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政府 旧統一教会の解散命令 裁判所に請求の方向で最終調整
2023年9月30日 15時12分
旧統一教会をめぐる問題で、政府は、教団の解散命令を裁判所に請求する方向で最終調整に入りました。早ければ10月12日に宗教法人審議会を開き、請求について意見を聴くことを検討しています。
旧統一教会をめぐる高額な献金やいわゆる「霊感商法」の問題を受けて、政府は、宗教法人法に基づく質問権の行使や被害を訴える元信者などへの聞き取りなどを通じ、献金集めの手法や組織運営の実態などの調査を進めてきました。
その結果、政府は、教団の行為は宗教法人法の解散命令の事由にある「法令に違反し、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」に該当するとして教団の解散命令を裁判所に請求する方向で最終調整に入りました。
早ければ10月12日に宗教法人審議会を開き、請求について意見を聴くことを検討しています。
政府関係者は、「調査の結果、解散命令請求の要件としている組織性、悪質性、継続性を裏付ける客観的な証拠がそろったと判断した」と話していて、政府内で詰めの調整を進めています。
請求が行われれば行政機関が法令違反を根拠にした事例ではオウム真理教などに続いて3例目となります。
請求後は、裁判所が文部科学省と教団の双方から意見を聴いた上で解散命令を出すかどうか判断することになります。
解散命令が確定した場合、宗教上の行為は禁止されませんが、教団は宗教法人格を失い、固定資産税の非課税などの優遇措置が受けられなくなります。
一方教団側は、教団の活動には国が主張するような組織性、悪質性、継続性はなく、解散命令を請求する要件を満たさないと反論しています。
被害救済の弁護士「裁判官は適切に認定を」
元信者ら被害者の救済にあたってきた全国霊感商法対策弁護士連絡会が30日、都内で集会を開き、代表世話人を務める山口広弁護士は「私たちが30年以上主張してきた請求が、ようやくなされることになる。裁判官には、旧統一教会の組織的で継続的な極めて悪質な霊感商法による資金獲得の実態を適切に認定してもらいたい」と述べました。
また、被害者救済を確実に進めるためには、教団の財産隠しを防ぐ特別措置法が必要だとしたうえで「長年に渡る組織的で計画的な教団活動の最大の被害者は、かけがえのない人生をもてあそばれた信者たちだ。その人たちが、社会的な生活を送るためにどうすればいいかを考えていきたい」などと述べました。
だいぶ停滞している感がありましたが、さすがに解散命令ということになりそうですね。これはNHKの記事ですが、他もどこも似たような報道をしている。どうやら解散命令請求は決まったようです。請求を受ける東京地裁も、この件で「解散まかりならん」という判断はしないでしょうから、解散は確定したようなものです。
私はもちろん旧統一協会(以下「旧」は省略)などあらゆる点で支持・擁護をしませんが、しかし以前は、霊感商法などを批判する側に、「信教の自由」とかそういうことを持ち出して批判する人たちが(数が多いとは言いませんが)いました。しかし現在は、皆無ではないかもしれませんが、ほぼ見かけませんね。しかし昨年の7月上旬までは、政治家らも普通に連中と付き合っていたわけです。実際、生稲晃子は、Wikipediaから引用すれば、
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八王子駅南口での演説を終えたあと、生稲は、同席していた自民党東京都連会長の萩生田光一に連れられ、八王子市子安町の統一教会の施設「八王子家庭教会」に向かった。八王子家庭教会には150人ほどの信者らが集まった。司会者は期日前投票に行くことなどを求め、生稲と萩生田の入場を告げると、教会は拍手に包まれた。信者は『巨人の星』の替え歌で「行~け行~け~晃子~、どんと行け~」と激励。生稲は目頭を押さえ、萩生田は生稲の支援を要請した。二人は30分ほど滞在した。
