また佐藤忠志氏かよとおっしゃる向きもあるかもですが、やはり佐藤氏の人生は、他人が実にいろいろと参考にできるものだと思います。「反面教師」として、ここまで適当な人もいないのではないか。こんなことを言われたら佐藤氏は心外にもほどがあるかもですが、彼の著したあまたの英語の受験参考書よりも、彼の人生の軌跡の方が、はるかに他人にとって貴重なサンプル・テキストになるのではないかと私は考えます。英語ほか受験の参考書はいろいろなものが出て、伊藤和夫とか森一郎ほかの永遠のベストセラーみたいなものもありますが、多くは数年の命で消えていきます。しかし佐藤氏の人生の挫折ほかの軌跡は、代替のきく受験参考書よりも、はるかに貴重な教訓を私たちにもたらしてくれます。佐藤氏が残した(遺した)最大の遺産は、彼の人生そのものではないか。
それはともかく、今回は佐藤氏が死の約1年強前(2018年6月末)に受けた「スポーツ報知」でのインタビュー記事からです。おそらく彼がまともに対応出来た取材は、これが最後ではないか。氏の死の2~3週間前と推定される2019年8月末に行われた「週刊現代」による取材は、その時点では佐藤氏はまともに取材対応のできる状況ではありませんでした。
それで「スポーツ報知」は、佐藤氏の次のような発言と、彼自身による次のような主張を紹介しています。
>女房のやつがね。私が暴力ふるったとウソの110番して、警官が6人きて、11日間、留置されましたよ。戻ってきたらいなかったんです。犬連れて。まあ、ほっぽっときますけどね。もう女房に未練ないし
>妻との喧嘩の原因の1つが、趣味の車だった。CMC社のティファニークラシックを「人生最後の愛車に」と購入した。
「1億。めったにないですよ。日本で1台しかない車ですから。米国で1億3000万って言っていたのに、目の前で1億積んだらOKというのでね」
ちょうどその時期の自身のフェイスブックに「糞ばばに入院中に解約された。私の趣味は日本刀と車。(中略)もう私には趣味は無い。生きる甲斐、目標が無い。(中略)自殺では妻の世間体が悪い」などと記し、その後、更新をストップ。安否を心配する書き込みなどは放置されたまま。妻をのろけることもあったブログもやめてしまっている。
趣味の暴走は、熟年夫婦の亀裂になった。
「女房が反対したからですよ。勝手にキャンセルしちゃったんです。結局? 買いました。大きなケンカに? 私から車を取り上げよう、取り上げようとするから…」
これはさすがにまずいでしょう。私は、佐藤氏による奥さんへのDVはあったと考えていますが、仮にそうでなくてもこの件で佐藤氏の言い分を一方的に書いて記事として掲載するのはきわめて不用意としか言いようがない。またどうも佐藤氏もこの記事を書いた(取材した)記者も、DVというのを物理的な暴力に限定していないか。佐藤氏のように、病的な浪費を繰り返し、自宅をリバースモーゲージのような形で売却して、それで得た1億円を高級車の購入に使っては、ましてや佐藤氏は、今後の収入のあてがまるでなかったのだから(たぶんですが、佐藤氏は年金も満足にかけていなかったんじゃないんですかね)まさに自殺行為だし、事実そうなったわけです。それで奥さんの必死の抵抗を排除してその車を買ってしまったのだから、彼のやっていることはまさに「経済的DV」のたぐいじゃないですかね。それはまったくもって夫の暴力としか言いようがないでしょう。
それにしても、前にも批判したことがありますように、これはさすがにないんじゃないんですかね。同じ「スポーツ報知」の佐藤氏追悼記事より。
> 記事にすることを一瞬ためらった。それでも、ありのままの「今」の姿を伝えることで、かつての金ピカ先生にお世話になった生徒さんたちが心配してまた集まってくるような、そんな思いも込めてインタビューをまとめた。「お座敷」と呼んでいたテレビ出演も、近況報道がきっかけになってオファーがあればと思っていたが、その後、先生のその後が伝わってくることはなかった。
