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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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寺田ヒロオは、晩年かなり迷惑な人間になってしまったようだ

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寺田ヒロオは、1950年代から70年代にかけて活動した漫画家です。現在彼のマンガが読まれることはあまりないと思いますが、たぶんWikipediaから引用すれば

伝説的な「トキワ荘」でのリーダー格で、特に藤子不二雄Ⓐの自伝的漫画『まんが道』で、頼もしくて理想的な先輩として描かれた。妻は作曲家・中村八大の実妹。

ということで知られているかと思います。もっとも彼が、中村八大の義理の弟だなんてことは知りませんでした。ちなみに2人とも1931年生まれですが、中村が1月の早生まれ、寺田が8月生まれなので、学年は中村が1つ上ですから、いちおう「兄」ではあります。また中村は中国の青島出身である外地出身者です。

寺田は面倒見のいい人格者として知られ、仕事を落としてしまった藤子の2人を叱咤激励したなんてのは、『まんが道』の山でもあります。が、時代の変化で寺田のような漫画が受け入れられるものでもなくなり、また彼が志向する漫画とはまるで相反するものが漫画の世界の主流となりました。Wikipediaから引用すれば、

1960年代からの漫画業界は、劇画ブームの影響から、リアルで映像的な画調と刺激的なストーリーがもてはやされるようになり、正統派児童漫画だけ書き続ける寺田の作風は、時流からも取り残される形になっていった。寺田は劇画ブームへの強い反感を示し、仲間内での集まりでもこれを度々批判した。安易な劇画ブームへの批判に同感だった仲間たちも、会う度に批判だけを繰り返す寺田の言動に、かつての頼もしさを感じなくなっていった。さいとう・たかをによれば、一面識もない寺田から突然手紙が届き、「そういう低俗なものを描くな」と諭されたことがあったという。最後には、自分が執筆している雑誌の編集長に、劇画作品の連載を全て打ち切るように進言するという荒っぽい行動まで出たが、独善的な考えも目立ったために聞き入れられず、周囲からも反感を買い、逆に自分の連載が打ち切られるという顛末となった。

ということになったわけです。さいとうに苦情を申し入れたなんてことにいたっては、さすがにこれは奇行といってもいいかと思いますが、70年代初期で彼は事実上漫画家を廃業することになりました。時代はもはや寺田のような漫画を求めていなかったし、寺田もそのような時代の変化に対応できるような人間ではありませんでした。

彼の人生後半(たぶんある時期から何らかの精神疾患を発症したのだろうと私は考えます)についてWikipediaから引用いたしますと、

これらの出来事を積み重ねるうち、元の生真面目さまで豹変していった寺田は、徐々に著作のペースを減少させ、寡作となっていった。まず1964年、『暗闇五段』の終了を最後に、週刊誌の連載から撤退[2]。活動の場は小学館の学習雑誌などの月刊雑誌に限定されるようになったが、作風も正統派漫画とは言えなくなったとの批判が増え、ついに1973年には漫画業そのものから完全に引退した。その際、手塚がしばらく休んで思いとどまるようにと説得したものの、耳を貸さなかったという。手塚や他の漫画家仲間も、内心では頑固な寺田にほとほと困っていたが、元々の漫画への信念と技量を思い、何とか復帰させようと幾度も諭したものの、功を奏することはなかった。この時期、トキワ荘時代の仲間に送られた手紙に書かれてあったのは、現役時代からは想像もつかないほど弱気な内容で、受け取った方も驚いたという。漫画家を引退した一方、1981年4月には、『漫画少年』の歴史を記録した「『漫画少年』史」(湘南出版社刊、ASIN B000J7TRYE)を編纂・出版した。

引退後は、トキワ荘時代の仲間とすらほとんど会わなくなる。1981年、取り壊しが決まったトキワ荘に当時のメンバーが集う「同荘会」が企画されたとき、寺田は招待されながら姿を見せなかった[8]。この会合を題材としたNHK特集『わが青春の「トキワ荘」 現代マンガ家立志伝』には、個別に取材したビデオ収録で出演している[8]。このように人を避ける一方、助言を求めてきた漫画家志望の若者には、直接会ってアドバイスをすることもしばしばあったという。寺田は晩年の1989年毎日新聞のインタビューに答え、「60年(1985年)にちょっとしたカゼがもとで、全身につぎつぎに病気が出た。手塚さんの葬儀にも出席できなかったぐらいです」と明かし、漫画家仲間との断交は、自身の健康問題に起因するものだったことを示唆している。

1990年6月23日、突然トキワ荘の仲間(藤子不二雄Ⓐ藤子・F・不二雄石ノ森章太郎赤塚不二夫鈴木伸一つのだじろう)を自宅に呼んで宴会を催し、終了後、三々五々去ってゆく仲間たちにいつまでも手を振り続け、「もう思い残すことは無い」と家族に話したという。翌日、藤子Ⓐは礼を伝えるため、寺田宅に電話をかけたが、寺田は電話口に出ず、妻を通じて「今後一切世俗とは関わらない」との旨を伝えた。なお、この宴会の模様は鈴木がホームビデオで撮影しており、後年ヒストリーチャンネル制作の番組『20世紀のファイルから-証言・あの時、あの人-』(第29話:マンガがすべてだった・「トキワ荘」の頃)で一部が公開されている。鈴木はこの時に撮影したビデオのコピーを寺田に進呈しており、遺族の話では彼は晩年そのビデオを繰り返し観ていたという。

