ちょうど総選挙公示中の12月5日、産経新聞にこんな記事がのりました。
民社党にみる戦後政治の「不運」 社会学者、関西大学東京センター長・竹内洋(魚拓1、2、3、4)
いくら民社党の解党からこの12月で20年とはいえ、衆議院選挙の最中にこんな記事掲載しなくてもいいじゃんという気はします。いくら産経新聞だからってさ。筆者は、たぶん選挙とは無関係にこの記事を書いたのでしょうから、これは掲載する産経新聞の見識の問題ですかね。
>1960年1月、西尾末広や片山哲などが日本社会党を離党して新党・民主社会党が誕生する。与党・自民党と野党第一党の社会党による55年体制のなかで、保守よりの野党として独自の政策を掲げた。階級政党ではなく国民政党を宣言し、格差の拡大になりかねない資本主義経済を是正する福祉国家構想が提起される。
民社党は階級政党ではないでしょうが、民社党が国民政党なんか自称したってたいていの有権者からは馬鹿にして笑われるだけでしょう、って、私も馬鹿にして笑います(笑)。なにを馬鹿なことを主張したんだか。
>民社党の不運といえば、まだある。民社党の学者支援集団の民主社会主義研究会議に集まった蝋山政道や関嘉彦、猪木正道などは人間的にも学者としてもすぐれた人々だったが、蝋山の盟友で、関や猪木の師だった河合栄治郎を欠いたことは痛手だった。
河合は1944年に53歳で早世し、戦後は故人。
1960年に設立した党について、1944年に亡くなった人物の死を嘆いたってはじまらんでしょ(呆れ)。結党の十何年前に亡くなった人の名前を持ち出すって、どういう神経しているんですかね。
>河合は社会党のブレーンだった大内兵衛や向坂逸郎と同世代だが、知名度と影響力で河合のほうが、はるかに上である。河合を欠いたことも民社党のプレゼンスには不運だった。
別に河合と比較して、大内、向坂が知名度が低いとか影響力が低いなんてこともないと思いますけどね。単に筆者が民社党が好きで、社会党と大内、向坂が嫌いなだけでしょう(笑)。ていいますか、1944年に亡くなった人と、1980年代まで生きていた人たちの戦後政治への影響力なんて、そもそも比較すること自体が野暮でしょう。
それにしても、産経界隈の人たちって、河合をものすごく評価していますね。なにしろ東京大学名誉教授の平川祐弘氏などは、「河合と尹にみる日韓言論の桎梏」という記事で、
>早世しなければ河合栄治郎は戦後日本の首相に選ばれた人である。
とまで書いているくらいです。え、戦後日本に学者出身の首相が出る可能性は低かったんじゃないの、って言う気がします。民主党の鳩山さんは学者出身ですが、世襲政治家だしね。土井たか子が学者出身の政治家としては、一番首相に近かったですかね。知事とかなら、わりといます。
話を元に戻します。民社党はCIAのひも付き政党だなんて話もありますが、だいたい河合が存命だとして民社党が社会党を上回る勢力を持つ政党になった可能性なんて、高いとはいえんでしょう。民社党の党勢が大きくならずじまいだったのは、浅沼稲次郎の暗殺によって社会党に同情票が集まったとか(そのような話も書いています)そんな矮小な問題ではない。その理由はたくさんあるでしょうが、私の思うにそれは3つ大きな理由を挙げられると思います。
1つは、民社党のイデオロギーが有権者に評判が悪かったことです。「反共」を理由にその党に投票する有権者がどれくらいいるかも疑問ですが、そのような有権者は自民党に投票する可能性が高い。民社党のチリ・ピノチェト政権支持、韓国・朴政権支持なんてのは、人権に対するこの党の無関心ぶりを証明しているわけで、それは民社党に投票をする可能性のある有権者にあまりアピールするものではなかったでしょう。
第2に、民社党の政治家の資質の低さです。春日一幸なんてのは、支持者や一部有権者には人気はあったのでしょうが、政治家としてはろくでもない人間という以上の評価はできないでしょう。支持はしなくても、ある程度敬意を払われる、といったレベルでもない。このあたり共産党の政治家が、イデオロギーとかは違っても全般として政治家としての実力が高いことは、他党の政治家からも認められていることとえらい違いです。社会党の政治家のほうがずっと実力があったし、公明党にもだいぶ劣ったのでは? これも、たとえば政治家の魅力で投票する気持ちにもならないというのが多くの有権者の正直なところだったでしょう。
最後に、民社党の主要支援組織であった労働組合、旧・同盟の力のなさです。社会党を支援した旧・総評と比べると、組合としてのありかたその他でやはり勝負にならない。同盟の力のなさが民社党支援の不十分さにつながったのか、そもそも同盟に民社党を支援する意欲が低かったのか、それがどれくらい複合しているのか、そのあたり詳しいことは私も勉強していませんが、つまりは同盟の支援は民社党を強くするものではなかったということです。
民社党は、イデオロギー、政治家の資質、支援組織のすべてがダメダメだったと思います。民社党は他党と比べても数段どうしようもない政党でした。
さてさて、衆議院選挙の結果はというと、「次世代の党」の一人負けと言っていい印象ですが(「みんなの党」は、選挙以前に解党したので論外です)、産経新聞にこんな記事が載りました。
「誰が国会で慰安婦問題を聞くの?」 次世代の党、存続の危機…首相の政権運営にも影(魚拓1、2)
>誰が国会で慰安婦問題を聞くの?
