昨日(11月4日)次のような報道がされました。
>再婚禁止期間めぐる訴訟、弁論開く 最高裁
朝日新聞デジタル 11月4日(水)11時27分配信
女性だけが離婚後6カ月間は再婚できないとする民法の規定は、「法の下の平等」などを定めた憲法に違反するとして、岡山県に住む30代の女性が国に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は4日午前、当事者の意見を聞く弁論を開いた。この日で結審し、年内にも大法廷として初めての憲法判断を示す見通しだ。
女性は2008年に元夫と離婚した。当時、現在の夫との間の子を妊娠していたが、女性のみに再婚禁止期間を設けた民法733条の規定により、離婚後の6カ月間は現在の夫と再婚できなかった。
女性は精神的苦痛を受けたとして、165万円の損害賠償を国に求めて11年に岡山地裁に提訴。民法733条は、「法の下の平等」を定めた憲法14条や、結婚についての法律は両性の平等に基づいて制定されるとした憲法24条に反すると訴えた。しかし、12年10月の一審・岡山地裁と、13年4月の二審・広島高裁岡山支部の判決はともに、「離婚後に生まれた子の父親をめぐって争いが起きるのを防ぐために設けられた規定で、合理性がある」などとして請求を退けた。
4日午後には、夫婦を同姓とする民法750条の規定が憲法に違反していないかが争われた別の訴訟でも、最高裁大法廷で弁論が開かれて結審する。この訴訟も、年内にも判決が出る見通し。(河原田慎一)
私見では、再婚禁止期間なんてのははなはだしい時代錯誤であり、夫婦同姓強制も馬鹿馬鹿しいと思いますが、その点はこの記事の趣旨ではありません。産経新聞の滑稽な記事についてです。
>2015.11.1 12:45
家族のかたちどう判断 伝統的価値観か現代的な多様性か 夫婦別姓、再婚禁止期間の違憲性争う訴訟 4日に最高裁大法廷弁論
民法で定めた「夫婦別姓を認めない」とする規定と「女性は離婚後6カ月間、再婚できない」とする規定の違憲性が争われた訴訟の弁論が4日、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)で開かれる。いずれも夫婦はもちろん子供の養育も含めた家族のあり方に深く関わる。原告らは家族の多様化を理由に「民法は社会の変化に対応できていない」と主張する一方、「家族の絆が弱まる」との慎重論も根強い。伝統的価値観と現代的な多様性を最高裁はどう捉えるのか。早ければ年内にも初の憲法判断が示される見込みだ。(大泉晋之助)
氏名の性格変わる?
選択的夫婦別姓制度導入を訴える原告は、現制度では夫婦のいずれかが姓を変えなければならず、さらに約96%の夫婦が夫の姓を名乗っているという偏った現状を問題視。「個人の尊厳や両性の平等を保障する憲法に違反する」と訴える。
早稲田大の棚村政行教授(家族法)は「働く女性が増えて、家族のあり方は変わってきた。男性でも女性でも実績のある人物が、名前を戸籍上も変えることに不便を感じる場合がある」と指摘。その上で、「離婚や再婚、国際結婚が増える中、その度に名前を変えるのが社会にとって好ましいか、名前が一緒だから家族の一体感が生まれるのか、考える必要がある」と話す。
一見、夫婦の平等や多様性を認めることになりそうな夫婦別姓のどこが問題なのか。「氏名の性格が根本的に変わる。『選択的』としつつ、国民全体の家族観に関わる」と反対するのは麗澤大の八木秀次教授(憲法学)だ。
八木教授によると、夫婦同姓での氏名が「家族名に個人名を加えたもの」である一方、夫婦別姓では「氏名は完全に個人のものになる」と指摘。別姓を選択すれば夫婦や親子の姓が異なり、同姓を選択したとしても夫婦やその子供の「個人の呼称」が一部重なるだけになるため、「家族の一体感が希薄化する」と懸念する。職場などでの「通称使用」が広く普及したことから、「別姓を制度上認めなくても不便は生じない」という。
過度な制約なのか
性差のある再婚禁止規定は、離婚直後に女性が再婚した場合、すぐに生まれた子供の父親が不明確になることを避けるために定められたとされる。原告は「必要以上の制約」と主張。DNA型鑑定など親子関係について科学的特定方法が進む現在、「条文の根拠は失われた」と訴える。
棚村教授も「親子を確定させるルールがきちんとあれば、再婚禁止期間は必要ない。ドイツやフランス、韓国などは廃止した」と指摘する。一方で撤廃した際には、親子関係を確定させるためのDNA型鑑定について、「裁判所から命じられた鑑定以外は認めないなど、厳格な運用が必要。血縁だけで親子を決めることができない場合もある」とみる。
