過日、PL学園の野球部で、その絶頂の時期にプレーした方についての記事を書きました。
それで、ちょっとこの件に関連することで考えたことがあります。
私が取り上げた本
にもありますが、PL学園の野球部は、現在存続すらどうかという事態になっています。一応報道では、
>PL学園野球部存続へ 現在部員11人も17年度に部員募集再開
2015年8月30日5時0分 スポーツ報知 春夏合わせて甲子園7度の優勝を誇る高校野球の名門・PL学園(大阪)が早ければ2017年度から3年ぶりに野球部員の受け入れを再開することが29日、分かった。新入部員の受け入れを停止するなど、廃部も視野に入れていた母体のPL教団が方針を変更。専用グラウンドや室内練習場を新たに建設し、再出発することになった。 (後略)となっていますが、はたして現在の保護者がPL学園に子どもを入れようと考えるかどうかも厳しいんじゃないんですかね。存続もそう容易ではないと思います。といいますか、PL学園という高校(高等部)すら存続が難しいかもというのが現状です。こちらの記事によりますと・・・。
> 同誌によると、2月10日、大阪府富田林市にあるPL学園高校の入学試験会場は閑散としていたという。付属中学からの内部進学者を除く今年度の受験者は、国公立コースと理文選修コースを合わせた定員75人に対し、わずか28人(専願は20人)にとどまったのだという。とりわけ定員割れした理文選修コースの0.23倍という競争倍率(定員65人に15人の受験者)は、大阪府内の共学私立としては最低の数字だった(大阪私立中学校高等学校連合会のデータ)。
とあり、これでは学校の運営もままならないでしょう。ちょっと前に、テレビドラマにもなった北星学園余市高校が、入学者減少のため閉校の方向へ進んでいるという記事が流れました。
>ヤンキー先生の母校、閉校検討 北海道・北星学園余市高
2015年12月10日18時59分
全国に先がけて高校中退者の受け入れ制度をつくったことで知られる北星学園余市高校(北海道余市町)が2017年度を最後に生徒募集を停止し、19年度末に閉校する方向で検討していることがわかった。運営する学校法人北星学園の関係者が明らかにした。同校は「ヤンキー先生」こと義家弘介・文部科学副大臣の母校。
同校は1965年に開校。88年に中退者の転編入制度を導入し、全国から生徒を受け入れてきた。北星学園によると、転編入を受け入れる高校やフリースクールが増え、定員140人に対し今春の入学者が41人にとどまるなど、ここ数年は定員割れが続いていた。来春の入学状況をみて最終判断する。
PL学園も、閉校が決定したてもおかしくないというのが正直なところじゃないでしょうか。
ではなぜPL学園はこのような厳しい現状になったかです。その理由はいろいろでしょう。PL教団自体信者数の減少に苦しんでいるといいますし、いまはそれはやめたようですが、全寮制という方針も時代にそぐわなかったということでしょう。そしてそれらすべてをひっくるめた理由として、けっきょくPL学園という高校に、野球以外の魅力が乏しかったということが大きいのではないかと思います。
1987年の夏の大会での優勝のあと、PL学園は高校野球で全国優勝をするに至っていません。その理由はいろいろですが、つまりはいろいろな高校が野球部の強化に乗り出したので、PLといえどもかつてほどの好選手を集めることができなくなったのが大きな理由でしょう。ダルビッシュ有とか田中将大のような関西の出身者が東北や北海道の高校に進学するようになったのは、その大きな表れです。
そしてかつてはPL学園の不祥事も、高校野球人気とPL学園の強さと知名度で不問に付されていた部分があります。前掲書にも書かれていますように、86年に当時の2年生(立浪和義、本の著者である伊藤敬司氏らと同級生)の前途有望な生徒が池の中に入って死亡するという事件が起きています。当時は「事故死」と処理されましたが、桑田真澄の父親が、それは先輩が無理に池に入れて(ものを池に投げて「とって来い」と言った模様)、それで死亡したということを暴露しています。こんなことが表ざたになったら、野球部など即刻廃部になっても仕方ないところですが、けっきょく不問になりました。警察がしっかり捜査をしたかも定かでないですが、つまりはたぶんに見て見ぬふりがされていたのでしょう。
