このような本を図書館から借りてみました。2002年の古い本です。
著者の村野薫氏は、犯罪や死刑関係について詳しいライターです。氏の本は、何冊も読ませていただいております。この本は、発売時までの戦後日本で起きた大量殺人事件について簡潔に記した本です。したがって、昨今日本を騒がせた大量殺人事件である京都アニメーション放火殺人事件、北新地ビル放火殺人事件、相模原障害者施設殺傷事件などの大量殺人事件は当然ながら収録されていません。この本が出版された前の年の2001年に、附属池田小事件が起きていますので、あるいはそれが、この本の出版のきっかけの1つではあったのかもしれません。なお池田小の事件は、被害者8人です。
それで、私が「なるほどねえ」と思ったのが、「まえがき」にあるこちらの記述です。
>単純に被害者数の多さの順に選んでいったが、五人以上としたのは、偶然にもそれが本書収録の分量にかなっただけであり、特別な意味はない。
ただ、仮にこれを四人以上とすると、事件件数は一挙に膨らむ。つまり、わが国ではそのあたりに複数被害殺人のひとつのボーダーがあるということを予想させる。(p.3)
つまりこの本には、永山則夫連続射殺事件は収録されいないわけです。永山事件は4人の被害者です。なお永山則夫氏は、このブログでも繰り返しご紹介し、この本にも収録されている夕張保険金殺人事件の2人の夫婦の死刑囚と同日の1997年8月1日に死刑が執行されています。夕張の事件では、焼死したのが6名、ほかに消火作業中の消防士が1人殉職しています。本では、6名の殺人として収録されています。なお村野氏の文章にある
>わが国では・・・
というところは1つの注目すべき点であるかと思いますので、この件について後でまた取り上げます。
さてここで、読者の皆様に問いかけたいことがあります。正解とかということではありませんので、お考えになってご自身のお答えを頭に思い浮かべていただければ幸いです。あなたは、何人の被害者から「大量殺人」になるとお考えでしょうか。
私の個人的な意見を申し上げますと、4人からというのが大量殺人になるかなと思います。あるいは「5人」というほうが、村野氏の指摘にあるように妥当なのかもですが、4人というのは私にとっては大量殺人の範疇に入るものではないかと考えます。
実際、3人殺しでは、裁判で死刑を免れる可能性があります。たとえば1994年のつくば母子殺人事件では、求刑は死刑でしたが、無期懲役が確定しています。この事件では、医者である夫が、奥さんと子ども2人を殺害しています。しかし4人殺しですと、なかなか無期懲役になりません。精神に問題があるとかでないと、ほぼ死刑になりそうです。
ただ被害者3人、4人、5人ですと、だいぶ印象も異なるのも事実かと思います。4人というのは、「大量殺人とはいいかねる」というご意見があるかもしれませんが、5人となるとほぼ大量殺人というコンセンサスが得られるのではないかと思います。
ただ大量殺人といっても、①一度に不特定の人間を殺害する事件、②ある程度の時間の間隔をとって複数の人間を殺害する事件、③家族を一度に殺す事件など幾種類かありますし、極端な話連合赤軍のように仲間をリンチして殺したような事件や、新左翼の内ゲバで一度に5名の死者が出た事件(1980年)もあります。なおこの事件については、事情は不明ですが、本には収録されていません。それらによって犯人の態様も異なります。ほかにも大規模なテロ事件として、三菱重工爆破事件や地下鉄サリン事件など。
①では、テロ事件のほか、前述の京都アニメや附属池田小事件や秋葉原通り魔事件、武富士弘前支店強盗殺人・放火事件や宇都宮宝石店放火殺人事件 などがそうでしょう。②に関しては、大久保清事件、勝田清孝事件、古谷惣吉連続殺人事件、西口彰事件、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件などがそうでしょう。私たちが印象に残る殺人事件は、たぶんこのタイプでしょう。①はすぐ逮捕されることがおおいので、ある意味社会に恐怖は少ないことが多い。③については、村野氏も
