昨日(4月19日)なんてこともなくWikipediaの「木村愛二」の項目を開いてみたら、あーらでした。木村って、2020年に亡くなっていたんですね。
Wikipediaには、彼の死んだ際の状況などは記されていないのでどうしたものかなと思い検索してみて、こちらを読んでみました。フリージャーナリストの山岡俊介氏が主宰するメディアのサイトです。
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2021.2.19 21:57
<お知らせ>フリージャーナリスト・木村愛二氏が死去
フリージャーナリストの先駆けで、『噂の真相』(休刊)の執筆者でもあり、特に国際問題に詳しく、巨悪に挑み、何事も自分の頭で考え行動し責任を取り、小なりといえど自分のメディアを持っていた、大先輩の木村愛二氏(冒頭写真)が昨年12月17日、死去していたことがわかった。享年84。
本紙・山岡は2004年4月に木村氏が創刊した、『噂の真相』を真似たと思われるタイトル名の雑誌『真相の深層』(季刊。=下右写真)へ、首相になる前の安倍晋三氏の疑惑など寄稿させてもらった関係で面識を得たものの、木村氏はすでに02年に脳梗塞を発症しており、それから徐々に体調を崩し、08年ごろから実質、引退を余儀なくされていたという。
父の転任先の山口県生まれ。防衛大学校(三期)中退。東京大学文学部・英文科卒。1961年日本テレビ入社。編成局編成部・広報部・調査部勤務を経て退社後、フリージャーナリストに。
日テレ在籍中、労組活動に熱心で、経営陣と対立。72年、出勤停止処分となり解雇に。もっとも、法廷闘争を展開し88年、和解で日テレを退社している。
99年1月WEB雑誌『憎まれ愚痴』創刊。同HPは現在、別人が管理してくれており、木村氏の活動の軌跡をそこで再確認することが出来る(*ココをクリックのこと。問い合わせ先altmedka@jca.apc.org)。
記事中、そこまで木村なんぞを高く評価するかと呆れる記述がありますが、それはさておき。Wikipediaを読んでいて「おや」と思ったところが。
>木村書店代表
と彼の肩書がありまして、「木村書店」なるところは、Wikipediaによれば、彼の編著書紹介によれば、
>『9・11事件の真相と背景』(木村書店)木村愛二編著・三浦英明共著、2002年
『イラク「戦争」は何だったのか?』(木村書店)2003年
『外交官惨殺事件の真相と背景』(木村書店)2004年
『アフリカ大陸史を読み直す』第1巻 古代文明の母 第2巻「火砲」の戦国史(社会評論社)2007年
『湾岸報道に偽りあり』(木村書店)2004年
『ヒトラー・ホロコースト神話検証』(木村書店)2006年
『9・11/イラク戦争コード』(社会評論社)2006年
『社会主義に暴力と憎悪を導入した カール・マルクスの大罪 社会改革の道は労働組合が開く』(木村書店)2010年
とありまして、どうも21世紀になってから彼は、自分の会社から本を出版するようになったようですね。つまりは、理由はともかく、どこの出版社も、彼の本などを出すのを嫌がったということでしょう。もっとも「社会評論社」などという出版社がなぜ木村の本なんぞを出したのかは不明です。
ところで私は、このような記事を書いています。
2か月弱死が伏せられていたのだから、立花隆もたぶん世間的には「過去の人」だったのだろう(外地・旧植民地で生まれたり育った人たちもどんどん亡くなっている)そして木村のWikipediaを読んでいて、とつぜん「あれ、立花と木村って、わりと共通するところもあるな」と思ったわけです。「どこが」と思われるかもしれませんが、ジャーナリストであること以外にも・・・。
①同じ大学の同じ学部(東京大学文学部)出身である
②有力マスコミを早期退職、あるいは事実上仕事ができずフリーとなった(立花は文藝春秋、木村は日本テレビ)
③その死が公表(明らかになる)されるのが遅かった(これは、昨今、珍しくないことですが)
④引き揚げの経験がある
⑤だいたい同じ時期に亡くなった(立花が木村の5か月後くらいの死)
ということです。①~③と⑤は正直どうでもいいですが、④はけっこう興味深いですね。
Wikipediaによれば、木村は
>幼時を北京で過ごし、日本敗戦後の1946年に家族で中国から引き揚げた。大陸で、日本人収容所の収容所生活を経験している。
とのこと。立花も、
>1942年(昭和17年)、父が文部省職員として北京の師範学校副校長となったため、一家で中国・北京(当時は中華民国)へ渡る。
というわけです(以上立花隆のWikipediaより)。北京といっても広いですからそのようなこともないかもしれませんが、顔見知りとまではいわずとも、あるいはニアミスくらいならしているかもです。1937年の早生まれである木村と1940年生まれの立花では、仮に知り合ってもそんなに親密になるということもないでしょうが(’この時代の3歳くらいの違いは大きいですからね)、引揚者という共通点はあるわけです。
それで立花の死について書いた記事で、私は、
>立花隆は、戦前戦中に外地、旧植民地、「満州国」に生まれたり育った人たちの1人でした。そういう人たちの中で一番若いのが、1945年生まれの櫻井よしこあたりですかね。彼女は敗戦後の1945年10月26日に、フランス領インドシナ ハノイで生まれています。