という始末なわけです(注釈の番号は削除)。萩生田のような自民党の最高幹部が率先してそういうことをしているんだから、お話にもならないとはこのことです。
が、さすがに現状では、統一協会に直接かかわっている人間以外で、解散命令を否定的にとらえている人は見かけません。内心どう考えているかはともかく、とても関係を続けられるものではない、かばいきれるものではないと誰もが考えているということでしょう。その後どう統一協会が動くかはまた別の問題です。そして日本全体が統一協会に否定的な態度となる、それは当然ですが、そんな当然のことが長きにわたって通用しなかったのはどういうことか。NHKの記事で、山口広弁護士が、
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私たちが30年以上主張してきた請求が、ようやくなされることになる。
とおっしゃっている30年前というのは、1993年ごろに桜田淳子や山崎浩子らのかかわった合同結婚式’などで騒がれた時期です。山崎はほどなくして脱会しましたが、桜田は現在も教団にとどまり芸能界からは追放状態です。
でですよ、こんなん当たり前の話ですが、当時から、もちろんそれ以前から、統一協会の悪質さ、めちゃくちゃさ、自民党をはじめとする政治家との癒着などはこの問題に多少なりとも知識を持っていれば、誰だって知っている話です。もともと統一協会は、国際勝共連合なんてものを作っていて、冷戦下に保守与党である自民党に食い込み、日本右翼とも緊密な関係を保持することができました。しかし89年~91年にかけての東欧民主化・冷戦終結・ソビエト連邦崩壊といった時代の変化もあり、反共ではやっていくことが難しくなりました。また「霊感商法」などの悪徳活動もマスコミの批判が激しくなってきた。それでこのままではジリ貧必至とみた統一協会は、自民党の政治家への選挙協力や秘書派遣協力などを強化することによってさらに食いこみ、また性関係・家族問題での保守的な見解を前面に出すということで、これまた自民党の右翼系議員や日本右翼を喜ばせたわけです。さらには、もちろん悪徳商法やむちゃくちゃな献金強要で信者からしぼりとった金も、政治献金や政治工作その他として流れました。山上徹也被告の母親の惨状は、その一例です。そのように、統一協会というのは、自民党や日本右翼にとってはきわめて利用価値の高いものでした。そうである以上、統一協会の聖典である「原理講論」や表立っていない裏説法や教団の文書などでいかに日本が罵倒されていようと、そんなものは、統一協会をさまざまな点で保護することをやめる理由にはならなかったということです。つまりは統一協会の信者や関係者はていよく日本社会から見捨てられたわけです。
そしてこんなことは、2023年もいまごろになって問題視されて指摘されることではない。繰り返しますように、そんなことは昔から誰だって知っていることです。多少なりともこの教団についての知識があれば、それをどう評価するかはともかく、公知のことです。そう考えると、私が前にご紹介した大学教授のこのような発言とそれを報じる大新聞について、読者の皆さまはどうお考えになりますかね。
このような「正論」を述べても、山上容疑者ほからには、なんら心に響くものはないだろう>
(見出し)犯罪行為と同情心 区別を
東洋大学社会学部の桐生正行教授(犯罪心理学)の話
今回のような社会への影響が大きな事件では、世の中の閉塞感や政治への不信感によるいらだちを、山上容疑者への共感につなげている人も少なくないと思う。しかし、それは危険だ。犯罪行為と事件後に見えてきた背景を切り分け、社会に対する不信感や不満と容疑者の動機への同情心は意識して区別するべきだ。
引用は朝日新聞より。
上の記事でも書いたように、ここでの桐生教授の主張について「事実誤認」とか「妥当ではない」と主張する気は私はありません。彼の言っていることは「当然」「当たり前」のことでしかない。正直別に「専門家」ではない素人だって誰だって、そのくらいのことは簡単に言える程度のことでしかありません。
