あ、すみません。こういう映画は、好きな人は本当に好きなのでしょうから、この記事を読んで不快になる人もいるかもです。いたらごめんなさい。また以下の話は映画での感想です。あるいは原作を読んだら私が感じた不審点にある程度の説明があるのかもしれませんが、それは関知しないこととします。
ちょっと前に『海の上のピアニスト』という映画を見ました。私は、この映画に詳しくないので、「なに、これって実話をもとにしたの?」と考えてしまいましたが、まるっきりのフィクションです。私以外にもそう考えた人は多いみたいで、どうもこれ『戦場のピアニスト』と混同したところがあるみたいですね。同時代の鑑賞でしたら、『海の上のピアニスト』のほうが公開が早いので1999年と2003年)そういう誤解もないのですが、あとになって見るとなると、勘違いしかねないところはあります。
で、映画の最初をWikipediaから引用しますと、
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第二次世界大戦の終戦直後、マックス・トゥーニーは愛用のトランペットを金に換えるために楽器屋を訪れた。彼はトランペットを売った後になって、店主にもう一度だけトランペットを吹かせて欲しいと頼む。彼の演奏を聴いた店主は、同じ曲がピアノで刻まれたレコードを持ち出し、曲と演奏者の名前を尋ねた。すると彼は、「1900 (ナインティーン・ハンドレッド)」と呼ばれた男の物語を語り始める。
そんな偶然あるわけねえだろ(苦笑)!!!っていうレベルでこれだけで見続ける気力を失いますが、この時点で、「あ、最後あのトランペットを売らないでまた自分の手に戻す(あるいは戻る)んだな」と予測がついちゃいます。で、その予測は正しいわけです(苦笑)。このあたりは映画のフィクションということで、きわめて寛大に大目に見ることとして、さらにストーリーを続けます。
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大西洋を往復する豪華客船ヴァージニアン号。その上で産み捨てられた赤ん坊を拾った黒人機関士のダニー・ブートマンは、その子に自分の名前、捨て置かれていた箱の名前、生まれた西暦などから「ダニー・ブードマン・T.D.(Thanks Danny)レモン・1900」と名付けて大切に育てる。しかし、ダニーは1900が8歳の時に事故で帰らぬ人となった。1900はダニーの葬儀で流れた音楽に惹かれ、ピアノを弾き始める。
1927年、成長した1900は嵐の夜に船酔いで動けないマックス(コーン)と出会い、共に船内でバンド演奏をすることになる。その誰も聴いたことの無い音楽の噂は瞬く間に広がった。そんな中、ジャズを生んだというピアニストのジェリー・ロール・モートンも噂を聞きつけ、ピアノ演奏による決闘を申し込んでくるが、奇跡のようなピアノ演奏で1900は見事にモートンを打ち負かす。
・・・・(苦笑)。あまりの荒唐無稽ぶりに絶句しますよね。まずそんな子どもがいたら、どこの船だって大慌てでどっかの国に預けるでしょうに。そんなの面倒見切れないし(当たり前)、大変な問題ですよ、これ。
それでさあ、主人公は誰からピアノを習ったの? うんなもん自己流でそんな名人なんかになれるわけがない。それとも史上まれにみるピアノの天才なの? だったら、いまからでも遅くないから、船を即刻降りてプロに弟子入りすべきでしょうに。ていうか、そんなすごい人間が、こんな船に乗っているわけがない。あらゆる手段が使われてその人物は船を降ろされて、天才ピアニストとしてデビューします。当たり前でしょう。
ていうかさあ、そんなすごい人間だったら、これどんだけ大目に見ても、そんな人間が世間で名が知られないわけがないでしょうに。すくなくとも音楽業界で飯を食っている楽器屋のオーナーが知らないなんてことはないでしょう。
それで私がこの映画見て「ひでえなあ」と思ったのが、主人公が、船酔いに苦しむトランペット吹きを隣に座らせて、揺れる船内でピアノを弾くシーン。動画を。
荒波に揺られる船内で躍るように動くピアノ/映画『海の上のピアニスト』本編映像1
この始末です。
こんなことするやつ船なんかに乗っていられるわけねえだろ(苦笑&呆れ)!!!
こういうのを見て素晴らしいと思う人も大勢いるのかもですが、私には「馬鹿らしい」「くだらん」「迷惑にもほどがある」としか思えませんね。ていうか主人公ってこの船の中で治外法権の人物なの? あるいはそうなのかもですが、とてもこんなの冗談ですむ話じゃないでしょう。けが人が出たらどうする。うんなもん船長もオーナーも激怒の極致でしょう。
まあでもこのような荒唐無稽を許せないと、こういう映画を好きにはなれないんでしょうね、きっと。
で、その後廃船になった船に主人公はいまだとどまり続けるのですが、お伺いしたいですね。
・水と食料はどうしてるの?
・着替えは?
・風呂とかは? 洗面は?
・映画のようなことが本当にあったら、これ世界中で大騒ぎになりますよ。いいんですか、そんなことで。
ってもんでしょ、悪いけど。で、ラスト、上で私が予想したように、やっぱり
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話を聞き終えた楽器屋の店主は、去り行くマックスにトランペットを返して見送る。
という見えすいた結末になるわけです。こんなん誰だって思いっきりストーリーが読めちゃうじゃないですか。以前に『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』って映画を見ていまして、実に無意味に主人公の子ども(白人の血が多くは入っていないと思われる黒人。養子?)が出てきているので、(「ジュラシック・パーク」なので)あ、あの子どもがいろいろ無茶やって迷惑かけるんだなと思っていたら、長持ちか何かに入っていて出てきたので、映画を見るのをやめたことがあります。こんなのあまりに展開が読めすぎて全く面白くない。馬鹿らしいにもほどがあるというものです。ところで同じイタリア映画である(『海の上のピアニスト』は、英語の映画ですがね)『ライフ・イズ・ビューティフル』って映画も、私にとってはやっぱり
馬鹿らしい
くだらん
荒唐無稽だ
迷惑な野郎だ
という以上の感想をもった映画でしかありませんでしたが、まあでもこの映画も好きな人が多いんでしょうね、それもどうかです。