以前このような記事を書きました。安倍晋三が暗殺された直後の発表です。
けっきょく高沢皓司も、高世仁や小林峻一らと同様、ネタに遭遇したから本を書けた一発屋だったのだろうちょうどジャーナリストの高沢皓司が2022年7月6日に亡くなり、死亡記事が9日に発表され、安倍晋三が前日8日に暗殺されました。私が記事を発表したのが13日です。その記事の中で私は、高沢の著作
について
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面白い本でしたが、それ以外の面白いノンフィクションを書く能力、あるいは意思は、彼にはなかったのでしょう。
と書いています。
私がこの本を読んだのはずいぶん昔だったので、内容を詳細に覚えているわけでもありませんが、「面白い」とは思ったものの、やや内容に不審な点も感じました。よど号グループである岡本武と吉田金太郎の件が、やや情報不足で高沢の想像の部分が多いと感じたのと、あとよど号グループの海外工作で、それが日本の反核運動に大きな影響を与えたというところです。
岡本と吉田の件は、正直これといった情報に欠けるのである程度想像や飛ばしで書くところもあるのかもしれませんが、ウィーンを拠点として発行されていたミニコミ誌によど号メンバーが参加していて、それが日本の反核運動に大きな影響を与えたとかいう主張には、さすがに「???」と思ったわけです。第20章「ウィーン工作」で、文庫本は参照していませんが、単行本では、p.314~327です。そもそも反核運動というのは、日本だけでも署名協力者をふくめれば1千万単位になるはずで、そんな大規模な活動に、いちミニコミがそんなに多大な影響力をもたらしたなんてことがあるのか、あったら、他でも大問題になるはずですが、私の知る限り高沢の本以外で、この件で本格的に突っ込んだものを知らないのですが、それはどういうことか。
それでどうもこの本のこのくだりは、相当悪質なデマ取材とデマ内容のようですね。こちらの記事をお読みになってください。
8月6日の広島における「ダイ・イン」とよど号メンバーは無関係だ以下、上の記事をお読みになっていただいたうえで読んでください。
正直高沢とよど号グループのリーダーとされる田宮高麿との間で最初にどのようなやり取りがあったのかも、田宮はおろか高沢も死んじゃったので確認も問い合わせもできませんが、どうもこれ、田宮の話したとされる自画自賛発言をさらに大げさに高沢がふくらました、故意にデマを書いたとしか思えませんね。で、そのために、日本の反核運動を、よど号グループの政治工作に牽強付会して結び付けたと。呆れ切って言葉もありませんね。
おそらくですが、高沢も最初は、かなり大規模な工作があったのではないかと思ったのかもしれませんが、取材をすすめるうちに、「大した話でない」「そんなに大げさなものではない」と認めざるをえなかったのでしょう。で、取材したのにもったいないと思ったか、本を面白くするためにはデマも辞さないと考えたのかはともかく、大げさなデマに仕立てたと。それでこんな本が、講談社ノンフィクション賞受賞ですからねえ(呆れ)。講談社のスタッフや審査委員の目は、節穴なんですかね? さすがにみんながみんな不審なものを感じなかったとは考えにくいんですが。
実際例えば次のようなくだりがあります。つまりよど号グループがかかわったとされるミニコミ誌に出た政治文書の関係です。
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・・・「結成宣言」を採択した。
「宣言」は次のような内容で出されている。全文は無理にしても少しだけこの宣言文を読んでみよう。チュチェ思想や金日成の本を読んだことがある人には、この宣言文を覆っている”チュチェ思想”の影が理解できるはずである。(p.321)
この後この「宣言」の抜粋が引用されていますが、引用は略します。上の記事に、全文の写真が収録されていますので、興味のある方はご参照ください。
で、
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”チュチェ思想”の影が理解できるはずである。
って(苦笑)。
そんなもん理解できっこねえだろ!(苦笑)。
