先日浜松と名古屋に行きまして、往復で本を2冊読みました。文庫本(あるいは新書本)で5冊もっていくということは、今回はしませんでした。
旅行の最中にどういう本を持っていくかということを考えてみる写真の大きさは、Amazonの写真をそのままいただいたものですので他意はありません。
どちらも面白く読みましたが、今日は河井案里の本について。
この本は、ライターの常井健一氏(「つねい」でなく「とこい」と読むとのこと)が、河井案里本人と家族(両親)、さらには周辺のさまざまな人物へのインタビュー取材で、河井案里という人物に迫った本です。
1973年に、宮崎県延岡市に裕福な家庭の次女として誕生した彼女は、宮崎大学附属幼稚園、宮崎大学附属小学校、宮崎大学附属中学校、宮崎県立宮崎大宮高等学校といった地元の裕福で勉強のできる子どもが通るコースを渡り、AO入試で慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、同大学院政策・メディア研究科修士課程を修了し、1999年に海洋研究開発機構、2000年に科学技術振興事業団(現、科学技術振興機構)に勤務したあと、元科学審議官であり当時事業団の専務理事を務めていた沖村憲樹から、当時落選中で浪人の身分だった河井克行を紹介されます。案里を気に入った克行は、積極的にアプローチ、2001年に結婚します。
その後の河井案里の政治家履歴を表でご紹介します。Wikipediaからのものです。
いわゆる世襲政治家でない克行は、1993年に執行された第40回衆議院議員総選挙に旧広島1区より立候補するも落選、96年の第41回衆議院議員総選挙に広島3区より立候補し、初当選します。しかし2000年の第42回衆議院議員総選挙で小選挙区で落選、比例復活もならず浪人となります。この時期に彼は、案里と知り合い結婚したわけです。2003年の第43回衆議院議員総選挙に比例中国ブロックから単独3位で立候補し当選して浪人の立場からは解放されますが、比例ですから力を発揮できません。それ以降は、2005年、09年(比例単独)、12年、14年、17年のすべての選挙で当選しますが、いかんせん金がなく、いろいろ苦労したり、恩のある人にも不義理をするなど、どうも地元での評判はよろしくなかったようです。いろいろ話題になった秘書らへのパワーハラスメントも、どうもそういった状況でさらに彼の人間性が悪くなった部分もあったのではないかと思います。実際案里の実家にも、ろくな態度ではなかったようです。
それで克行は、どうも案里の県議会議員の歳費も、自分の政治資金としてあてにしていたくらいらしい。河井案里自身子どものころ大要宮崎県知事になりたいといっていたくらいで、政治には興味のある女性でした。
それはそうなのですが、29歳で地元の人間でない彼女が県議会議員に立候補し、30代半ばで知事選に挑戦、また県議会議員に復帰し、さらには40代半ばで参議院選挙にチャレンジするというのも、だいぶ急いだところがあるなと思いますが、どうも私の見たところ、河井案里が、非常に政治家としても急ぎ足で落ち着かなかったのは、河井夫婦に子どもがいなかったというのが一因のように思います。子どもがいれば、さすがに河井案里も、このような大急ぎの政治家人生は送らなかったと思います。
そういっては身もふたもないですが、子どもの有無は、その人の人生を大きく左右します。河井夫婦は、もちろん微妙な問題ですからいろいろな側面はあるでしょうが、どうも案里のほうが妊娠が難しい状態だったらしい。それは仕方ないですが、子どもがいないから、克行も案里にいろいろ期待したしまた案里もそれにこたえたところがあるはず。子育てほかに忙しかったら、とても上にあげたような政治活動は難しかったでしょう。たぶん知事選には出馬は無理ではないか。そしてやはりなかなか参議院選挙への出馬も難しかったでしょうね。あるいは出馬したかもですが、子どもがいたら、上の表のような政治家キャリアを続けるのは難しかったでしょう。
そしてたぶん子どもがいないのが、彼(女)らの政治家失脚の要因となった買収だけでなく、それ以外の政治活動の暴走にもつながったのでしょうね。それだけではないですが、それがなかったとは考えにくい。子どもがいれば、多少なりとも人間は慎重になります。いい悪いはともかくです。やはり子どもに対する負い目みたいなものもある。この2人がそれを持たなかったのは、大胆に行動ができるなど、それは彼(女)らの強みでもありましたが、最終的にはそのような慎重さの欠如が2人の首を絞めたわけです。
それで似たようなことが、私が繰り返し記事にする元予備校講師である佐藤忠志氏にもいえそうです。佐藤氏が、家をリバースモーゲージのような形で売った最後の1億円で高級車を買うというような無謀なこと、馬鹿につける薬はないといわれても仕方ないような暴挙をした背景にも、彼に子どもがいなかったということがあったのでしょうね。って、彼には奥さんがいたのでその人のことを考えなければいけないのですが、1億円をもらった時の彼は、完全に気が狂ったのでしょうね。子どもがいたら、子どもも佐藤氏の暴走をある程度押しとどめられた可能性もあったのでしょうが、子どももいず、たぶん奥さんにまともな人権などを考えていたなかったのだろう佐藤氏は、奥さんとの今後の生活のことなどろくに考えもせずに高級車を購入して、それで奥さんから(当然ながら)逃げられてしまい、失意のまま生活保護受給者になり酒におぼれて孤独死してしまったわけです。また
