カトリーヌ・ドヌーヴのインタビューの翻訳を発表します。1970年の雑誌より。出典は、こちら(魚拓)。フランス語なのでなかなか私も気合が入ります。題名の意味は、最後まで読んでいただければわかります。では。
11時の打ち明け話
映画の中で、ルイス・ブニュエルは「トリスターナ」という異名を彼女に与えた。日常生活の中では、カトリーヌ・ドヌーヴはとても美しい女性である。おそらくグレタ・ガルボに匹敵する。申し分のない容姿、何よりも神秘的な冷ややかさをあわせもち、近づき難さを備えているかのようだ。しかし、ガルボとは反対に、ドヌーヴは人間味のある女性であることを示しており、もろさと強さを同時にあわせもつ女性であり、明晰さと夢見がちな性格、かわいらしさときつさをも備えている。要するに偉大であり、優れた女性でもある。
(聞き手)デビューからはじめましょう。そうですね、あなたの人生のはじめについてです。7歳まで、哺乳瓶で食事を与えられていたというのは本当なんですか?
(カトリーヌ・ドヌーヴ)完全にそうだったっていうわけではないわね。幼かった時は、肉が大嫌いだったの。食欲が強かったわけでもなかったし。私に食事をさせるってのは面倒だったのよ。それで私に牛乳を飲ませるのも、哺乳瓶に入れておいたってわけ。というのはおまけに牛乳のにおいも耐えられなかったし。
いまもですか?
それは解決したわ。まだうんざりするけど。当然ながら哺乳瓶はやめたわよ。有無を言わさず、息子のクリスチャンのお守をするためにね!
人形ではけっして遊ばなかったとあなたはおっしゃっています。いつも本の世界に入りびたっていたと・・・。
ああ、そうではないわ! 本の中じゃないわよ。私はかしこい女の子では決してなかったから。人形で遊ぶのは大好きではなかったわ。それはたしかよ。人形の家や、小さなたんす、小さな食器で時間をつぶした姉たちとくらべるとね。私はというと、母のそばにいるのが好きだったわ。あとについていって、母を見ていることが。いわゆる、母の(スカートの)中に入りびたってかんじで過ごしていたわ。
おまけに、一挙にして姿を消したいと望んでいたとか・・・
一挙に、なんてことはないわよ。徐々にそんな気になったの。あたしがお仕事をはじめたのは、16歳になるちょっとまえのことだわ。自分で決めたっていうわけではなく、私のためにまわりがそう決めたのよ。偶然かな。その時から、自立して、家と家族から離れて、違うやり方で生きていくことが必要だなって感じたの。独立でさえもないわね。抑えがたい熱望だわ。私ってとても衝動的な人間なの。
お話に出てきた偶然のたまもの、というのはどの作品ですか?
「閉まるドア」ね。若い娘を必要とした映画だったの。私はリセにいて、卒業する年だったわ。応募しようととある木曜日に出かけたの。役柄と縁があったに違いないわ、というのは私が起用されたから。この映画の時は、まだ一生の仕事にするつもりだったわけでもないけど。15歳半だったわ!
その時から成功するまでにほとんど5年かかったと・・・
「シェルブールの雨傘」まで5年かかったということだわ。その時までは成功していたとは言えなかったわね。25歳ごろまでは、人は理想には達しえないと思うわ。私はとても早く対応した、それは確かね。他人への義務が生じる仕事よ。努力して、用心したままでいて、新境地をひらいて、自己改善をしていくということよ。
早熟でいらしたんですね。
たぶん、でもそうは言いたくないわ。おませな子どもってぜんぜん好きじゃないの。感嘆し、おまけに立ち止まって他人に追随する相も変わらない時期ね。それからすべてが身になる経験がおきるわけ。
「反撥」を撮影した時、ロマン・ポランスキーは、あなたは映画の中の役柄そのものだったと言明しています。
ロマンがそんなこといったのなら、それは映画の巧みな宣伝ね。ロマンがそんなに調子よく行ったなんて思わないわよ。あたしはそんなに神経質じゃないわ!
少しはそうでいらっしゃるんですか?
少しは・・・ほかの人みたいなものよ! パリに住んでいる他の人たちのようなものだわ。
あなたのお顔はまさに落ち着いていて穏やかですが・・・。
そんなことないわよ!
(つづく)