こちらの記事の第3弾ということで。
基本的に凶悪な刑事事件の多くは、後先のことを考えれば、しなければいいのに、という以上のものではありませんが、これもかなり後先のことを考えない馬鹿だと思います。ちょっと以前の判決ですが、これが今年初めて地裁で下された死刑判決です。読売新聞の記事より。
>蟹江一家3人殺傷死刑判決 名古屋地裁
2015年02月21日愛知県蟹江町で2009年5月、会社員山田喜保子さん(当時57歳)ら親子3人を殺傷したなどとして、強盗殺人、強盗殺人未遂などの罪に問われた中国籍の元三重大留学生、林振華被告(31)の裁判員裁判の判決で、名古屋地裁は20日、求刑通り死刑を言い渡した。松田俊哉裁判長は「強固な犯意に基づく冷酷な犯行で、極刑を回避する特別な事情はない」と述べた。弁護側は控訴する方針。
東海3県の裁判員裁判で、死刑判決は初めて。
判決によると、林被告は09年5月1日夜、金品を盗みに入った山田さん方で、山田さんをモンキーレンチで殴って殺害し、次男の雅樹さん(当時26歳)を包丁で刺殺。その後に帰宅した三男の勲さん(30)もナイフで刺して負傷させ、現金約20万円などを奪った。
公判で弁護側は「強盗の意図はなかった」として殺人罪と窃盗罪の適用を主張。確定的殺意もなかったとして死刑回避を求めていた。しかし、松田裁判長は、被告が山田さん方に侵入して山田さんと出くわした際、逃げようと思えば逃げられたのに山田さんを攻撃したとして、「当初は窃盗目的だったが、途中で強盗の犯意が生じた」と判断。その後も、被告が勲さんを襲った後、金がどこにあるかを尋ねたことなどから、強盗の意図を引き続き持っていたとした。
殺意についても、山田さんの頭部をモンキーレンチで何度も殴るなど、3人を執拗(しつよう)に攻撃しているとし、「確定的な殺意があった」と認定。「公判で不合理な弁解を繰り返し、反省も真摯(しんし)なものとは認めがたい」とした。
たかが現金20万円くらいで人を2人も殺すかと思いますが、この事件の場合、逮捕までの過程もまた「どうもなあ」です。死刑について詳細に記録しているサイトより。
>事件概要
中国籍の無職林振華(りん・しんか)被告は2009年5月1日午後10時ごろ、愛知県蟹江町に住む会社員の女性(当時57)方に侵入し、金品を物色中、女性に見つかったため、用意したモンキーレンチで頭部を殴って殺害した。さらに帰宅した会社員の次男(当時26)も包丁で刺殺、翌日午前2時半ごろに帰宅した会社員の三男(当時25)の首などを小刀で刺してけがをさせ、現金約20万円を奪った。三男はコードで手を縛られ、長時間にわたって監禁状態に置かれた。三男は「殺さないで」と林被告に請うたため、林被告は殺せなかった。
林被告は中国山東省出身で、2003年10月に20歳で来日した。京都市の日本語学校を2005年3月に卒業後、奈良市の専門学校に入校。しかし生活は困窮し、万引きなどを繰り返していた。2006年に三重大学人文学部へ入学。三重県の私費留学生奨学金を申請したが成績不良などを理由に認められず、生活は苦しいまま。両親から仕送りを受けつつ、大学近くの飲食店屋工員、建設作業員などでアルバイトをして生活していたが、体を壊して働けなくなった。
事件の前、津市のスーパーでの2件の万引きで摘発され、罰金命令を受ける予定だった。支払えなければ身柄を拘束され、退学を迫られると思い込み、路上強盗を考えた。事件当日、林被告は住んでいた津市から電車で名古屋市内を移動しながら犯行の機会を狙ったが、周囲に人が多いことなどから断念。林被告はその後、近鉄名古屋線で再び三重県方面に向かい、下車したのが急行電車で最初に停車する近鉄蟹江駅だった。女性宅では猫を飼っており、外にいる猫が帰ってくるために施錠をしていなかった。猫が帰るところを見た林被告は、女性宅に侵入した。女性たちとは面識はなかった。
