以前ちょっと調べごとをしていて、とある女性の闘病記を読んだことがあります。14人子どもを産んだという福岡県在住だった江口登代香さんという人で、彼女は1981年に乳がんで亡くなっています。私は詳しいことは知らないのですが、当時はけっこう有名だった方みたいです。
小学館の女性週刊誌「女性セブン」が連載記事にしたそうで、それが2冊発売されました。1980年と1981年です。
生きてん母ちゃん―14人の子の母がん闘病記
生きてん母ちゃん〈続〉
なお、兄弟でタイトルマッチを行ったというので話題になったことがある元ボクサーの江口兄弟というのは、実は彼女のお子さんです。
時代が違うので、いまだったらとても書けないようなこと(夫のDVとか)がかなり詳細に記されている闘病記なのですが、読んでいてそういう話じゃないだろと思ったくだりがあります。
つまり、江口さんは、結婚しても賭博や酒、女に狂っている彼女の夫(つまりそういう話も詳細に書かれているわけです)が自分に振り向くように(更正してほしいと願って?)子供を生み続けたというのですが、たとえばこのようなことを語っています。「続」のほうからです。
>それにね、思うとですが、離婚するとかなんとかちゅうのは暇がありすぎのとやなかやろか。ウチには考える暇がとにかくなかった。なしてこんなに苦労が多かとやろかち考える前に、明日、買う米代の工面ばせないかんやったもん。とにかく子供たちに食べさせるお金をどこからつくるか。主人は給料入れてくれんやったでしょう。衣食住のうちの食がなかなかね、ありつかんやったもん。(p.36)
で、江口さんのお子さんは、最初の3人は高校へも行かず就職しました。
これを読んで、いくらなんでもひどいと私は思いました。それは、あなたはそれでもいいかもしれないけど、子どもたちがかわいそうじゃないか。子どもを産むんだったら子どもたちの食事くらいはきっちり食べさせてあげなければいけないし、また学校だって高校くらいは行かせてあげなければかわいそうでしょう。この本が書かれた1980年ごろだって、大学はともかく高校は誰だって行っていた時代だったんだから。
しかし、当時は(今でも?)こういう話が美談だったんですかねえ…。こんなこと言っても仕方ないけど、親は子どもを選べないというのとおなじように子どもだって親は選べません。なにもものすごい金持ちの子供に生まれなくてもいいけど、学校も満足にいけない、食事もひどい、って、そんなん子ども生んで育てる権利ないよって思いました。それなら失礼ながら、養護施設に預けたほうがよっぽど子どもの人権だって確保されたんじゃないかという気すらします。
事実、とんかつ屋に住み込みで就職した3男の人は、次のように語ります。
>引っ越してから友人がひとりもできない。ほんとうはみんなと同じように高校に行きたかった。1日10数時間、立ちっ放しの仕事は辛い。辰二郎くん(引用者注:兄)のように朝8時半から夕方5時までと、時間が一定していない。帰宅は11時を過ぎる。休みも月2回しかない、給料が安い。自分の時間が全くない。みんなと同じように遊びたい…。(p.133〜134)
なんだか読んでいてあまりに気の毒になってしまいました。でもこの労働条件て、労基法の観点から見ても、問題はないんですかね? まだ中学校を卒業したばかりの少年ですよ。
子どもってのは、産んだんだったらそれなりに責任があるだろ・・・・っていう気がするんですけどねえ。