映画評論家の佐藤忠男氏が亡くなりましたね。彼の出身県である新潟県の地元紙の記事を。やっぱり地元紙ですと、記事の熱さが違いますね。
>映画評論家の佐藤忠男さん死去 新潟出身
91歳 アジア映画発掘、紹介に尽力
2022/3/22 0:05
(最終更新: 2022/3/22 18:38)
新潟市中央区出身で日本を代表する映画評論家の佐藤忠男(さとう・ただお、本名飯利忠男=いいり・ただお)さんが17日午後6時40分、胆のうがんのため死去した。91歳。葬儀は近親者で営んだ。
海軍の少年兵として終戦を迎えた。戦後に見た米国映画の華やかで楽しげな世界に感動し、新潟市で電電公社などに勤務しながら、映画雑誌への評論の投稿を重ねた。注目されて上京し、雑誌「映画評論」「思想の科学」の編集長を務めた。
1970年代後半、当時はほとんど知られていなかった東南アジアなどの映画を発掘。80年代以降、国内外に紹介する取り組みをライフワークとした。
「日本映画史」(全4巻)、「黒澤明の世界」など多数の著書を発表。日本映画学校(現・日本映画大)の学校長などを歴任して後進育成に力を注ぎ、新潟市の安吾賞の推薦人にも名を連ねた。旭日小綬章のほか、2019年には文化功労者に選ばれた。
11年4月からは本紙朝刊に映画評「週刊シネマスコープ」を連載。20年1月から7月まで、コラム「映画と来た道」を執筆した。
平易な語り口で映画の魅力を発信し続けるとともに、アジア映画研究の第一人者として欧米以外の映画に光を当て、国際交流に努めた功績は高く評価されている。文化功労者に決まった後、新潟日報社の取材に「映画は世界がすてきだということを教えてくれる。評論執筆はそのことを広く知らせる職業」と語っていた。
◆映画へ人へ愛あふれ 県内関係者悼む
「映画評論は、見る人が自分なりの答えを探す手掛かりとなるように」-。新潟市出身の映画評論家佐藤忠男さんは、生涯映画を愛し、魅力を伝え続けた。映画を見る人、作る人を支え続けた歩みに、家族や県内の映画関係者から悼む声と感謝の言葉が聞かれた。
近年、佐藤さんの仕事をサポートしためいの林友実子さん(46)=横浜市=によると、佐藤さんは胆のうがんを患いながらも、ことし1月半ばまで評論を書き続けた。
「常に自分に問い掛け、考え抜いて言葉をつづっていた」と林さん。「批判したり、押し付けたりするのではなく、人それぞれの考えでいいんだよという広い心で、映画にも人にも向き合っていた」と佐藤さんのまなざしを振り返った。
講演などで佐藤さんが訪れた新潟市中央区の市民映画館「シネ・ウインド」支配人の井上経久さん(54)は「映画評論のパイオニア。日本映画学校や日本映画大学を通じて、後進の指導にも努め、日本映画界を長い間、サポートしていただいた」と功績をたたえる。
佐藤さんと長年の付き合いがある同館代表の斎藤正行さん(72)は昨年11月、佐藤さんが帰郷した際にも親交を深めた。「お元気そうだったが、新潟に来るのは最後という思いがあったかもしれない」と語る。「佐藤さんの仕事を継承していくのが残された者の務め」と悼んだ。
彼も90歳を超えているので、大丈夫かなと思っていましたが、お亡くなりになりましたね。この記事も、やや予定稿めいている感があります。あまり健康がすぐれないという情報は伝わっていたのでしょう。私も彼の本は何冊も読んでいます。ご冥福をお祈りいたします。
さて以降はどうでもいいネタですが、佐藤忠男というのは、本名ではなかったわけです。
>本名飯利忠男=いいり・ただお
というのが彼の本名だったわけです。そういえば、どこで聞いたのかは覚えていませんが、佐藤忠男って本名ではないというのを何かで読んだことがあります。あるいは、2019年の文化功労者になった際だったかな。映画評論家でそれになったのは、佐藤氏が初めてのはず。また科研費の関係では、本名が記載されていましたね。こちらを参照してください。
それにしても「飯利」ってのもあまり聞かない名字ではありますね。こちらによると
>【名字】飯利
【読み】いいり,いいとし
【全国順位】 16,208位
【全国人数】 およそ330人
同名字は、東京都、新潟県、神奈川県などにみられる。
この名字について情報をお持ちの方は「みんなの名字の由来」に投稿いただくか(※無料会員登録が必要です)、「名字の情報を送る」よりお寄せください。
とのことです。佐藤氏こと飯利氏は、都内在住で(たしか引っ越していなかったら世田谷区に住んでいたはず)新潟出身ですから、たぶん東京や神奈川の飯利さんも、新潟がルーツの人が多いのかもですね。
「飯利」という名前が佐藤氏のもともとの名前なのか、奥さんのほうの名字を継いだのかそのあたりは当方知りませんが、たとえば早逝した格闘家の山本徳郁も、本名は、岡部徳郁というものでした。「山本」は旧姓だったとのことですが、Wikipediaの注釈にリンクされているこちらの記事を見ると、診断書の名前は確かに「岡部」となっていますね。これまたどういう事情で岡部姓なのかは定かでありませんが、よくわからんこともたくさんあります。「人民日報」の下にリンクする記事はコンパクトにまとまっていて読みやすいので、興味のある方はお読みになってください。
この記事ぜんぜん映画と関係ないじゃん、なんで「映画」のカテゴリーなんだよと思われる方もいるかもですが、「映画」のカテゴリーの記事を最大限増やしたいための便宜的な措置です。映画評論家の方についての記事なのでというデタラメな理由です。乞うご容赦。なお珍名さんについては、過去いくつか記事を書いていますので、興味のある方はお読みになってください。
肝付兼太氏の死でちょっと考えたこと 珍名さんているんだなと思った これはかなりの珍名だと思う(大したことのない犯罪者の実名を書くのはどうかだが、警察官なのですこし厳しく)