しかしですよ。けっきょく日本の社会は、このような安倍晋三が暗殺されるという事態になるまで、(理由はともかく)統一協会の問題に逃げ続けていたわけです。積極的に擁護している人間すらいた。統一協会にきわめて批判的な姿勢を示していたのは、上にご紹介した山口弁護士のような一部法律家のほか、浅見定雄氏のような一部反カルトの方々(キリスト教系の宗教家が多いでしょうが、そればかりではない)、および一部ジャーナリストくらいでしょう。桐生教授の談話を掲載した朝日新聞も、80年代あたりは積極的に統一協会に批判的な報道をしていたかと思いますが、これも(理由はともかく)なかなかそれが維持できなくなってきた。つまりは、きわめて遺憾な話ですが、反統一協会と統一協会を程度はともかく擁護する勢力では、統一協会を擁護する連中のほうがはるかに力が強かったということです。これではお話にもならない。どんだけ無法地帯、非常識、順法意識や人権意識が欠如しているのか。前にこんな記事を書きました。
社会常識、道理、正論、合理的解釈、法令順守、他人に迷惑をかけない、こういったことが通用しないと本当に迷惑だしどうしようもない(2)この記事でご紹介したのは、息子から金を無心されて、母親が勤務先から莫大な金を着服したという事件です。母親といい息子といいどんだけ馬鹿で非常識なのかと本気であきれ返りますが、しかしこの親子は、さすがに事件が発覚したら警察は逮捕しました。裁判でも実刑判決になり、たぶん確定しています。それ相応の刑罰かどうかは議論があるかもですが、ともかく警察も検察も裁判所も、それなりの役割は果たしたでしょう。
そしてそんな「当然」のことが、ぜんぜん通用しないのが統一協会ですからね(呆れ)。まさに
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社会常識、道理、正論、合理的解釈、法令順守、他人に迷惑をかけない、こういったことが通用しない
ということじゃないですか。これではとても「法治国家」なんて言えたもんじゃない。そして当たり前ですが、どっちの犯罪が悪質かといえば、千葉の母息子より、統一協会の方が比較にならないくらい悪質です。それこそ本多勝一氏のいう「巨大な犯罪ほど『合法的』である」という言葉そのものじゃないですか。これは、日本の歴史的な恥ですね。心の底からそう思います。それで、上掲の桐生教授は、こういった問題についてどうお考えなんですかね。
「それは自分の意見の趣旨と関係ない」とかいって逃げるのかもしれませんが、それ明らかに「逃げ」ですよね。日本の行政なり政治なりが統一協会の悪徳(法律上の犯罪ばかりでなく、上の拙記事の題名における「社会常識」「道理」「正論」といったことも入ります)についてそれ相応の対応をしていれば、当然山上被告も安倍なんぞ殺さなかったし、山上家も破産しないですんだし(ついでに書けば、山上被告も大学に進学できたでしょう)、生稲晃子だって、統一協会の施設にあいさつに行くなどという事態にはならなかったわけです。そういった問題を指摘しないでおいて、
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犯罪行為と事件後に見えてきた背景を切り分け、社会に対する不信感や不満と容疑者の動機への同情心は意識して区別するべきだ。
もないもんだと思いますね、ほんとに。これは朝日新聞も、ご同様。80年代はともかく、最近の朝日新聞は、安倍晋三暗殺以前では、統一協会のことについてしっかりと報道していたのか。読売や産経にいたっては、あからさまには書かないまでも、統一協会を自民党をサポートしてくれるありがたい組織とかみなしていなかったか。個々の記者はともかく、幹部や経営陣のなかにはそう考えていた人間もいたはず。
そうなると昨日記者会見があった(本記事は、記者会見より前に執筆しているので、内容については触れられません)ジャニーズ事務所の関係もそうでしょう。ジャニー喜多川氏が、性的にやばいことをさんざんしてきたなんてことは、暴露本などの存在でこれまた有名な話でした。しかしですよ、放送局や出版社などのジャニーズと仕事の関係でふかい結びつきがあるところばかりでなく、朝日新聞社なども、広告や副業である出版関係でも『週刊朝日』などの表紙にジャニタレを起用したわけです。そして日本を代表する大企業なども、好んでその所属タレントを広告に起用し続けました。