なんて、いくら産経新聞だからといったって、記事の見出しにするか(馬鹿)という気がしますが、けっこうこれ産経新聞の本音をあらわしているように思いますね。つまりは、国会で河野談話について反対する質問をする際、与党議員(公明党の議員はさすがにこんな質問はしないでしょう(少なくとも現段階では)から、するとすれば自民党の極右議員でしょう)が質問するのはリスクが高いので、「次世代の党」のような右翼野党の議員に質問してもらって、安倍晋三が見直し意向に沿う答弁をする、ってことでしょう。この件に限りませんが、典型的な示し合わせの答弁ですよね(笑)。毎度おなじみの手口です。
しかし衆議院で小選挙区2議席の当選にとどまり、比例ではゼロというのが、この党の支持の状況のわけで、次世代の党のやり方も全くと言っていいほど破綻してしまったわけです。次世代の党の候補者たちは、自民党は公明党と連立していてはだめだ、自分たちと連立しろと主張しましたが、たいていの自民党支持者も議員も、次世代より公明のほうがずっといいと考えざるを得ないでしょう。
次世代の党の惨敗の原因は、上で私が指摘した民社党の問題点とだいたい共通すると思います。次世代の党の場合、イデオロギーは右翼に特化しているので、それは批判しても仕方ないのですが(共産党の左翼イデオロギーを批判しても仕方ないのと同様)、あまり有権者の支持を得るようなものではない。政治家の資質で言えば、現職であってもこのブログでも記事にしてとりあげた西村眞悟や中山成彬など、正直問題発言その他トラブルが多すぎて、政党の足を引っぱるような連中が多い、新顔も田母神俊雄のような不祥事を起こして組織を追い出されたような人物を堂々と公認候補にするといったところです。支援も、ネット右翼では力がなさ過ぎでしょう。
特に公明党への攻撃は、比例に投票する気もなくす、というものですよね。外国人の生活保護廃止なんて(そこで引っ張り出されたデータも事実無根であると批判されました)、一部の人間は喜ぶかもしれませんが、とてもそれを理由にして投票するなんて気にはならんでしょう。これでは泡沫候補の立候補と主張と言われても仕方ありません。
それで、産経新聞の本音としては、もちろんそんなことは書けないし書きませんが、やっぱり自民党はぜひ公明党でなく次世代の党(のような極右政党)と連立してほしいというのが本音なのでしょうね(笑)。そういうことを主張すれば安倍の足を引っぱるし、さすがに現実性はないといわざるを得ないから黙っていますけど、連立は無理でも自民党の極右主張を代弁する政党としての次世代の党の存在意義は、産経新聞からすれば貴重なものだったのでしょう。
実際問題として、安倍という男のイデオロギーは、平沼や田母神ほか次世代の党のメンバーのイデオロギーと酷似していますが、さすがに中国にそんなに極端な対決姿勢はとれない。過日の日中首脳会談など、安倍だから右翼メディアも批判しませんが、他の首相なら産経などは「土下座外交」と罵るようなものでしょう。その程度には安倍も常識はあるということです。しかし次世代の党の連中には、その程度の常識もなかったということです。
つまり今回取り上げた2つの記事は、1つが外部の筆者、後者が記者の記事ではあっても、要は第二自民党がうまくいかなかったということを嘆いているというわけで、産経が嘆くということは私にとってはたいていは喜びですから、たいへん読んでいて面白い記事でした。まあ安倍の天下はまだ続きますから、その点では大して面白くもないですが。