佐藤氏の教え子がコンタクトをとる可能性はあるかもですが(ただそれも、全くなかったかどうかは不明ですが、佐藤氏の助けになるようなものはなかったようです。もっとも何らかの金銭支援があったとしたところで、それは煙草と酒に消えただけの可能性が高い)、テレビ局が佐藤氏に接触することはないでしょう。本人が否定しているとはいえ、DVで警察に逮捕されたうえ、家をリバースモーゲージみたいな形で売った金で1億円の車を購入したなんて、それはあまりにトンデモすぎて取材できないし放送できません。実際佐藤氏は「スポーツ報知」取材後まもなく生計が完全にゆきづまり、近隣に100円を恵んでもらうようになり、生活保護受給者になったわけです。テレビ局が取材してその様子を放送したら、視聴者から「こんな人物をとりあげて、どういう見識をしているんだ」と苦情が来てしまいます(苦笑)。そういった部分はとりあげないとしても、とても隠しきれるようなものでもないでしょう。
まあたぶん、この記事を書いた(佐々木良機記者の署名あり)記者も、本気でテレビ局などからのアプローチを期待したというより、「あわよくば」「武士の情け」とかそういう意味合いでのものだとは思います。思いますが、佐藤氏が相当無茶やって、しかも奥さんから逃げられて当然のひどいことをしでかしたのは否定できない事実なわけで、そう考えると佐藤氏を取材で取り上げるのも「どうもなあ」ではありますね。ちょっとやそっとの状況ではないし、大目に見てもらえるとはいいがたいことを彼はいろいろやらかしているわけで。上にも引用したように、執筆した佐々木記者も、記事にするのをためらったくらいの惨状のわけですから。そこをたぶん佐々木氏は、「人助け」という意味もふくめて記事にしたのでしょう。そういうことを理解しないわけではないですが、しかしやはり佐藤氏についての記事の発表は、ちょっとまずかったんじゃないんですかね。佐藤氏の語る
>生きる屍
というのを、記者は「言葉のあや」「もののたとえ」と解釈したのかもですが、佐藤氏はほぼ廃人一直線、死へまっしぐらという状況でした。たぶんですが、死の直前の佐藤氏の惨状を見て、記者も絶句しながら自分の取材を想い起こしたのではないですかね。
いろいろな考えはあるでしょうが、さすがに1億円を出して高級車を買った、そのために奥さんが逃げ出したなんて話は、佐藤氏にまったくもって社会常識や生活能力がないことを表しているわけで、ご当人がいくら強がったところで他人はドン引きだし、実際彼は報知の取材から1年弱で生活保護受給となり(2018年6月末の取材後、翌年の5月から生活保護受給)、それから3~4か月で亡くなったわけです。彼の正確な死亡日は不明ですが、9月24日に遺体が発見されたので、たぶん8月末の「週刊現代」の取材から2~3週間後くらいの死ではないか。
佐藤氏があのような死を遂げたことは非常に気の毒ですが、他人が何かしてあげられる次元をとうに超えてしまっていましたね。佐藤氏の住居をリバースモーゲージのような形で購入した人も、たぶん彼を救済する意味合いでそのような条件で買い取ったはずで、その売却益で高級車を買ってまもなく孤独死・困窮死するとは、購入した人もあまりに予想と期待の斜め上を行く事態に唖然としたのではないか。同情すべき、あるいは同情できる次元をちょっと超えてしまっているでしょう。そして彼が、自分の最終末の状況に満足していたとは(当然ながら)とても思えませんね。ほかはともかく奥さんから逃げられた喪失感は、ちょっと筆舌に尽くしがたいものがあったでしょうし、そしてそれは、彼の不徳の致すところです。とてもかばえたり同情できるものではない。前にも記事にしたように、彼のような人間にこそ、野村沙知代みたいな人が配偶者であるべきだったんじゃないんですかね。金銭感覚について、佐藤氏と野村克也はかなり共通するところがあった。野村克也にとって自分の財布を厳しく締めてくれた奥さんは、たぶん最高のパートナーだったのでしょう。そして野村の奥さんよりははるかに常識人だった佐藤氏の奥さんは、佐藤氏の暴走に振り回されて、佐藤氏がまっしぐらに突き進んだ地獄への道を阻止できなかった。つまりは佐藤氏が、想像を絶する強い発達障害の持ち主であって奥さんの対応できる人間ではなかったということですが、週刊誌とかが「トンデモ人間」というような意味合いで取材するのならしょうがないとして、スポーツ新聞という娯楽に特化したところのあるとはいえ新聞メディアが、彼を取り上げるのはやはりよろしくありません。もちろん「スポーツ報知」の側もそういう問題は重々承知の上での取材だったとしても、これはやはり一線を越えていたと考えます。