>(前略)あらためてその全容がわかるとともに、大量殺人にたいするイメージの変更も必要となってきた。
まずそのひとつは、思いのほか家庭内殺人が多いということである。(p.4)
と指摘されています。これは、かつての日本が大家族だったということもあります。が、最近のように、核家族、さらには独居者が増えていますと、昔のような家族内の大量殺人事件というのは起こりにくくなっているかと思います。これは、村野氏も指摘されています(p.32)。家族内殺人事件でなく未解決事件ですが、被害者4人の世田谷一家殺害事件や、これは少年事件と死刑事件として話題となった市川一家4人殺害事件といった4人が犠牲者というのが最大限でしょうか。なお上でご紹介したつくばの事件や私が拙ブログで繰り返し紹介している宮崎家族3人殺害事件は犠牲者3名です。これらの事件は、世田谷と市川の事件も、犠牲者が5人に満たないので、本では直接には紹介されていません。コラムでの参考事件での扱いです。
ところで先日『ニトラム/NITRAM 』という映画を観ました。これは、1996年にオーストラリアのタスマニア島で起きたポート・アーサー事件をモデルにした映画で、犯人の人物は、35人を殺害、15人を負傷させた末逮捕、オーストラリアは死刑制度がないので35回の終身刑を受けて、現在も服役中です。
犯人の人物は、いろいろ問題行動の多かった人物のようで、そういう点では、京都アニメーション放火殺人事件や北新地ビル放火殺人事件、附属池田小事件などと相通じるところもあるかと思います。ただこれも何回も同じようなことを書きますが、さすがにこの犯人の人物も、最初に人を殺すまでは、そこまでひどい人間ではないわけで、たぶん事件を起こす直前だか前のどこかの時点で、人格が変わったのでしょう。上にとりあげた大久保清だって、最初に人を殺すまでは、たしかによろしくない行動多数の人物ではありましたが、あそこまでひどいことをする人間ではない。
映画の中で、主人公が、自分が事件を起こす直前にスコットランドで発生したダンブレーン銃乱射事件(日本語版のWikipediaはないので、日本語の参考サイトがこちら。英語版もどうぞ)の報道に接するシーンがありまして、それがご当人の犯行に影響があったかどうかは定かでありませんが、ともかく銃の所持が容易だと、大規模な犯罪が実に簡単にできてしまうことを痛感しますね。それでちょうど先日、またまたという感がありますが、また米国で事件がありましたね。
>米テキサスの小学校乱射事件 その日、何が起きたのか
2022年5月26日
A law enforcement officer stands outside Uvalde middle school
メキシコとの国境に近い米テキサス州の学校で起きた銃乱射事件の詳細が、明らかになりつつある。またも学校でこうした事件が起きたことに、アメリカ社会は動揺している。
テキサス州サンアントニオの西約130キロに位置するユヴァルディでは24日、ふだんと変わらない朝を迎えていた。
午前8時ごろ、町の中心部に近いロッブ小学校には、7歳から10歳までの児童約600人が登校していた。
夏休みを前に、最高学年の4年生の多くは、同校での最後の学校生活を楽しんでいた。
一方、町の反対側では、サルヴァドル・ラモス容疑者(18)が、アメリカ史上最悪レベルの銃乱射事件の始まりとなる発砲事件を起こしていた。
容疑者は先週、18歳になったばかりだった。その直後、半自動ライフル銃2丁を購入したとみられている。
孤独で、「問題の多い家庭生活」を送り、言語障害のためにいじめられたとされるラモス容疑者は、祖母を銃撃すると、銃と大量の弾薬を積んだ古いトラックで逃走した。
