必ずしも「スポーツ」じゃないような気もしますが、一応このタグということで。
こんなニュースを知りました。
>元夫逮捕に…清原亜希がコメント「子供たちを守ることが一番の責任」
スポニチアネックス 2月5日(金)16時49分配信
モデルの清原亜希(46)が5日、元夫の清原和博容疑者(48)が2日夜に覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで現行犯逮捕されたことを受けて、マスコミ各社に向けてファクスでコメントを発表した。
「ご心配とご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます」と謝罪したうえで、「今、私にできることは多くありませんが、まずは親として、大切な子供達を守ることが一番の責任だと思っております。誠に申し訳ありませんが、どうぞご理解とご配慮を頂けますよう何とぞよろしくお願い申し上げます」と気丈につづった。
亜希は清原容疑者と2000年12月に結婚。02年8月に長男、05年に次男が誕生した。その後、14年8月に離婚。2人の息子の親権は亜希が持った。
私野球のことにそんなに詳しくないので、清原亜希という人についても名前くらいしか知らないし、顔も今回の騒動で初めて知ったくらいですが、現実問題としてこれ本人の意思で書かれたのかも不明ですので、論じること自体どうかと思うんですが、
>ご心配とご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます
って、これはおかしいですよね。この件に清原亜希は、なんら関係もないし、責任もないでしょう。
彼女が、結婚時に清原和博の覚せい剤使用や所持を知っていてかばっていたとかいうのなら、それは犯罪とかになりますけど、たぶんそういう話ではない。これは徹頭徹尾清原が自分の意志でやったことなんだから、関係ない彼女は、いかなる点でも謝罪をする必要はないし、そんなことをしてはいけません。彼女はなんら他人に心配も迷惑もかけていない。かけたのは、清原和博です。つまりは、これって前に私が記事にしたチョムスキーの言うチンギス・ハンの犯罪の話と同じです。
この場でチンギス・ハンの犯罪について論じても、それには何の道徳的価値もないのだ(チョムスキー)>私たちの目の前で起きたことを許すことについて、私は君を非難し、自分を非難し、その他残りの人間も非難する。
ということです。清原和博の覚せい剤購入や所持や使用は、清原亜希の目の前で起きたことでは(たぶん)ないのだから、彼女には何の責任もないし、他人から批判や非難をされるいわれもないのです。清原亜希が、清原和博の覚せい剤使用その他の件で何らかの関係があるのであれば、私のこのくだりは訂正します。
しかし日本という国は、このようなことで実に安易に「謝罪」とかをしますね。前にこんな件がありました。
こんなことで大学が謝ることはないだろつまりサッカーの女子日本代表の選手と一緒に酒を飲んだ法政大学の学生が、その飲み会の模様をツイートして、それが騒動になったという話ですが、私が「おや」と思ったのは、法政大学の対応です。引用は、拙記事より。
>大学側は「関係方面にご迷惑をかけた」と謝罪した。
>法政大の広報広聴課では、ツイートしたのは男子学生本人であることを確認したといい、「大学として、熊谷さんを含め、関係方面にご迷惑をかけ、深くお詫び申し上げます」と陳謝した。
大学がなんら関与している場ではないし、ましてや学生というのは金をもらっている立場ではなく、金を大学に払って在籍してあげている立場です。法政大学のようなマンモス大学が、学生のそんな動向についていちいち管理できるわけもない。つまりは謝っておけば無難だという以上の話ではないのでしょうが、そういうことをしていたら、本当に謝罪すべき時に謝罪の価値が下がります。
法政大学と清原亜希とでは、状況も立場ももちろん違いますが、どちらも謝る必要のないことで謝っているということは共通します。私たちは、チョムスキーが語るように
>我々がどうこうできないことをやっている他人の行為について、私たちは道徳的責任を持たないのだ。それは残念なことかもしれないが、それについて私たちは何もできないのだ。
ということです。