ホームで列車を待ちます。
この機関車は、回送列車もしくは貨物列車をけん引しているものです。
ルクセンブルク行きが入線しました。
鉄道に乗ります。とくに意識したわけではないのですが、私は先頭の車両に座りました(自由席です)。これで思わぬ得をすることを私はもちろん気づきませんでした。私の隣と前にベルギー人(だと思う)男女が座りました。フランス語で会話しています。
男性が先に降りたので、夫婦ではないことに気づきました。ちょっと女性と話をします。
といっても私のフランス語能力ではたいした話はできませんが、たとえば日本人が知っているベルギー人はサッカー選手が多いとか、毎度おなじみの話をしました。昔の選手ですが、2000年ごろにオーストリアやクロアチアで地元の人に、ポルスターやシュケルの話をすれば、先方も悪い顔はしません。クロアチア(ザグレブ)では、「ミウラを見たよ」といわれました。三浦知良は、ザグレブでプレーしていたのですね。
でも私最近のベルギーのサッカー選手のことよく知らないんだよね(苦笑)。80年代は欧州選手権で2位(80年)になったり、ワールドカップで4位(86年)になったり強かったんですが、最近は往年の強さはありません。
で、名前を出したのは、クーレマンスとかゲレツやプロドームなど、昔の人ばっか。女性のほうからジャン=マリー・パフの名前も出ました。やっぱり黄金時代は、記憶が鮮明なのかな。私は言いました。
私「シーフォはイタリア人なんですよね?」
女性「ええ、そうよ・・・(以下理解不能)」
やはりもう少しフランス語を勉強しなければいかんなと決意を固めます。それにしても今回は、関係代名詞を使ったフランス文を話して相手にちゃんと通じたのがうれしいですね。ずいぶん昔サンフランシスコで過去完了進行形で話をしてちゃんと通じたときのうれしさにつながるものがあります。
イタリア人といえば、かつてブリュッセルの安ホテルでレセプションのイタリア人とフランス語で話をして、いつのまにか英語で話をしている自分にがっかりしたことがあります。ホテルの人だから英語も当然話せますが、一般の人の英語の理解力は、ベルギー人だからたいていの方は話せるのかなと勝手なことを考えていましたが、実際はどんなもんですかね。この女性は、あるいは英語は話せないのかも。たぶんオランダ系ベルギー人のほうが英語は話せるでしょう。
さらに私はよせばいいものを、かなり失礼な質問をしてしまいました。
私「あなたは、オランダの言語は話しますか」
女性「いえ、話せないわ」
非常にそっけない口調でした。あるいは彼女「私がオランダ語なんか話すわけないでしょ」くらいの気持ちだったかも。
ちなみにオランダ系ベルギー人はフランス語を話せる人が多いそうです。フランス系ベルギー人は、やはりオランダ系より外国語とかは苦手なようです。というかする意思に欠ける部分もあるのでしょう。
なお、私「オランダ語(le néerlandais)」 という単語を知らなかったので、「オランダの言語(la langue des Pays-Bas)」というまだるっこしい言い方をしました。ちゃんと通じましたが。
彼女は列車を降りました。「Au revoir.」で別れました。あとでNが、いっしょの写真撮ったのにといいました。そういわれてみれば撮ってもらえばよかったかな。損をした。
列車はえんえんすすみます。事情は不明ですが、ベルギー国鉄の制服を着た人が、運転席に入り込みました。いわゆる当局の監視なのか労働組合などの関係か、それとも私的なものかは分かりません。
ルクセンブルク国境手前の駅に到着します。すると、ベルギーの運転士からルクセンブルクの運転士に交代します。運転士の交代ははじめてみましたが、運転席までしっかり見えました。お、私は運がいい、とばかりに写真を撮ったところ、ルクセンブルクの運転士が私に中に入って撮れ、とすすめます。
いいの!? そこまでしてくれて。
中に入って写真を撮ります。これは運がいい。日本では、そもそも客室から乗務員が運転席に座るなどということはないでしょうが、私のような一般の人が運転席の中に入れる(運転中ではないとはいえ)なんてこれは運がいい。日ごろの正しい生活態度の故でしょう。
画像処理をかけているのでお分かりにならないでしょうが、私かなりのドヤ顔です。
20131-2 ルクセンブルクの車窓
ルクセンブルクの駅に着きました。運転手の人が降りたので、礼を言います。が、いっしょに写真を撮ればよかったと後悔しました。こういうのもタイミングで、逃してしまうとなかなか声がかけられません。断られてもいいのだから、頼めばよかった。
(つづく)