野村克也と佐藤忠志氏とでは、そんなに人間性などは変わらないのではないか(配偶者の個性の違いが大きな影響があった)(追記あり)ていいますか、これ最悪奥さんから抗議・苦情がきかねないでしょう。来なかったのか。来なかったとして、それは記事の内容が事実だからなのか。奥さんの方があえて自重した側面が大きくないか。記者や記事掲載に最終的にGoのサインを出したデスクほかも、そのあたりどう考えているのか。
おそらくこの記事の掲載に至った理由は、①佐藤氏は、かつて一世を風靡した有名人だった②彼は、1億円で車を買ったりと、非常に行動の極端な人である③奥さんから見捨てられ、孤独・孤立の状態である④経済的にも困窮しているようだ、とかいうようなことを総合的にかんがみた「(主観的には)人助け」のようなものだったのでしょう。そういう事情や状況を全く理解しないではないですが、それにしたって佐藤氏が直面したこの取材時における困難な状況、およびその後に生じた文字通りの致命的な状況は、彼の不徳の致すところですからね。私に言わせれば、佐藤氏の奥さんは、とっくの以前にあきれ果てて家を出たところで何の問題もないし、おそらく彼女からすれば耐えがたきを耐え、忍び難きを忍びのたぐいだったはず。佐藤氏がそのような奥さんの想いをどれくらい認識していたのかは定かでありませんが、まさに人生いろいろな分岐点で「そうするか」というのを彼はそうしてしまったわけです。私が前にご紹介した、歌手崩れに全財産を貢いで一文無しになり、生活保護を受給しながら意識不明で死んだ某女性などもそうでしょうが、かつてある程度財産があった人間が、くだらん金遣いで一文無しになったというケースでは、たいていの場合、いろいろな分岐点で「そうするか」「そうくるか」という、よろしくない方向への道筋を走るわけです。野村克也には、奥さんがストップをかけてくれましたが、佐藤氏や某女性には、そのような人がいなかったのも、仕方ないとはいえこれまた決定的にまずいものがありました。どちらも子どもはいなかったようだし。子どもがいれば、あるいは歯止めにもなり得ましたが。
金をためられる人、財産を残せる人は、けっきょく金にシビアなのだと思うで、ちょっとこれも私が気になったのがこちら。
>バラ色ですよ、ずっと。だって、仕事でイヤな思いも苦労もしたことないんですから
いや、
>仕事でイヤな思いも苦労もしたことないんですから
ていうのは、強がりじゃなくて本気でそう思っていたとしても、しょせんそれは、ご当人が直面しなければいけない嫌なことから徹底的に逃げていたというだけの話でしょう。その嫌な部分を、奥さんがほとんど直面したというだけの話ではないか。そして彼は、本当に嫌な事態に直面した際、煙草や酒で逃げるしかなかったわけです。
まったくどうでもいい話ですが、全財産を失った女性は、致命傷となった歌手崩れの男と店を開いた際、その物件を2人してほんと嬉しそうに観ていたそうです(苦笑、いや、他人事だから笑えるだけです)。それで数年後には地獄を観るのだから、どんだけ馬鹿なんだか。
それにしてもねえと思います。佐藤氏といい某女性といい、お話にならないくらいの馬鹿(勉強ができないとかそういう話をしているのではありません。念のため)であって、自分の生活や今後を見通す能力がきわめて低いと酷評されてもしょうがないでしょう。特に佐藤氏は、正直言って世の中ここまでひどい人間がいるという格好のサンプル、反面教師でしょう。彼は、せっかく連れ添ってくれていた奥さんと、実に愚劣な状況で別れてしまった。彼に同情するのは間違いでしょう。むしろ同情されるべきは奥さんでしょう。極端な話、生活保護受給者になった時点で、これではいけないからアルコールとニコチンを断ってもう少し生きてみようという力も彼はなかったのです。お話にもなりません。
それにしても世の中、何度も例としてご紹介する夕張保険金殺人事件の犯人(夫婦そろって同じ日に死刑が執行されました)といい、ほんと他人の手に負えない本当の馬鹿というのがいるものですね。さすがにそんなにひどい犯罪はしなかったとはいえ、浪費癖という点では、夕張の夫婦と佐藤氏は、かなり似通っていると思います。