CBSニュースによると、祖母が発見されたのは、乱射事件の後、捜査のために彼女の家を訪れた警官によってだった。祖母は重体となっている。
車から出てきて発砲
警察によると、容疑者は町内で車を乱暴に走らせ、午前11時半ごろ、ロッブ小学校近くの側溝に車ごと突っ込んだ。近くにいた人たちが近づき、助けようとした。
「困っているだろうと思って、助けようと駆けつけた。すると彼が車から出てきて、発砲し始めた」。その場にいた1人は、スペイン語テレビ局のテレムンドに話した。
テキサス州公安局のエリック・エストラーダ氏がCNNに語ったところでは、ロッブ小学校で勤務する警官1人と、ユヴァルディ警察当局の警官2人が、容疑者に向けて発砲した。しかし、容疑者を止めることはできず、応援を要請したという。
ソーシャルメディアに投稿された動画には、黒い服を着た人物がライフル銃のようなものを持って、学校の側面ドアに向かって駆けていく様子が映っていた。
容疑者はその後、4年生の教室に押し入ったと、テキサス州公安局のクリス・オリヴァレス広報官はCNNに述べた。
やがて警察が現場に到着。容疑者は教室にバリケードを築き、警察との対決に備えたという。
そしてその場で、子どもたちは「恐ろしく、理解しがたいが、撃ち殺された」。テキサス州のグレッグ・アボット知事は、そう説明した。
この事件の死者21人はのちに全員、この教室で発見されている。
子どもを守ろうとした教員も
発砲が続く中、教員らは子どもたちをカーテンの後ろに誘導した。みんなで身を縮め、とにかく容疑者の気を引かないよう努めたという。
教員の1人、エヴァ・ミレレスさんは、児童を守ろうとして撃たれ、死亡した。
アドルフォ・ヘルナンデスさんは米紙ニューヨーク・タイムズに、乱射があった教室の近くの教室に、おいがいたとし、次のように話した。
「彼は実際に、小さな友だちが顔を撃たれるのを目撃した」、「(友だちは)鼻を撃たれて倒れた。私のおいはショックで打ちのめされた」。
目撃者によると、銃撃が始まると窓をよじ登って外に出て、近くの葬儀場に逃げ込んだ子どもたちもいた。
また、教員2人に先導されて校舎から脱出し、学校裏の木の陰に隠れた子どもたちもいたとされる。
テキサス州公安局は、容疑者との銃撃戦で警官2人が負傷したと明らかにした。
虐殺事件がようやく終わったのは、午後1時過ぎだった。付近にいた国境警備隊の警官が、容疑者の頭部を撃った。州当局によると、警官らは容疑者を隣の教室へと追い込み、最終的にはその教室に踏み込んだという。
警察によると、容疑者が校内にいたのは1時間ほどだった。
学校ではその後、容疑者が所持していた30発入りの弾倉7個が発見された。
児童たちは、学校から約1.5キロ離れたコミュニティセンターに移動した。センター内には、血まみれの女の子や、けがを負った子どもや教員たち、泣き叫ぶ親などがいたと、米紙ワシントン・ポストはその場にいた人の話として伝えた。
悲しみに暮れる遺族
現場となった学校には、児童の保護者らが続々と駆け付けた。殺害された子どもの家族は、悲痛な叫び声を上げた。
リサ・ガーターさんは、息子のザビエル・ハビエル・ロペスさん(10)の死を悼んだ。
「かわいらしい10歳の小さな少年だった。ただ人生を楽しんでいて、今日こんな悲劇が起こるなんて考えていなかった」
現地テレビ局の記者は、ロペスさんの写真をツイッターに投稿した。
エインジェル・ガーザさんは、娘のアメリさん(10)が死亡したとフェイスブックに投稿した。
「愛するわが子が天使と空に上った。1秒たりとも無駄にしないでください。家族を抱きしめて。愛していると伝えて」
一部の保護者らは、死亡した子どもたちの身元確認のため、DNA鑑定への協力を求められた。
上の表は、