「影が理解できるはず」なんていう腰の引けた記述で、まともに取り合うようなものとも思えませんが、そこまで言うんなら、たとえばこの文言は、その関係の文書によく使われるものであるとか、なんらかの傍証が必要でしょうに。要は、実体のないことについて無理やりもっともらしいことを書いて読者をだまくらかしているだけのことじゃないですか。どんだけ馬鹿でクズなんだか。だいたいこの本の読者で、金日成の著作を読んだり、チュチェ(主体)思想に知識のある人がどれくらいいるのか。いやしないでしょ、ほとんど。もうこれは完全な悪質極まりないデマ記述です。なおご紹介したブログ記事の筆者の方は、
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この文章に"チュチェ思想"を感じるほどに思想に詳しくないので論評は避けますが、当時の学生運動的な延長線上にある文章には読めるかなと。
と評しておられます。私もそう思います。「反帝」とか「反米」とかを唱える組織の常套文言の羅列でしょう。だいたいこんなものは、いちミニコミ誌に掲載されたものでしかなく、そんなものが多大な影響をもたらすはずがない。
それでこういうようなところを新潮社の編集者、ノンフィクション賞の審査員のかたがた、事前審査をした講談社のスタッフその他は、不審に感じなかったんですかね。全員が全員「なるほど、これはチュチェ思想の影響を如実に感じる」などと考えたとは、ちょっと私には思えませんね。不審に思いながらも見て見ぬふり、読んで読まないふりをしたのではないか。ていうか、私もそうでしたから(苦笑)。
でさあ、そう考えると、やっぱり高沢がこの本を書いた後これといったジャーナリスト活動ができなかったのもわかりますね。Wikipediaに
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拉致被害者家族の集会等で講演を行なっていた。
とありますが、これはジャーナリストとしての活動ではないでしょう。また失礼ながら高沢は、家族会にいうべきこと、彼らの耳に痛いことを話していたのか。家族会がそういった話をする人間を寄せ付けるとは思えないので、たぶんしていないでしょう。けっきょく拉致被害者家族たちに耳障りのいいことしか話をしていなかったのはないか。ノンフィクション賞を受賞したのはいいですが、けっきょくその後まともな仕事のオファーが高沢にあったのか、あったとしてそれにこたえるだけの能力が高沢にあったのか、まったくどうしようもないと思いますね。
で、高沢といい出版元の新潮社といい、なんでこんな無茶をしたかというと、けっきょく相手が北朝鮮とかよど号グループとか、あるいは元ミニコミ発行者など、デタラメ書いても訴訟の可能性がない連中だからだ、どんなデマ記事だって大丈夫だし、世間も(反北朝鮮だから?)見て見ぬふりをしてくれる、大目に見てくれるという判断じゃないですかね。で、そういう態度はけっきょくその後は通用しなかったということでしょう。bogus-simotukareさんは、高沢の死をご教示くださった記事に私が投稿したコメントに、
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ご紹介の記事読みましたが、広島の反戦平和運動を誹謗する完全なデマじゃないですか。高沢も最低のクズですね。
忘れられた存在となって早死にしたのも自業自得と言うべきでしょう。
とお書きになっています。まさにそうだと私もそう思います。呆れかえった話です。けっきょく単なる「アンチ北朝鮮」「反北朝鮮」「金体制打倒」という時流にのっとった、媚びただけの話です。
それはそうとご紹介した記事に引用されているように、
とこんなデマ話を真に受けていたらしい内藤陽介って、なに考えているんですかね? あまりに浅はか過ぎはしないか。お話にもなりません。私も彼の本を過去に読んでけっこうおもしろく思ったこともあったんですがねえ。そもそも「ダイ・イン」の関係なんて、高沢本にだって書いていないじゃないかよ、馬鹿っていうものでしかありません。内藤のWikipediaなどでも、彼の本を出す出版社が、どんどんマイナー出版社になっていますから、つまりは劣化した、その程度の評価しかないのでしょうが、なんともはやです。
非常に興味深い記事を書いてくださった電脳塵芥さんに感謝してこの記事を終えます。