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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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自分の映画のスチールを表紙に使った本に対して、その映画監督はどのような感想を示したか(解答編)

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では昨日のクイズの解答を。

>ゴダールの反応は予想していたよりも冷静で、不機嫌そうなものだった。日記では簡単に記しているが、本当は彼はまずわたしに向かって、表紙の写真のためにいくらエージェントに払ったかと尋ねた(わたしはおずおずと、ナッシングとだけ答えた)。それから、『中国女』というのはもう昔のフィルムで、面白くともなんともない。今の新しいものを観てほしいといった。観たいのですが、もう切符がないんですと、わたしは何も期待せずに応えた。そんなことはないはずだと、ジャン=リュックは答えた。満席になど、なるわけがないと。

結局、最後に空席があったために、わたしとカズコは入場することができた。質疑応答の場になると、ゴダールは満場の拍手に包まれて登場し、I am God Artなどと、上機嫌に駄洒落を飛ばしながら席についた。(前掲書 p.36~37)

引用にあたって、段落がかわったところは1行空け、1字下げは省略したことをお断りします。なお「カズコ」さんとは、四方田氏がロンドンに滞在していた際にそのアパートに居候していた氏の大学時代の同級生とのこと。

これ最初に読んだ際正直苦笑しちゃったんですが、ただやっぱりそれくらい権利には厳しくないといけないのかもですね。

それで私としては、四方田氏がゴダールに渡した本てどういうものよと思いました。こちらの本ですね。

リュミエールの閾―映画への漸進的欲望 (エピステーメー叢書) 

で、私が興味を持ったのは、このスチールってどういう経緯でこの本の表紙になったのということでしたが、これは川喜多記念映画文化財団からの提供ということのようでした。ってことは、少なくともこの本が出版された1980年ごろは、そういう方法で映画のスチールを使えたんですかね。

山田宏一氏が、何だったかの本で、映画のスチールを書籍に収録するのが難しくなったという趣旨のことを書いていまして、なるほどねえと思った記憶がありますが、まさにゴダールのいうようにエージェントに何らかの銭を支払わないとそういったことももはや難しいのでしょう。それも残念な話ではあります。権利ですからしょうがないけどね。

なお一番上の写真は、1980年のゴダールです(四方田氏の参加したイベントでの写真ではない)。出典は、こちらより。1980年は、しばらくぶりに劇映画にゴダールが復活したため、インタビュー取材やイベントへの参加が多かったということのようです。またゴダールの話が載っている本には、四方田氏が前掲の山田宏一氏に間違えられた(らしい)という話がありました。ヤマダ→ヤマト→ヨモタという連想になったらしい。四方田氏は、「山田宏一」とは書いていませんでしたが、サングラスをかけて陰気な顔をした映画評論家のヤマダと書いていて、しかも欧州の映画に顔が利く人物ですから、これは山田宏一氏のことでしょう。でもこの文章読んでか話に聞いて、山田氏不快に感じなかったのかなあ。あるいは四方田氏は、山田氏に悪意があるのかもですが。下に山田氏の写真をはりつけます。出典はこちらのサイトより。

 


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