>アメリカで1991年以降に起きた銃による重大事件とその死者数。2017年にネヴァダ州ラスヴェガスで起きた事件が59人で最も多く、今回の事件は7番目とされる(出典:米連邦捜査局、ラスヴェガス警察)
とのこと。
この事件についてinti-solさんが記事を書かれています。
>米国の銃問題については、遠い昔にも記事を書いたことがありますが、いかに考えても銃器の社会への蔓延が、治安の悪化を招いていることは明らかです。そんなことは誰の目にも明らかなのですが、米国憲法が「武装権」を保証していること、全米ライフル協会という強力な圧力団体が銃規制に反対していることから、微々たる銃規制しか行われていません。学校での銃乱射も今回が初めてではなく、今回を上回る惨事も起こっています。それでも変わらなかったのだから、今回も変わらないのだろうと思います。
>幸いにしてこの日本では、市民に武装させろとか、(猟銃以外の)銃器の所持を合法化せよ、というような意見は一般社会にほぼありません。色々な欠点のある国ではありますが、銃器が社会にはびこっていない、というのは、日本の大きな美点であると思います。
まさにおっしゃる通りですね。村野氏も、
>また通り魔的な無差別殺人は、薬物中毒や病的幻覚症状にまつわる発作的犯行や、社会に対する敗北感・疎外感・被差別感背景として起こされる近年とみに多い大量殺人の一パターンだが、これも外国とはひと桁規模が違う。
(中略・米国での事件の例の紹介。)
(前略)十人以下の殺害事件ならザラにあるといっても過言でない外国、とくにアメリカに比べ、日本では二〇〇一年六月に大阪・池田小で起こった八人殺害がこの種のケースでの最多例で、三人殺害でも十分に十指にはいる規模である。
むろんこの差は、凶器に銃器が使われているかいないかの違いにすぎない。したがって、仮にわが国でも今後銃の使用が一般的になれば、いままでの金属バット事件やバタフライナイフ事件、包丁通り魔事件なども、すべてが銃乱射事件に一変して、もっと大量殺人は”身近”になるだろう。(p.32~33)
とご指摘になっています。これは20年前の記述ですが、inti-solさんもお書きになっているように、現在日本で、銃規制を緩和しろ、米国並みとまではいわずとも、より攻撃的な銃器の所持を許可するようにしろという意見は、皆無とまではいわずとも、ほぼ日本では聞かれません。
ただ日本の場合、けっきょくガソリンなどを利用した放火が大量殺人の武器となっていることが現実ではありますね。ガソリンですと、実に容易に大量の人を殺すことができるので、危険でしょうがない。ただガソリンというのも社会に必要なものですから、販売を停止することもできない。販売の方法を規制はしても、限界がある。
ともかく日本における大量殺人の極端なものは、
>社会に対する敗北感・疎外感・被差別感背景として起こされる
というものかなと思われます。京都アニメーション、大阪での精神科クリニックでの放火、池田小学校、秋葉原の事件などはまさにそうでしょう。公安事件はまた違うし、相模原の事件はそのような要素がありながらも、やや性質が異なるのではないかと思います。が、今後も日本のどこかで起こりうる大量殺人事件は、そのような性質のものが多くないか。そうえいば小説や映画、テレビドラマなどのネタにもなっている津山事件(加茂の30人殺し)も、その性質の事件ではないかと思います。『ニトラム』の事件なども同じ性質がありそうです。よくわかりませんが。
すみません、だいぶ散漫な記事になりましたが、人間の狂気みたいなものが爆発した際、このような事件は起きます。これは古今東西を問わないでしょう。公安事件などもそうでしょうが、公安事件ほどの正当性もない無茶苦茶な大量殺人は、いつかどこかで起きます。そんなものにかかわらないに限りますが、しかし遺憾ながら自分ではどうしようもないこともあります。そんなことを考えて、この記事を終えます。なお村野氏とinti-solさんの感謝をいたします。