昨日流れた記事を。
><米キューバ>国交正常化に合意
毎日新聞 7月1日(水)11時25分配信
. 【ワシントン西田進一郎】米国とキューバは6月30日、双方の大使館再開と外交関係正常化で合意した。米主要メディアが同日、米政府高官の話として一斉に報じた。オバマ米大統領が7月1日午前11時(日本時間2日午前0時)に合意内容を盛り込んだ声明を発表する。両国はキューバ革命後の1961年に国交を断絶しており、54年ぶりの国交正常化となる。
米国がハバナに、キューバがワシントンにそれぞれ置いている利益代表部を大使館に昇格させる。米政府は、大使館再開について少なくとも15日前に議会に通告しなければならない。ロイター通信は、ケリー米国務長官が7月下旬にハバナを訪問し、大使館再開の式典に出席する可能性があると報じた。
オバマ大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長は昨年12月、国交正常化交渉の開始を発表。今年1月からワシントンとハバナで断続的に交渉を行ってきた。交渉開始と並行し、米国は旅行や送金などの規制を一部緩和した。
4月には、パナマで開かれた米州首脳会議で59年ぶりに両国の首脳会談が行われ、関係改善を加速させることに合意。米国務省は5月、キューバに対するテロ支援国家指定を33年ぶりに解除するなど、両国の関係は急速に改善に向かっている。しかし、キューバの民主化や人権など、米国が重要視している分野で双方の立場が大きく異なる問題も残っている。
>国交回復と大使館設置へ=米・キューバ、歴史的合意―あす未明に正式発表
時事通信 7月1日(水)7時3分配信
. 【ワシントン、サンパウロ時事】米国とキューバは30日までに、国交回復と大使館の相互設置で合意した。7月1日に正式発表する。両国は1961年に国交を断絶しており、半世紀以上を経て外交関係を再開する歴史的な合意となる。
キューバ外務省によると、国交回復と大使館再開に関して、オバマ大統領からキューバのラウル・カストロ国家評議会議長に宛てた親書が1日に、両国当局者間で手渡される。
オバマ大統領は1日午前11時(日本時間2日午前0時)にキューバに関する声明を発表する。ロイター通信によれば、大使館再開の式典に出席するため、ケリー米国務長官が7月下旬にキューバの首都ハバナを訪問する可能性がある。
両国は昨年12月に国交正常化交渉の開始を発表。今年1月から5月まで、ワシントンとハバナで断続的に計4回交渉を開いた。米政府によるキューバのテロ支援国指定が関係回復への障害だったが、オバマ政権は5月、82年以来の指定を正式解除した。
>オバマ大統領は1日午前11時(日本時間2日午前0時)にキューバに関する声明を発表する。
この記事は、日本時間の2日午前0時にアップされる設定にしてありますから、するとこの記事はオバマ声明と同時の発表ということになりますかね。つまりこの記事を書いている段階では、私はその声明を確認していないわけです。
いろいろなご意見はあるでしょうが、とりあえずこの両国が国交を回復したのは良かったですね。もともと米国がキューバとの関係を拒否し続けた理由の一つには、明らかに「飼い犬に手をかまれた」みたいな心理があったし、今回国交回復に至った理由としては、キューバに直接利権を持っていた世代がほぼ死に絶えて、フィデル・カストロもトップ(国家評議会議長)を退いた事情もあったかと思います。たぶん米国でも、フィデルのキューバとは国交を回復したくないが、ラウルなら考えてもいい、みたいな人たちは少なくなかったはず。
1990年代初めは、キューバの最大のスポンサーであるソ連が崩壊したため、キューバも体制の維持は厳しいのではないかという観測も流れましたが、この難しい時期をキューバは乗り切れたので、そう考えるとあらためてキューバの底力というか強靭さみたいなものを感じます。たぶんですが、今日にいたるまで共産党の体制をキューバが保持し続けている理由の1つは、この共産党(キューバ共産党)が、キューバという国の特性とその時代の変化に対応して行く柔軟性を保持し続けたからなのでしょう。それはラテンアメリカの後進性、地理的特性の問題でもあるかもしれませんし、カストロの清廉さなども寄与しているのでしょう。
