このブログでは、かなりの回数、元予備校講師で最盛期年収2億円あったと自称していたにもかかわらず、奥さんにも逃げられて生活保護受給者になり、孤独死した佐藤忠志氏について記事を書いています。佐藤氏が主要なテーマでなくても、彼に言及している拙ブログの記事については、こちらにリンクします。
それで佐藤氏を最終的に奈落の底に落としたのは、彼が、自宅をリバースモーゲージのような形で売却し、それで1億円の車を購入しようとしたことです。そんなの(車のセールスマン以外)誰が賛成するのかと思いますが(セールスマンだってさすがに、大丈夫ですかくらいの確認をしたくなるのではないか)、こちらの記事によれば
>中年に差しかかったころ、脳梗塞や心筋梗塞と立て続けに病気を患った佐藤さんを、妻は献身的に支えていた。だが、収入が激減しても変わらぬ佐藤さんの放蕩ぶりについに愛想を尽かし、ある日突然出ていったという。2年半ほど前のことだ。
ということだし、彼がまともに応じることのできた最後のインタビューだと思われる死の前年でのスポーツ報知の取材では、
>妻との喧嘩の原因の1つが、趣味の車だった。CMC社のティファニークラシックを「人生最後の愛車に」と購入した。
「1億。めったにないですよ。日本で1台しかない車ですから。米国で1億3000万って言っていたのに、目の前で1億積んだらOKというのでね」
ちょうどその時期の自身のフェイスブックに「糞ばばに入院中に解約された。私の趣味は日本刀と車。(中略)もう私には趣味は無い。生きる甲斐、目標が無い。(中略)自殺では妻の世間体が悪い」などと記し、その後、更新をストップ。安否を心配する書き込みなどは放置されたまま。妻をのろけることもあったブログもやめてしまっている。
趣味の暴走は、熟年夫婦の亀裂になった。
「女房が反対したからですよ。勝手にキャンセルしちゃったんです。結局? 買いました。大きなケンカに? 私から車を取り上げよう、取り上げようとするから…」
車は生きがいだった。
「リンカーン・コンチネンタル、キャデラックのフルサイズ、ベンツのオープンカー、ロールスのターボに乗ってきました。今のティファニーは私にとって息子のようなものです」
とあります。さらにどうも晩年の佐藤氏は、
>「よく言っていたのは『こうなったのも全部オレが悪いから仕方ないよな』と。もとから、奥さんの悪口を言うのは聞いたことがありませんでした。
自分が悪かったというのは重々わかっていたと思います。ごくたまに奥様が訪ねてくることがあったようで、そのときは嬉しそうに話していました」
と言っていたらしい。なんだ、ぜんぶわかってんじゃんと思いますが、これは明らかに同情すべきは佐藤氏の奥さんであり、佐藤氏には全くと言っていいほど同情すべきでもないでしょう。
で、それは「佐藤氏が悪い」で話が決着するとして、佐藤氏が、そこまで非常識なことをした背景を考えると、彼の強い発達障害は明らかとして、どうも彼はすでにその時点では、我慢ができない精神状況だったのかなという気が最近してきました。つまり佐藤氏は、あるいは飲酒を原因とすることで、認知症かそれに近い状況で、前頭葉あたりが委縮して、我慢ができなくなっていたのではないかという気がします。こちらの記事では、
>連日大量の飲酒を続けていると、脳細胞は徐々に縮んで「脳萎縮」の状態になります。
脳萎縮は、物事の判断や意思決定を司る前頭葉で起こるケースが多いです。前頭葉が萎縮すると、理性的な判断ができなくなっていきます。
こうしたアルコールの大量摂取による脳の萎縮が原因の認知症は「アルコール性認知症」と呼ばれます。
とあります。
佐藤氏はすでに亡くなっているので、どっちみち確認はできませんが、死の何週間か前の彼の様子を見ると、明らかに彼はこの時点では相当に脳がやられていますね。彼の姿は、こちらの記事を参照してください。
ちょっと正直絶望的な気分になってしまった(元予備校講師である佐藤忠志氏の死について)(10月9日発表)こういうことを書いてはいけないのかもですが、発達障害と認知症のダブルパンチになったら、これは正直行動の抑制はきわめて難しいですね。佐藤氏は、スポーツ報知のインタビューでは、自分の奥さんへのDVを否定していましたが、これもかなり怪しいものです。というか、私はあったと思っています。
私のそんな個人的な意見はさておき、世の中無謀な散財をする人間の中には、認知症をふくむ精神疾患や発達障害の人間が多数いるので、そういう人間の散財を抑制するのも困難ですが、やはりしないといけないところがありますね。ただ人間、犯罪をする自由はとうぜんありませんが、馬鹿をする自由は、それが法に引っかからない限り行使が可能ですからね。佐藤氏は、1億円の車を買ってからは、どうも周囲とも付き合いを断ったようですが、それは落ちぶれた自分を見せたくないというような彼の事情ばかりでなく、彼と付き合っていた人間たちも「とても見ていられない」と感じた部分もさすがに大きかったはず。私は、スポーツ報知が、彼の言い分を垂れ流したことを良くないと思いますが、書いた記者も、「そうとうまずいな」と思いながらあの記事を書いたはずです。事実こちらの記事では、
>記事にすることを一瞬ためらった。それでも、ありのままの「今」の姿を伝えることで、かつての金ピカ先生にお世話になった生徒さんたちが心配してまた集まってくるような、そんな思いも込めてインタビューをまとめた。「お座敷」と呼んでいたテレビ出演も、近況報道がきっかけになってオファーがあればと思っていたが、その後、先生のその後が伝わってくることはなかった。
とあります。これを書いた記者さん(佐々木良機氏)も、たぶん本気でテレビ局やかつての生徒が佐藤氏に連絡を取るとは考えていなかったのではないか。おそらく「あわよくば」「せめてもの」だったのでしょう。現実問題として、この時点で、生徒はまだしもテレビ局がまともに取材ができる状態とは、とても思えない。
本来なら、生活保護受給になった時点で、煙草と酒をやめて、新たな自分になることが必要だったのですが、そういうことをこの時点での佐藤氏に求めるのはできない相談でしょう。まさに典型的セルフネグレクトになってしまった。どうしようもないとはこのことです。
今日もろくでもない記事ですが、やはり佐藤氏のようにはなりたくないと心から思いながら記事を終えます。