなことはないでしょう。荒木のデマです。そしてこれは翌日の記事です。
全斗煥元大統領の再評価(R3.11.24): 荒木和博BLOG
動画をはりつけた記事ですが、そのご紹介は省略して、荒木の記述を。
>23日に亡くなった全斗煥・元大統領は退任後一度は死刑判決まで受けるなど不遇でしたが、北朝鮮の度重なるテロに対抗しながら韓国の経済成長を成し遂げた業績はもっと評価されるべきだと思います。
こう言っては何ですが、全斗煥時代に北朝鮮がしたテロ、ラングーン事件や大韓航空機爆破事件などは、韓国の経済成長に影響を与えるようなものではありません。だいたい経済成長とか何とかというのであれば、全より鄧小平のほうがはるかに優秀でしょう。韓国よりはるかに条件が過酷な中華人民共和国をあそこまでの態勢に押し上げた。いわゆる開発独裁の指導者という点で鄧はずば抜けている。しかし全を評価する人間で、鄧を評価する人間を私は知りません。これまたどうかです。
だいたい荒木は、尊敬する政治家として全斗煥の大統領前前任者(前任者は崔圭夏)である朴正煕をあげていますが、これは荒木だけの問題ではありませんが、朴にしても全にしても、まさに韓国があのような状況だった、北朝鮮との対立も激しかった、冷戦時代だったからあり得た政治家であり国家指導者であって、当時は大目に見られても現在はかばえるような代物でないことをいろいろやらかしています。それこそ光州事件がそうだし、金大中事件などもその典型でしょう。私が繰り返し批判しているように、荒木はかつて、
>「金大中事件のときに殺しておけばよかったんだ」
数年前、私がお世話になった韓国のある大学教授のこの言葉を聞いたときはさすがにどきりとしました。
とまで書く始末であり(上でも書いたように、こういうよろしくないことを書くときに、匿名の実在不明の人物を出すのが荒木の手口です)、どこまで馬鹿でクズなんだかというところですが、いずれにせよ金大中という人間をどう評価するかはともかく、政府による暗殺(未遂)を公然と擁護して、どんだけ非常識なのか。
それはともかく。荒木も朝鮮半島の専門家を自称しているのなら、そういった朴や全の時代制約をもふくめた評価を、荒木のホームグラウンドである拓殖大学の紀要とか、あるいは極右雑誌みたいに荒木の文章をどんどん掲載してくれるようなところではなく、世間や学界でもそれなりの評価がされている学術誌への投稿を目指して、まともな論文を書いたらどうか。荒木が本気で光州事件を擁護するのなら、それこそ全力で彼の知見を総動員して学界、世間に自分の意見を論文にして訴えたらどうか。
しかし彼は、そんなことはしないんでしょうねえ。今までしていないのだから、今回もしないでしょう。そもそも荒木には、そんな論文を書いて発表するような意志も能力もないのでしょうが、それにしたってひどすぎます。彼のWikipediaには、彼について「評論家、政治活動家、人権活動家」とあって、学者などと書いてない。荒木の周囲だって、荒木のことを本気で「学者」なんて考えている人はいないのでしょう。たぶん荒木自身もそうです。
朴大統領暗殺事件や光州事件時の米国大統領だったジミー・カーターは「人権外交」なるものを標榜していましたが、Wikiepdiaのその項でも指摘されているように、
>表向きは人権外交を標榜するカーターであったが、アメリカにとって都合のいい同盟国の人権抑圧に対しては無関心であった。
と評されても仕方ないところでした。ただ「対中韓政策」という項では、
>韓国政府が朴正煕の軍事独裁である点や、極秘裏に核兵器開発計画を進めていたこともあって、朴政権との関係は険悪だったとされる
という指摘もされています。しかしけっきょくカーターは、光州事件は大目に見たわけです。そういうようなことは、まさに冷戦時代、北朝鮮との激しい対立を前提とするものであり、現代の社会ではとても通用するようなものではありません。そういったことを理解しないほどの荒木だって馬鹿でも非常識でもないでしょうに。そしてさすがに金大中事件などというものは、日米両政府だってとても許容できるようなものではありませんでした。
繰り返しますと、北朝鮮が日本に拉致被害者を返した大きな理由が、日本政府が北朝鮮に経済協力を持ち出してバーター取引を持ち掛けたからでした。そしてそれを仲立ちしてくれたのが、当時韓国大統領だった金大中氏だったわけです。しかし荒木、あるいは西岡力、拉致被害者家族らは、絶対そういうことを認めないわけです。それは、本気でそういうことを認めないというより、北朝鮮への援助(の約束)こそが拉致被害者帰国に役立ったということを認めるのが自分たちの政治運動に都合が悪いからそうしているというだけの話です。荒木や西岡は政治活動家ですから議論してもしょうがないとして、拉致被害者家族も、いいかげんこんな連中とかかわるのをやめたらどうか。またかつて槇田邦彦・外務省アジア局長(当時)が増元照明氏に
>運動団体の人間と一緒にやらない方が良いと「忠告」した
と荒木は書いていますが、槇田氏と荒木、どちらが本当に拉致被害者家族のことを考えていてくれていたのか。荒木は、
>さすがにこんなことを公然と言う人間はいなくなりました。
と書いていましたが、それはつまりは、拉致被害者家族に親身になって忠告をしてくれている人がいなくなったということではないか。荒木や西岡らから徹頭徹尾利用し倒されて拉致被害者家族は、自分たちを恥ずかしく思わないのか。拉致被害者家族が見捨てれば荒木も西岡らもすぐ力を失うのに、それが全然できないのはどういうことか。いつものことながら無様で無残な光景です。
米国のキューバへの対応から、日本の北朝鮮への対応を考えてみる いまにして思えば、拉致被害者家族会にこのようにきっちり話をした外務官僚がいたことが感慨深いなおこの記事は、bogus-simotukareさんの記事を参考にしました。感謝を申し上げます。