林被告は3人を殺傷後、現場に居座って凶器の血痕を拭ったり、血の付いた服を洗うなどしていたが終電車が無くなったためそのまま居座り、台所に残された食事を食べていた。2日正午ごろ、次男の上司が訪問するも応答がなかった。不審に思った上司は近くの交番に届け、12時20分ごろ、上司と県警蟹江署員が女性宅を訪れ屋外から声を掛けた。両手を電気コードで縛られた状態の三男は既に犯人は逃げたものと思い、自力で立ち上がって玄関を開け、保護された。その後、署員が玄関ドアのすき間から屋内をのぞくと、林被告が玄関近くの廊下にうずくまっていたが、被害者の家族と誤解し、署員が携帯無線で署と連絡を取るために目を離した約2分間に、勝手口から逃走した。
事件後、捜査本部は女性を「行方不明」と発表したが、事件翌日に大量の衣服で隠された押し入れから発見するなど、捜査陣の不手際が目立った。しかも犯人の逃走を公表したのは一部報道があった後の5月8日と、その対応の遅れに非難が集中した。
林被告は事件後も複数回、中国に帰省したが、親の期待に応えるため、日本に戻って来た。2011年に三重大学を卒業し、三重県内の自動車部品製造会社に就職するも、翌年6月に退職していた。
2012年10月19日、津市の駐車場で乗用車1台などを盗んだ容疑で、三重県警が林被告を逮捕。三重県警は「余罪が疑われる容疑者」(捜査幹部)として警察庁のデータベースにDNAを登録。11月末、膨大なデータの中から事件で残された遺留物のDNAと一致したため、12月7日、愛知県警が強盗殺人及び強盗殺人未遂容疑で逮捕した。翌日、起訴した。
林被告は起訴後に精神的に不安定になり、意思の疎通が難しくなったことから弁護側の請求を受けた地裁が鑑定の実施を決めた。責任能力や訴訟能力に問題はないとする鑑定書が2014年1月に名古屋地裁に提出された。
動機の短絡性も相当なものですが、私が注目したいのが、事件の後逃走してから逮捕される過程です。
>林被告は事件後も複数回、中国に帰省したが、親の期待に応えるため、日本に戻って来た。2011年に三重大学を卒業し、三重県内の自動車部品製造会社に就職するも、翌年6月に退職していた。
2012年10月19日、津市の駐車場で乗用車1台などを盗んだ容疑で、三重県警が林被告を逮捕。三重県警は「余罪が疑われる容疑者」(捜査幹部)として警察庁のデータベースにDNAを登録。11月末、膨大なデータの中から事件で残された遺留物のDNAと一致したため、12月7日、愛知県警が強盗殺人及び強盗殺人未遂容疑で逮捕した。翌日、起訴した。
馬鹿。中国に逃亡していれば、逮捕なんかされなかったじゃん(呆れ)。
どういう理由で車の窃盗なんかしたのか知りませんが、これ中国に帰国していれば、この事件は確実に迷宮入りだったんじゃないんですかね。日本の警察がこの人物にたどり着く可能性は極めて低かったでしょう。日本にさらに滞在して、それで窃盗なんかして死刑にならなくったっていいじゃないですかねえ。この間記事にした、世田谷で女子大生を殺した警官同様根本的にまともな人間じゃないのでしょうが、それにしたってです。
別に私も、重大な犯罪がお宮入してほしいとも思いませんから、この事件で犯人が逮捕されて解決したのはたいへんいいことだと思いますが、それにしたって、自分の犯した犯罪の重大さをもう少し考えたほうがいいんじゃないのとは思います。しばらく逃げられていたから、自分に都合よく物事を考えちゃったんですかね。他人の命だけでなく自分の命も粗末にする人間です。
そう考えれば、オウム事件だってそうだし、その他さまざまな犯罪が同じようなものかもしれませんが、この事件はオウムのように完全な集団の犯罪でなく個人の犯罪なのだから、おとなしくしていて日本国外に逃げればいいのにね。もっとも中国でもひどい犯罪をしていたのかな。
ろくでもない奴は、どこでもろくでもないことをします。