先日報道された事件を引用します。
https://www.asahi.com/articles/ASPD26VSZPD2UTIL010.html
>「税金もらって生きるのは…」 生活保護拒んだ82歳、介護の姉殺害
新屋絵理2021年12月2日 21時21分コメント
寝たきり状態の姉(84)を殺害したとして、殺人罪に問われた妹(82)の裁判員裁判で、東京地裁(高橋康明裁判長)は2日、懲役3年執行猶予5年(求刑・懲役5年)の判決を言い渡した。被告は1人で姉を介護する「老老介護」の状態で、生活保護を受給して姉を施設に預ける提案を受けていたが、「税金をもらって生きるのは他人に迷惑をかける」などと考えて受給せず殺害に至っていた。
判決によると、東京都の玉置キヌヱ被告は今年3月、姉の顔にウェットティッシュを置き手で押さえて窒息死させた。犯行時は手を握り「お姉ちゃん、ごめんね」と声をかけたという。
約60年前に福岡県から上京した姉妹は2人で暮らし、親しい親戚や知人はいなかった。姉は約5年前に介護が必要になり、約2年前から寝たきり状態に。2人の収入は1カ月あたり約10万円の年金だけだった。姉を特別養護老人施設に入れるため生活保護の受給申請をケアマネジャーから提案されても、被告は拒み、1人で介護を続けた。
生活保護を受けなかった理由について、被告は法廷や供述調書で「税金からお金をもらうのは他人のお金で生きることで迷惑をかける」「親にも、他人に迷惑をかけないように言われて育った」と説明。殺害の動機は、姉の体調が悪化し「これ以上介護できない。迷惑をかけないためには終わらせるしかない」と考えたためで、殺害後は自ら110番通報した。
検察側は論告で「自分の考えにこだわった短絡的な犯行だ」と批判したが、高橋裁判長はこの日の判決で「第三者に助けを求めることはできたが、『生活保護を受けてまで生活したくない』との考えから抜け出せず、周囲の助けを得なかった。非常に苦しく絶望的な状況での犯行で同情できる」と述べた。そのうえで、「憎悪や怒り」を理由に殺していないことなどから刑の執行を猶予した。
以下会員部分ですので引用できませんが、事件と判決のアウトラインはご理解いただけたかと思います。
それにしても
>税金をもらって生きるのは他人に迷惑をかける
ていうのが、
>寝たきり状態の姉(84)を殺害
じゃあねえ。なんとも救いがありません。それで産経新聞の記事で、参考になる部分を引用します。
>冒頭陳述や判決などによると、姉妹は福岡県出身。普通のサラリーマン家庭で育ち、被告は地元の高校を卒業して化粧品関連の仕事をしていた。約60年前、「喫茶店を開きたい」という姉とともに上京。同居生活を始めた。
結局、姉は会社勤めを選択。被告は家事を担った。ともに未婚で、姉の退職後は、2カ月に一度支給される計約20万円の年金を支えに、つつましく生活した。2人で旅行することもあり「(北海道の)層雲峡が一番楽しかった」という。
だが、事件現場となった北区内のマンションに引っ越した平成28年ごろから、姉は体調を崩しがちになった。親はもちろん、他のきょうだいもすでに他界。周囲に頼れる親族はおらず、被告は一人で介護を始めた。
翌29年からは週1回の訪問看護とケアマネジャーの助けを受けるようになったが、姉は31年に排泄(はいせつ)や入浴、衣服の着脱に全面的な介助が必要な「要介護4」の判定を受け、令和元年5月には自宅で転倒し、寝たきりに。ケアマネジャーは何度も特別養護老人施設への入所や生活保護の受給を勧めたが、被告は「入所費用を払うと生活できない。生活保護は絶対に受けたくない」と拒否し続けた。
理由は、幼い頃から両親に言われていた「人様に迷惑をかけるな」という教えだった。おむつの交換や身体を拭く方法を看護師から学び、一人でこなした。証人尋問で出廷したケアマネジャーは「訪問看護が来る前に仕事が終わっていた。普通なら音を上げて、介護サービスを使っている」と証言した。
被告は公判で「姉との生活は楽しかった」とも語った。介護中は二人で他愛のない話をし、姉が満足にしゃべれなくなってからはホワイトボードを使い筆談したという。だが、2年1月には最も重い「要介護5」に。貯金も尽き、事件直前には訪問看護をやめ、家賃も滞納するようになった。