金をためられる人、財産を残せる人は、けっきょく金にシビアなのだと思う(追記あり)の記事で紹介した、歌手崩れの男に全財産を貢いで生活保護受給者になり、脳出血で意識不明で寝たきりになって死亡した女性も、子どもがいなかったようですね。子がいれば、まだ彼女の暴走を押しとどめることもありえたのかもですが、あまり親類との関係がよくなく、どうも遺産も親類にあげる気もなかったようです。実際には全財産を男に貢いで使い果たし、関係の悪かった甥か誰かに介護してもらったみたいですが(笑)。いや、笑っちゃいかんですね。どっちみち他人事だから笑えます。
いえ、もちろん子どもがいれば、暴走はしないというものではありませんよ。このブログでもしょっちゅうとりあげている夕張保険金殺人事件の犯人である暴力団夫婦には、子ども(2人の実子と双方の連れ子)がいたようです。が、子どもがいれば、多少なりとも暴走の抑止になるというのも事実でしょう。
それで、世の中大量殺人などのきわめて重大な犯罪をする人たちは、公安事件などはまたちがいますが、これといった目的の見えない大量殺人事件の犯人などは、明らかに家族関係が悪いですね。家族間の殺人事件は一応別に考えるとしても、附属池田小事件の犯人の宅間守などは、Wikipediaによれば
>宅間の父親は、家に生活費を入れずに、家族の前で包丁を振り回す暴力や、酒ばかり飲んで家族全員に対して激しい暴力をふるっており、宅間自身も父親から虐待を受けて育った(なお、父親自身も育児放棄されて育っていた様子である)。宅間は暴力をふるう父親を憎悪し、寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともあると述懐している。宅間が自衛隊を退職して非行に走るようになると親子関係はさらに悪化し、取っ組み合いをして父親が宅間を何度も石で殴打する出来事もあった。事件後、父親は宅間のことを「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」と評している。
宅間の母親は、家事、育児が苦手であり、家事のほとんどは父親が担当し、一種のネグレクト状態であったと指摘される。宅間を身ごもった時、母親は妊娠を喜ぶ父親に対して「あかんわ、これ、堕ろしたいねん私。あかんねん絶対」と語っていたという。また、母乳をあげることも嫌がっていたことからも分かるように、宅間の母親は宅間には全く愛情を注がなかったうえに、宅間が中学を受験する際には、「お前なんか産まれてこなければよかった」と罵詈雑言を浴びせられたと、事件後に宅間のマンションから押収されたノートに書かれていた。
宅間は両親に対して、けんかをした際に「ヤクザを使ってお前らの生活滅茶苦茶にしてやる」「死ぬまで苦しめてやる」と語っていた。
宅間には実兄が一人いたが、破綻した実弟の存在に心を病み、起業の失敗と偽って小刀で首を斬り、40歳代前半のときに自殺している。宅間の母親も長期に渡って心を病み、精神科に数十年以上入院生活し、2016年(平成28年)末に死去している。父親は事件後酒乱となり入院していたが、獄中の宅間は「宮崎勤の父のように自殺して欲しかった」と語っている。その後宅間の父は2020年(令和2年)4月に88歳で亡くなり、父が独りで住んでいた伊丹市の実家は同年9月に取り壊された。2021年6月現在、跡地は更地になっている。
という状況です(注釈の番号は削除)。また、これは私も知らなかったのですが、inti-solさんの記事で知ったところによると、京都アニメーション放火殺人事件の犯人は、父親と兄、妹が自殺したらしい。こういったところが、犯人の精神をさらに悪くしたことは推して知るべしのたぐいでしょう。inti-solさんの記事と、引用されている記事をご紹介します。
負の連鎖 (inti-solさんの記事)
《京アニ放火事件から3年》両親は不倫の末「駆け落ち婚」も離婚… 凶行に及んだ青葉真司被告の“特殊な家庭環境”とは?
「5人家族のうち父、兄、妹が自死。母親は離婚後は疎遠に…」 京アニ放火・青葉真司被告が陥った過酷な家庭環境“負の連鎖”
もちろんこういった日本犯罪史上に残るすさまじい殺人事件と、河井夫婦のしでかした買収事件とでは犯罪の次元は違いますが、家族というのが、犯罪などの抑止力があるのは確かで、そしてどうも河井家と案里の実家(前田家)との関係はよろしくなく、どうも克行の義理の親らに対する態度もよろしくなかったらしい。この買収事件は、克行の人柄や態度の悪さ、それこそ秘書らスタッフ以外にも、世話になった地元の関係者、一般の有権者、そして義理の家族にいたるまでそうだったという、河井克行のやや特異なパーソナリティがその大きな要因だったかと思いますが(以上の情報は、上の書籍より)、子どもがいないところが、さらにそういったよろしくない性格の部分を悪化させたように思います。河井案里の親は、彼女に繰り返し離婚をすすめたようですが、たぶん共依存の部分もあったのでしょう、離婚にはいたらず、いきつくところへ行ったということです。
子どもがいればいいというものでももちろんありませんが、やはり人間にとって無茶をするかしないかは、失うものがあるかないかですね。いや、どんな人間でも程度の差はあれ失うものはあるはずですが、失ってからひどく後悔する人間もいるし(例えば佐藤忠志氏)、自分の命すら惜しくないとばかりに、死刑を早く執行しろと要求してほんとに確定後1年くらいで執行された人物(宅間守)もいるわけです。しかしそれにしても子どもがいればいないよりは歯止めになります。そう考えると、やはりかけがえのないものがどれくらい自分の周囲にいるかということも重要ですね。こういってはなんですが、河井克行にとって、河井案里って、かけがえのないものというより、自分にとってきわめて都合のいい武器、道具っていう部分があったのではないか。彼にとって河井案里が本当にかけがえのない存在であったら、たぶん違った扱いになったのだろうなと思います。そのあたり案里のほうはどう考えているのか、あるいはいたのか。いろいろ興味深いところです。