その後は一人自宅の離れに住み、母屋に住む家族ともほとんど顔を合わせることはなかった。朝から酒を飲み、妻が食事を日に3度届ける生活を続けていたが、1992年9月24日に朝食が手つかずで置かれたままになっているのを妻が不審に思い、部屋の中に入ったところ、既に息絶えているのが発見された。妻は晩年の寺田について「身体が悪くなって、病院に行ってくれと頼んでも、行こうとしないんです。色々手を尽くして、あきらめました。この人は、もう死にたいんだなって…」と、ただ見守るしかなかった状況を語っている。

ということになりました。なお上の宴会については、動画をご覧になってください。

寺田ヒロオ最後のトキワ壮同窓会

私も、晩年寺田が相当精神的によろしくない状態になり、ほぼ「緩慢な自殺」とでもいうべき状況になっていたことは知っていました。上の宴会の件もです。死因は定かでありませんが、佐藤忠志村田兆治らも、彼らの死は、ほぼ「緩慢な自殺」でしょう。村田についてはそこまで言いませんが、寺田と佐藤については、「ここまでひどくなるか」という惨憺たる有様です。

佐藤忠志氏は、あるいは酒の飲みすぎで認知症あるいは感情の制御がさらに難しくなっていたのかもしれない 自殺じゃなくてもやはり過日の事件と不可分ではないか(村田兆治の死) 自己嫌悪による自殺(緩慢な自殺もふくむ)というのは、正直なんとも手を打つのが難しい

さて寺田が晩年精神疾患になりまともな社会生活を送れなくなっても、医者に行かず引きこもったまま死を待った、というのは、もちろん痛ましいことではありますが、まだ「仕方ない」というものでしょう。私は、家族がむりやり医者に連れて行ってもいいと思いますが、理由はともかくそれを家族がしなかったのは、非難には値しないとは思います。彼が亡くなってすでに30年以上も経っているしね。

が、ですよ。こちらの記事を最近読んで、「これはまずいな」と思いました。

【下山進=2050年のメディア第10回】手塚、石森は進化のその先へ 寺田は過去に生きる


漫画家を30代で廃業したのち、『「漫画少年」史』という本を地元の出版社で出したのが50歳の時、翌年にこの本は日本漫画家協会賞の選考委員特別賞を受賞するが、以降は、トキワ荘のかつての仲間たちとはほとんどつきあおうとしなかった。鈴木によれば、たまに連絡があったと思ったら、借金の申し込みだったりした。

「つのだじろうは怒って出しませんでしたが、他のみんなは、黙って100万円といった金を出していました。私も50万円。もちろん借金といっても返ってこないことをみんなわかってました。テラさんも本当にその金が必要だったかはわかりません。むしろみんなの気持ちを確かめるようにして、借金を申し込んでいたのだと思います」

話をしているのは鈴木伸一氏です。藤子不二雄の漫画のキャラクターであるラーメン大好き人間「小池さん」のモデルとなった人物として知られていると思います。

で、これはさすがにまずいでしょう。金を借りるって、それはさすがに他人に迷惑がかかる。しかも借金の理由が


むしろみんなの気持ちを確かめるようにして、借金を申し込んでいたのだと思います

じゃあねえ。これは鈴木氏の憶測にすぎませんが、仮に寺田がそんなに経済的に追い込まれているのであれば、たとえば借金を整理するのならこれは弁護士とかの出番であり、(元?)友人たちの出る幕ではない。たぶん鈴木氏の語るあたりが、当たらずとも遠からずくらいのものではないか。仮に全くの筋違いであっても、どっちみち寺田がいろいろな人たちに迷惑をかけたのは間違いのないところです。ここはやはり、つのだじろうのように、お断りするのがいいんじゃないかなと私は思いますが、そしてこれはたぶん誰かはしたでしょうが、寺田夫人(中村八大の妹さん)に、話をするのがいいんじゃないんですかね。こういったことを「なあなあ」で済ませるのはやっぱりよくないでしょう。

たしかにかつて寺田から金を借りたりと、苦しい状況を救ってくれたとか、いろいろ義理はあるのでしょうが、それにしたってです。そういう過去の義理から「気持ちを確かめる」のでは、他人に対する本質的な背信行為でしょう。漫画家というのは、ある意味お人好しが多いので、そういったことを断りにくい部分もあるのかもしれません。

いずれにせよかつては「人格者」といえた人物が、大した理由もない借金を他人に申し込むようになってしまっては、実に嘆かわしいですね。そういうのを「精神病だから」とかでみてみぬふりをしては、やっぱりいかんでしょ。成育歴が悪いとか、発達障害がある、知的障害がある、とかいうのは同情に値はするかもしれませんが、そういう人物が犯罪とか他人に重度に迷惑をかけることをしてはよろしくない。それはそれで罰せられるのは仕方ないでしょう。麻原彰晃(松本智津夫)が極貧の生活で目が不自由な身体障害者であったとしても(弱視だった彼が盲学校に送り込まれたのは、実家が貧しかったからだという話もあります)、だからといって彼の犯罪を許されはしないのと同じことです(当たり前)。寺田がやらかしたことは、もちろん刑法犯とはいいかねますが、自分のよろしくない要求を、それを断るのが困難な人間にしているという側面はあるので、これは大変よろしくないと思います。

なおこの記事は、 bogus-simotukareさんの下の記事と拙記事にくださったコメントに啓発されたものですが、寺田ヒロオの借金についての見解はすべて私のものであり(当然)bogus-simotukareさんとはまったく関係ないということを明記しておきますことをお断りします。bogus-simotukareさんありがとうございます。また鈴木伸一氏以外の人物については、敬称を略しましたことをお断りします。

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート111(追記・訂正あり)

「ライプツィヒの夏」の記事に絡んで、いろいろと感想

自己嫌悪による自殺(緩慢な自殺もふくむ)というのは、正直なんとも手を打つのが難しい


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