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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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宇沢弘文と土井たか子の死

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 過日ちょっと記事にした経済学者の宇沢弘文の死の直後、元社会党委員長、社民党党首、衆議院議長である土井たか子の死が報じられました。

で、このお二人は、期せずして同じ年に生まれ同じ年に亡くなりました。お二人とも1928年生まれの2014年逝去です。

それで、これも過日とりあげた、学制が旧制から新制に移行した時代の故でしょうが、二人とも、大学で最初に先行した学問の道に進む・・・というのでなく、方向転換をしています。宇沢さんは東京大学の理学部数学科を卒業した後経済学のこころざし、土井さんも、京都女子大門学校で中国語を学んだあと、同志社大学の法学部にすすんで憲法を専攻したわけです。同志社大学を選んだ理由は、彼女が感銘を受けた教授が同志社にいたからです。

そしてお二人とも、気の毒ですが、死の数年前から体調を崩していました。宇沢氏は、東日本大震災直後に脳梗塞を起こして寝たきりになり、土井さんも2010年ごろから動向が伝えられなくなりました。ご存じのとおり相当ひどい誹謗中傷をぶつけられていた人だったので、それが正しいかどうかはわかりませんが、認知症の症状が出ていたという情報もあります。その真偽はともかく、ここ最近の集団的自衛権の問題などでも彼女のコメントなりインタビューなりが報じられることはありませんでしたから、認知症でなくても寝たきりで活動ができるような状態ではなかったのでしょう。

宇沢さんの死の直後に土井さんの訃報を聞いて、私は宇沢氏の著作のとあるくだりを思い出しました。それを引用したいと思います。ちょっと長めの引用になりますが、ご容赦ください。なお、この本の出版は1999年です。

ゆたかな国をつくる―官僚専権を超えて

>一連の金融不祥事(引用者注:住専問題など)にかんする調査団をつくるように村山氏(引用者注:村山富市当時首相のこと)に進言したのは、もちろん内閣総理大臣としての村山氏に対してであって、社会党の党首としての村山氏に対してではありませんでした。しかし私の気持ちの一隅には、社会党に対する愛着と信頼があったことは否めない事実です。一九五五年にはじまって三八年間の長きにわたった自民党専制の時代を通じて、日本の政治の世界に良識と正気をもたらし、多くの国民に希望と夢を与えてきたのが日本社会党でした。社会党員の数はわずか数万人にすぎなかったのですが、総選挙の旅に、社会党に投票した人は一〇〇〇万人を超えていました。それは、社会党の掲げる政策綱領に同意したものでもなければ、その時代錯誤のイデオロギーに同調したものでもなかったのです。あくまでも、自民党の強権的、非人間的な政策に対して効果的なアンティテーゼを提示していたからです。

 しかし、一九九四年自民党専制の時代が終わって、新しい政治状況がはじまったとき、不幸にも社会党が政権政党の一つとなってしまいました。とくに村山政権の時代に入るとともに、これまでとってきた社会正義にかなった政策理念を弊履のごとく捨てて、官僚専権の手足となって数多くの反社会的な政策をつぎつぎに打ち出しました。私は、子多くの国民の信頼と期待を裏切る、この村山政権の行動に絶望的な気持ちをもちながら、なお一抹の希望を抱き、かすかな可能性を求めて、上の覚き書き(引用者注:原文のまま。「覚え書き」の誤植)を差し上げたわけです。しかし、結局取り上げていただけなかったのです。その後の歴史的な金融バブルの崩壊、それにともなう日本経済の崩落減少がもたらした国民的苦悩の大きさをみるにつけて、残念、無念というよりほかに言葉がありません。(p.126~127)

 この本が出版された1999年は、すでに日本社会党は社民党になっており、小政党の地位となっていました。本の中で言及されている村山氏といい、そして当時社民党の党首だった土井さんがこの本のこのくだりを読んだかは私はもちろん知りませんし、仮に読んだとしてどのような思いを感じたか、それももちろん知りません。ただ読んでいれば、非常に悲痛な想いはしたでしょう。

 inti-solさんは、のようにお書きになっています。

>結果的に見れば、1989年の社会党の大勝は、社会党が崩壊する直前の、ろうそくが燃え尽きる直前の一瞬のきらめき、のようなものだったのかもしれません。
前述のとおり、私は旧社会党は、当時あまり好きな政党ではなかったのですが、社会党「的」な政治勢力は日本に必要である、ということについては、当時も今も、確信をしています。社会党、あるいは社会党的な政治的立ち位置の政党が衰退して以降、日本の政治がどんどんおかしな方向に転がってきているからです。残念ながら、私の目から見ても、近い将来社会党的な政党がかつての社会党に近い勢力を獲得する可能性は低いと思わざるを得ませんけど、国会議席の8割以上が保守政党、という状況は、何とかならないかなと思います。

社会党の批判も悪口も、言い出せばきりはないでしょうし、それらはそれなりに妥当性のあるものなのかもしれませんが、しかしやはり社会党の存在は日本において貴重だったとつくづく思います。社会党の力がそれなりにあれば現在の自民党もこんなにも無茶なことはしない、相対的にはまともな政党であったろうと思います。

お二人の死は時代の流れという側面が大きいと思いますが、いろいろな意味で困った日本の現状をこれからも見守っていただきたい方々でした。ご冥福をお祈りしたいと思います。


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