1931年生まれで大阪出身の山田洋次は、2歳で満州へ渡り、日本への帰国もありましたが、最終的に1947年に大連から帰国しています。五木寛之は、1932年に福岡県に生まれ、まもなく日本統治下の朝鮮に渡り、最終的に1947年に引き揚げました。立花と同郷(水戸市)の梅宮辰夫は、満州国・ハルビンに1938年に生まれています。三船敏郎は1920年に中国山東省の青島に生まれました。彼は、1940年に陸軍に入隊して、広島の宇品港に招集され、初めて日本の土を踏んだのです。有名・無名たくさんの人たちが立花、赤塚、櫻井、そして山田や五木、梅宮、三船のような立場だったわけです。興味のある方は、Wikipediaの「日本の引揚者」を参照してください。
1945年生まれである櫻井よしこも今年76歳ですからね。まさにどんどん亡くなって行く時期ですね。山田洋次は今年90歳、五木寛之は今年89歳です。
と書きました。上に挙げた人たちとは知名度他大差がありますが、木村も引揚者の1人だったわけです。私は、木村が防衛大学校を中退したことは知っていましたが、引揚者ということは知りませんでした。立花の家がそうだったように、たぶんですが、木村の家も優秀な家系だったのでしょう。山田洋次などもそうです。
それにしても、木村は絶対そういうことを認めないでしょうが、彼、あるいはその信奉者、仲間ほかがどれだけ言い訳、強弁、かばおうとしても、つまりは彼が、 晩年自分の会社でばかり本を出していたということは、彼の書いているものや意見がまったくといっていいほど評価されず、また相手にもされなかったということでしょう。それこそマスコミの幹部から一般読者からもです。ところで木村のWikipediaに、次のような記述があります(注釈の番号は削除)。
>なお、この事件以前、『週刊金曜日』の本多勝一編集長が、木村に対して「ガス室」を再検証する立場からの連載を依頼していた(これについて、木村は、本多から送られた執筆依頼のファックスを公開している)。しかし、『マルコポーロ』事件後、本多が『週刊金曜日』において西岡と木村を攻撃したことから、それまで友好的であった木村と本多の関係は悪化した。1999年に、ホロコースト否定論を批判する『週刊金曜日』の記事により名誉を毀損されたとして著者の梶村太一郎と金子マーティン、そして『週刊金曜日』を東京地方裁判所に提訴し、1000万円の損害賠償を請求した。1999年に請求は棄却となり、この際裁判所は「ホロコーストは世界にあまねく認められた歴史的事実」という認定を行っている。
本多氏も木村なんかとかかわって馬鹿だねえとしかいいようがありませんが、ただ彼って、こういうトンデモに弱いんでしょうね。でなければ、怪しい東洋医学の人物や、いかがわしい陰謀論を支持したりはしないでしょう。興味のある方は、下の記事をお読みください。
けっきょくこれらの本を読めば、本多勝一氏の東洋医学の本など根本から崩壊してしまう(高橋晄正氏の著書) 知名度の高い人がトンデモな主張をする場合、どっかの変な人物の主張をたれ流すというパターンがありそうだ あてにならない人間のデタラメな話を真に受けたり何ら批判しないから、こんな無様で無残な結果になる(本多勝一著『はるかなる東洋医学へ』) この人たち(本多勝一氏と進藤栄一氏)大丈夫かと本気で思った(デマ本を真に受けて、ルーズヴェルト陰謀論を本気で信じている馬鹿な人たち) 妙な陰謀論やトンデモ科学にはまると、なかなか逃れられない(ルーズヴェルト陰謀論についての入門書を読んで勉強したい)(追記あり)木村という人物も、反ホロコーストへのこだわり、ほとんどスラップ訴訟としかいいようがない本多氏や小泉純一郎氏への提訴といい、昔はそれなりにまともな人間だったのかもしれませんが、ある時期から精神が失調・変調したのではないかという疑いを持ちました。さすがにまともな人間なら、小泉氏への訴訟の際に、
>担当の原敏雄裁判官は「原告主張に係る被告に婦女暴行による逮捕歴があるとの事実は、伝聞にすぎず、確たる裏付けのないものであることが窺われる。このように、確たる根拠もないのに本件のような訴訟を提起して相手方に無用の負担をかけるのは、それ自体が不法な行為として責任を生ぜしめることになるので、この点を指摘しておく」と警告したが、木村の側では「形式上敗訴なれど主目的達成と波及効果で事実上の圧勝」としている。
なんていうことにはならないでしょう(木村のWikipediaより)。本多勝一氏らへの訴訟の際も、似たようなことをほざいたらしい。これでは、こんな人間が相手にされるわけがない。そうとなれば、彼の死がろくに報道もされないのもわかるというものです。私も検索しましたが、彼の死を報じたマスコミの記事を、現段階見つけていません。たぶん大抵の人間にとって、もちろん私にとっても、「かかわりあいたくない人間」「まともでない人間」「過去の人」「報じる価値もない」という判断だったのでしょう。そう考えると、彼の死を(ホロコースト否定論の部分は書かないで)報じた山岡俊介氏という人物も、ひどい人物です(苦笑)。最初の引用は、山岡氏本人が執筆したのではないかもしれませんが、彼のサイトだから彼も校閲はしているでしょう。山岡氏(ら)も、さすがに木村のホロコースト否定論は、紹介するとやばいという認識ではいたのでしょう。だったら、こんな文章書くなです。山岡氏は、木村にそれなりの恩義や義理があるのかもですが、だからといってこんな文章を書いていたら、最低の常識を疑われます。山岡氏には、そのような常識がないのかもですが、いずれにせよ世の中最低レベルの常識というものはあるでしょう。
木村愛二の冥福などを祈る気もありませんが、とりあえず今日の記事を終えます。