そして事件当日。姉が発熱し、被告自身の体調も悪化。「これ以上介護できない。殺すしかない」と決意した。「首を絞めるのは残酷でできない」。ウエットティッシュで姉の口と鼻を2~3分ふさぎ、謝りながら手を握った。抵抗されることはなかった。その後、姉の後を追おうと自らの首を手で絞めたが苦しくてできず、110番通報した。
「姉が一番好きだった。姉に申し訳ない」。逮捕後、取り調べでこう供述した被告。耳は遠くなり、公判には補聴器を着けて臨んだ。患っていた軽度の認知症が進行し、会話がかみ合わないこともあった。
この件を、素人の私が勝手に解釈すると、朝日の記事の
>親しい親戚や知人はいなかった。
というのと、産経記事での
>ともに未婚
>親はもちろん、他のきょうだいもすでに他界。周囲に頼れる親族はおらず、被告は一人で介護を始めた。
というのがこの事件のポイントですかね。
こういっては身もふたもありませんが、最低どっちかが結婚しているかとか(その場合別居になろうかと思います。いや、この間の兵庫の事件みたいに、未婚のきょうだいが(なぜか)同居しているというケースもありますが)、親は無理でもきょうだい親戚のたぐいがいれば、こういう事態は避けられたはず。せめて知人でもいれば、まだ事態がここまで行かないですんだ可能性はある。しかしそれもいない。そして
>耳は遠くなり、公判には補聴器を着けて臨んだ。患っていた軽度の認知症が進行し、会話がかみ合わないこともあった。
とのことで、こう言っては何ですが、犯行時にすでに認知症のせいもあり、我慢がきかなくなった、判断力がきわめて衰えていた可能性がありますね。たぶん一般的な人間よりも、相当よろしくない状態だったのではないか。そうなると職業として相談にのってくれるケアマネジャーの言っていることは、たぶんあまり心に響かなかったのでしょうね。残念ですが。遠くの親戚より近くの他人という格言を私は正しいと思いますが、残念ながらこの姉妹、少なくとも妹にとってはそう考えなかったということでしょう。前にこんな記事を書いたことがあります。
これでは大山のぶ代の人権が保障されないこの記事でもご紹介したように、認知症の大山のぶ代の介護を夫(故人)の砂川啓介が、自分と近いマネージャーさんらごく少数の人間でふうふう介護をしていてそれが限界に達していたという状況がありました。その際は砂川も相当精神的に追いつめられたようです。この妹は、当時の砂川より状況はもっと過酷だったでしょうから、それも気の毒な話です。
それで前にこのような記事を書かせていただきました。
「人に迷惑をかけない」ということと「必要なときにSOSを出せる」ということは両立するし、またさせなければいけないその記事で引用した文章を再引用します。
>(前略。「この記事」については、元のサイトをご覧になってください)
この記事を読んで、改めてSOSを出す大切さを改めて感じた。
日本の子育てでは
・人に迷惑をかけてはいけない
・なんでも一人で出来るようにならなくてはならない、それが自立
が重要視されているように感じる。
そんな風に子育てされてきた人が、人の親となった時、他人に頼れなくなるのだろう。
健常児であっても、障害児であっても他人に頼ることは大切なここと
そして、親の方が先に死ぬのだから、障害のある子どものために支援してくれる人をたくさん作っておくことが大切だ。
出来ないことは誰かに頼る
助けてくれる人をたくさんつくっておく
それが自立なのだ。
(後略。太字化も原文のまま)
けっきょくここでの筆者(立石美津子さん)の書いていることが、この殺人事件(といいますが、現実には妹が心中しようとして死にきれなかった心中未遂という側面が大きいと思います)の本質を言い尽くしていますね。
>助けてくれる人をたくさんつくっておく
とありますが、たぶんですが、妹にとって姉との生活だけが、彼女の世界だったのでしょうね。それ以外にそれなりの世界があれば、たぶん殺人とまで思いつめなくてすんだ可能性がある。ケアマネージャーも「助けてくれる人」なのですが、彼女にとってはそうではなかったのでしょうが、しかしそれはいろいろな意味できわめてよろしくない事態になったとしか言いようがないですね。いずれにせよ人に迷惑をかけないということは、ものごとを自分だけで解決するということではないということを常に認識していなければいけないんじゃないんですかね。私はそう思います。