科学鑑定が進んだ今も、後婚の夫の子供と推定するなどの嫡出推定規定の改正がない限り、再婚禁止規定が必要と考えるのは東北大の水野紀子教授(家族法)だ。水野教授は嫡出推定を「絶対的な社会弱者の子供を守るための制度」と位置づける。場合によっては血縁とは関係なくとも子供に確実に両親を与えるこの規定があるからこそ、「子供の両親を速やかに確定させることで家族が安定し、子供の健全な養育が可能になる」と話す。
DNA型鑑定で血縁を調べることについて、フランスでは禁止され、諸外国でも慎重に運用される。水野教授は「鑑定は、場合によっては築いてきた家族関係を壊しかねない。厳格な運用が求められている」と危惧。差異はあるが、鑑定の運用には賛成・反対派ともに規制が必要との意見だ。
この記事で注目したいのが、こちらです。
>一見、夫婦の平等や多様性を認めることになりそうな夫婦別姓のどこが問題なのか。「氏名の性格が根本的に変わる。『選択的』としつつ、国民全体の家族観に関わる」と反対するのは麗澤大の八木秀次教授(憲法学)だ。
八木教授によると、夫婦同姓での氏名が「家族名に個人名を加えたもの」である一方、夫婦別姓では「氏名は完全に個人のものになる」と指摘。別姓を選択すれば夫婦や親子の姓が異なり、同姓を選択したとしても夫婦やその子供の「個人の呼称」が一部重なるだけになるため、「家族の一体感が希薄化する」と懸念する。職場などでの「通称使用」が広く普及したことから、「別姓を制度上認めなくても不便は生じない」という。
ね、ね、ね、いわゆる家族法についての裁判についての記事で、なんで民法学者ならぬ憲法学者の八木が登場するの?
失礼ながら、八木なんてこの件の専門家じゃないでしょうが。もっとも憲法だって、八木なんて自民党からですらあまりいい顔をされない程度の(だから、戦争法制の審議で長谷部恭男教授が自民党推薦の参考人に呼ばれて、違憲だと陳述したわけです。自民党からすれば、八木とか百地あたりから「合憲だ」なんて言われたって価値がないわけです)人間ですが、しかし民法でコメントを求めてもなおさらしょうがないでしょうに。
記事では、再婚禁止規定については賛成を唱える水野教授を登場させていますが、夫婦別姓に関しては、つまりは賛成してくれるそれなりの民法学者なるものが存在しなかったのでしょう。だからといったって、八木なんか登場させなくたっていいし、八木だって「自分は憲法学者だから」と断るのが当然ですが、双方ともどもそんな常識のある連中じゃないしね(笑)。いずれにせよどうしようもないとはこのことです。
それで産経新聞というのは、この種の滑稽な人選が目立つメディアです。以前私が書いた記事です。
この記事で紹介しましたように、藤岡は、大江・岩波訴訟についての論評を産経新聞に書いています。ね、ね、ね、なんで教育学者の藤岡が、そんな名誉棄損訴訟についての論評を新聞に書くの? 藤岡が自分が雑誌とかに持っているコラムとかで書くっていうものじゃないし。
これも八木が登場するのと同じで、つまりは、法律家や沖縄に詳しい歴史家、ジャーナリストなどで、この裁判に関して上告側(原告側)を支持して判決を批判するコメントをしてくれる人なんかいなかったということでしょうが、教育学者にこんなもの書かせてどうする(笑)。もちろん産経新聞だって、藤岡なんて右翼活動家としてしか評価していないし、藤岡だっていまさら自分を教育学者として評価してもらおうなんて期待していはいないでしょうが、それにしてもなんとも無残で無様な姿です。
もっともこの裁判に関しては、藤岡は実は善意の第三者ですらないようですが(拙記事を参照してください)、いずれにせよ執筆させる産経といい執筆する藤岡といい、何とも非常識極まりない連中です。
それで、たとえばこのような記事はどうでしょうか。
>2015.4.16 23:00
【正論】AIIBにみる中国の金融野心と参加国の策略とは…評論家・西尾幹二
内容は、興味のある方が読んでいただければよいとして、AIIBについて論じるのに、西尾みたいな経済学者でもない素人に書かせたってしょうがないでしょうにねえ。普通なら、こんなことを西尾なんかに依頼する馬鹿はいないし、西尾だって普通なら「自分は専門外なので」とかいって断るでしょうが、上と同様産経も西尾も、そんな常識が通用するような人間じゃないしね(苦笑)。
ていうか、AIIBの問題って、つまりは加入する、しないによって日本がどのような経済的メリット、あるいはデメリットとなるかということであって、西尾にこんな文章を依頼する産経は、実のところ経済的な問題じゃなくて、いわば中国とかかわりあいたくないという次元を最優先させちゃっているわけですよね。まさに語るに落ちるとはこのことです、じゃなくて、そんなことをカムフラージュする意思もないのでしょう。何をいまさらながら、どうしようもない新聞社、どうしようもない執筆者です。
この記事は、bogus-simotukareさんのこちら、こちらを参考にしました。また一部その記事に私がよせたコメントを再使用していることをお断りいたします。