しかし時代が変わり、このような不祥事に対する世間の目の厳しさは格段に強くなっています。またPL学園の高校野球界での位置づけもかつてよりはるかに低くなっていますし、さらに上にも書いたように他校との競合も激しくなり、生徒数も減少し、かつての名物だった応援の人文字すらできなくなっているくらいです。
そうなると、ではなぜこのような事態になったかということになります。たぶんですが、野球部に魅力がなくなった(あるいは減少した)時点で、PL学園に入(れ)る理由が保護者・生徒ともになくなったということでしょう。つまりPL学園にそれ以外に魅力がなかったということです。
PL学園以前の野球高校というのは、例えば広島商業とか松山商業のような公立高校ならそんなに生徒数の減少ということを心配しないでもよかったわけです。もっとも昨今公立高校も再編をいろいろ余儀なくされていますが、伝統とかはともかく、公立高校だから、廃校にはなかなかならないし、極端に言えばなったって、別に教職員が失業するわけではない。
ほかにも早稲田実業とか日大二高(三高)とか東海大相模などのマンモス大学の(特別)付属高校(系属高)などならいいわけです。母体が大きいから、これも廃校にはなりにくいし、また経営上の余裕もいろいろある。
もちろん上の高校のような経営規模が大きいというわけではない野球高校もありますが、それらも多くはおそらくPLほどは野球のみに特化していなかったはず。それで決して高校の規模が大きいとはいえなかったPL学園は、野球部が廃れてしまったら、その後の変化に全く対応できなかったわけです。
ここで思いだすのが、吉野家の牛丼です。米国から牛丼用の牛肉を取り寄せいていた吉野家は、米国でのBSEの問題で輸入が不能になったために、ついには牛丼を出すことが不可能になってしまいました。これも、後になってみれば複数の国々から牛肉を取り寄せるリスクヘッジを必要としていたということでしょう。しかし吉野家は、それを怠ったために大変なことになってしまったわけです。つまりはPL学園の野球が、吉野家の牛丼の輸入先ということです。
ただこれは仕方ない点もあります。つまりPL学園ほど高校野球の強化に長期間力を入れた高校はたぶん日本になかったからです。日本で初めてのことをやれば、わからないことだらけなのは仕方ないことです。そういうわけで、ポスト野球部の学校運営について、これといった準備や対応がまるでできなかったのでしょう。いや、準備はしていたのかもですが、しかし現状を見ますと、まったくといっていいほど機能できておらず、どうしようもないといわざるを得ないでしょう。
それで他の野球高校を見てみますと、やはりいろいろ野球以外のその高校なりの「売り」を出そうとしていますね。野球部以外のスポーツに力を入れる、たとえば高知の明徳義塾は、相撲を一生懸命強化しているし、あるいは進学クラスを作って学業の方にも力を入れている高校も多い。野球部が弱くなっても、「売り」があれば、ないよりはその後の変化に対応できる。たぶんこれは、PL学園の状況を見て、それを反面教師にしている部分があるかと思います。Jリーグが、立ち上げの際に日本プロ野球(NPB)を参考にし、学ぶべきでない点、是正すべき点を研究したのと同じです。
どの高校も、野球だけで知名度を上げても将来がないと判断しているのでしょう。その判断は多分正しい。少子化の進行で、高校はどんどん休校・閉校・廃校を余儀なくされていきます。継続の意欲があるのなら、様々な強み・魅力を受験生・保護者に提起していかなければならない。そう考えれば、野球高校が野球以外のいろいろな強みを発信しているのは非常に良いことだということでしょう。
PL学園にどのような未来があるかは定かでありませんが、いずれにせよ高校野球に興味がなくても存在くらいは誰でも知っているといっても過言でない(いや、今は「知っていた」かな?)高校が非常に厳しい状況にあるというのは、いろいろな意味で考えさせられることだなと思います。