そして非常に不可解ですが、ついにジャニー存命中日本の警察や検察は、この件で本格的な捜査をするにいたりませんでした。さすがにに被害届が1件もなかったとは考えにくいものがあるし、そんなにジャニーズ事務所ってアンタッチャブルなのかいです。さらに、これは絶対そうだと私は確信しているのですが、たぶん放送局などをふくむマスコミ全体も、広告クライアントも、警察ほかも、そして一般ファンでも、あるいは私のようなファンでもないし直接の当事者でもない人間も、そして間違いなくジャニーズ事務所の人たちも「ジャニーさんが死んだら、ジャニーズは相当に変わらざるをえない。現在のような状況がそのまま続かわけがない」と予想していたのではないか。現在のような事態になると考えていたかはともかく、ある意味天才と狂気が共存していたジャニー喜多川の死は、いろいろな事情で極めて重い蓋となって暴露を押さえつけていたジャニーズの様々な不祥事を公然と表に出すものでした。それでけっきょく統一協会と同じで、ジャニー喜多川が(あと姉さんのメリーが)死ななければ’、どこもその件について逃げていたわけです。これも、「日本の社会は、ジャニー喜多川が死ぬまでジャニーズ事務所と本気で向かい合おうとしなかった」と言わざるを得ないでしょう。マスコミなどが逃げているのもろくでもないですが、警察はなぜ動かなかったのか。藤島泰輔の存在が、警察などが動くのを嫌がる理由だったのかは知りませんが(ただし彼も、死んだのは1997年だしなあ)、要は事務所の自浄作用もなかったし、マスコミも警察なども、そして一般のファンも、そういった論外の事態を見て見ぬふりをしていたわけです。それを認めたら「不都合な真実」だったということです。
さすがに暴露本が出たときや藤島が死んだ時点などの機会である程度の動きが必要だったのでしょうが、ともかく海外の報道機関(BBC(英国放送協会))の報道が、ジャニーズ事務所への態度変更を必要とさせたということです。たぶん日本のマスコミほかも、BBCへの情報提供を相当にしたはず。海外メディアの報道を待ったうえで日本のマスコミが動くというのは、日本ではたとえば皇室問題などのような件でおなじみなことで、極論すればジャニーズは、皇室問題なみのタブーと言ってもよかったのではないか。さすがに平成の元号になって以降、めちゃくちゃな皇室タブーはある程度薄れてきたとは思いますが、たとえばあれだけ国民的な人気を誇ったSMAPの元メンバーたちですら、独立後なかなかテレビなどへの起用が実現せず見送られてきたあたりも、ジャニーズタブーのすさまじさを感じないではいられません。
つまりは、統一協会と同様、ジャニー喜多川の死を待つしか、日本社会がジャニーズに一言申し上げることができなかったわけです。それこそ一部の暴露本や蛮勇のあるライター、もしくはネット論客くらいしか、この問題にかかわろうとしなかった。統一協会の悪とジャニーズ事務所の悪とでは悪の程度と次元は異なりますが、理由はともかく日本の社会がそれに見て見ぬふりをし続け、安倍晋三がそのからみで殺されたとか創業者であり天才的なプロモーターであった人物の死という最終段階を経てでしか日本の社会はその悪と向き合わなかったのです。あらためて書きますとこれは日本の恥ですね。こういう事態の一環で殺された人物の著書の題名が『美しい国へ』なんて、悪い冗談にもほどがあるような気がします。本気でそう思います。
なお上のNHKの記事ですら「旧統一教会」とあるわけで、正式名称である「世界平和統一家庭連合」なんてほとんど人から言われてはいませんし、またこの記事では「統一教会」というより「統一協会」という表記の方が妥当であると考えるのと、わざわざ「旧」というのを拙記事で利用する必要はないと考えるので、最初以外では「統一協会」と表記したことをお断りしておきます。