それで記事を読んでいて、私が注目したいのがこちら。
>米国がハバナに、キューバがワシントンにそれぞれ置いている利益代表部を大使館に昇格させる。
つまり不倶戴天の敵みたいな印象がある両国も、お互いにちゃんと利益代表部を設置しているということです。これは興味深いですね。翻って日本と北朝鮮、双方とも利益代表部はないですよね。考えるに、やはりこれの設置は必須じゃないですかね。日本には、朝鮮総連という北朝鮮の利益代表部に類するものはありますが、平壌には日本の利益代表部なるものはない。不定期で連絡事務所が開設されたことはあるようですが、現在はないようです。まずはこれの恒常的設置を必要としませんかね。北朝鮮は、朝鮮総連を利益代表部にすればいいでしょう。そういうことを政府なり与党が主張したら、荒木和博や西岡力は激怒するでしょうが、しかし必要なことでしょう。
ちなみに日本も、中華人民共和国と国交を回復する以前にも、北京に連絡事務所は設置されていました。Wikipediaの「日中国交正常化」の項目を引用しますと
>友好貿易とLT貿易
1960年夏の池田内閣の誕生と合わせるかのように、中国側から対日貿易に対して積極的なアプローチがなされてきた。そして松村謙三、古井喜実、高碕達之助、等の貿易再開への努力ののち、日中貿易促進会の役員と会談した際に周恩来首相から「貿易三原則」(政府間協定の締結、個別的民間契約の実施、個別的配慮物資の斡旋)が提示されて、ここから民間契約で行う友好取引いわゆる「友好貿易」が始まった。これはあくまで民間ベースのものであったが「政治三原則」「貿易三原則」「政経不可分の原則」を遵守することが規定された政治色の強い側面があり、日本国内では反体制色の強い団体や企業が中心的な役割を果たしていた。
そこで、これとは別に政府保証も絡めた新しい方式での貿易を進めるために1962年10月28日に高碕達之助通産大臣が岡崎嘉平太(全日空社長)などの企業トップとともに訪中し11月9日に「日中総合貿易に関する覚書」が交わされて、政府保障や連絡事務所の設置が認められて半官半民であるが日中間の経済交流が再開された。この貿易を中国側代表廖承志と日本側代表高碕達之助の頭文字からLT貿易と呼ばれている。しかし1963年10月7日に日中貿易のため中国油圧式機械代表団の通訳として来日した人物が亡命を求めてソ連大使館に駆け込み、その後台湾へ希望先を変えて、その後もとの中国への帰国を希望する事件が発生した(周鴻慶事件)。政府は結局中国へ強制送還したが、国府が反発して日台関係が戦後最悪といわれるほど悪化し、その打開に吉田元首相が訪台してその後にお互いの了解事項を確認した「吉田書簡」を当時の国府総統府秘書長張群に送り、その中で二つの中国構想に反対して日中貿易に関しては民間貿易に限り中国への経済援助は慎むことなどの内容があって、LT貿易に関しては影響を受けた。しかし池田首相の日中貿易に対する積極的な姿勢は変わらなかった。
さらに1964年4月19日、当時LT貿易を扱っていた高碕達之助事務所と廖承志事務所が日中双方の新聞記者交換と、貿易連絡所の相互設置に関する事項を取り決めた(代表者は、松村謙三と廖承志)。同年9月29日、7人の中国人記者が東京に、9人の日本人記者が北京にそれぞれ派遣され、日中両国の常駐記者の交換が始まった(日中記者交換協定)。
ということです。
1991年から日朝の国交回復への話し合いが(断続的とはいえ)続いているわけですが、それにもかかわらず利益代表部あるいは連絡事務所のたぐいもいまだ設置されていないわけで、あらためて日朝間の関係の厳しさを痛感します。いずれにせよ今後の米国とキューバの関係に要注目です。