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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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「前向きに」だそうです

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昨日見て「どうもなあ」と思った記事を。

><浅田真央選手>CMで前向き全力宣言

まんたんウェブ 1月5日(火)20時22分配信

 フィギュアスケートの浅田真央選手が出演するECC外語学院の新CM「チャレンジ!ニッポンの英会話」編の放送が5日スタートした。浅田選手が「チャレンジすることの大切さ」をまっすぐに語りかけ、見るだけで元気が出てくるようなチャーミングな笑顔やポーズを披露している。

 「チャ・レ・ン・ジ!」というナレーションにあわせて、浅田選手の表情とポーズがテンポよく変わっていくところが見どころで、浅田選手はチャレンジする喜びや楽しさを見事に表現。監督からも「浅田さんからにじみ出てくるポジティブメッセージが画面から伝わってきました!」と絶賛する声が上がったという。

 撮影現場では「2016年 浅田真央は全力で頑張ります!」と絵馬にしたためた浅田選手。「2016年に入って、あと半分シーズンが残っているので、シーズン後半も頑張りたいという気持ちを込めて書きました」といい「小さいころからスケートをしてきて、日々チャレンジしていますし、いろいろな試合で毎回チャレンジしています。これからもずっとチャレンジしていきたいなと思っています」と前向きに語ったという。

・・・・・(笑)。

個人的な意見を言わせていただくと、私生活とかはともかくアスリートとしてはそんなに明るい未来は浅田真央にはないと思いますけどね。こちらの記事もお読みください。

>真央 全日本は引退覚悟だった 「辞めると思ってました」

デイリースポーツ 1月5日(火)19時2分配信

フィギュアスケートの元世界女王、浅田真央(25)=中京大=が5日に東海テレビの「ONE」で放送された姉の舞との対談で、昨年12月の全日本選手権(札幌)に引退覚悟で臨んでいたことを明かした。

「辞めると思ってました」。

 14年ソチ五輪シーズンが終了後、1年間の休養を経て、今季から競技復帰を決めた真央。ただ、GP復帰戦となった中国杯で優勝して以降、NHK杯で3位、GPファイナルでは6位と苦戦が続いていた。「ファンの皆さんも全力で応援してくれている。期待に応えたいけど、応えられない自分が悔しい」。気持ちが落ち込む中、全日本に出ずに引退する選択肢もあったという。それでも出場を決意したのは「最後のけじめとして出ないといけないと思った」からだった。

 全日本では精彩を欠き、5位と出遅れたSP終了後、本来、会場に来る予定のなかった舞に「明日の予定はある?明日の演技を見てほしい」と、伝えた。2人の間には約束があった。「真央の試合は見に行かない」(舞)「舞が来ると素の真央が出る。弱い真央が出る」(真央)。ただ、今回は来て欲しかった。「これが最後だと思ってたから」(真央)。

 しかし、真央は土壇場のフリーでトリプルアクセルや連続3回転ジャンプには失敗したものの、その後は魂の演技を披露し、表彰台に食い込んだ。世界選手権代表入りも決め「なんとか全日本を笑顔で終えられて。先に繋がった。繋がっちゃった感じだね」と、笑顔で振り返った。

 今後については「今までは先の五輪を見てやってきたけど、今は本当に1試合1試合。それしか無理」と見通しを示し、最後は姉妹で「これからも応援よろしくお願いします」と、締めくくった。


アイルランド・英国紀行(2015年9月)(5)

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列車はチェスターに向かって走ります。この街が、今日の目的地です。

なかなかの美女がいました。サングラスがかっこいい。

平坦な、いかにもイングランドっぽい風景です。

ラップトップと携帯電話以外は充電しちゃいかんそうですが、平然とデジカメを充電してしまった私。

この旅行では、アイルランドをふくめて、ほんとどこでも牛を見かけました。

そうこうしているとチェスターに到着します。

改札は、ここでも自動改札です。

おり曲がってしまいましたが、これが切符です。

ミュージシャンが演奏をしていました。

こちらの方の記念プレートですかね。

明日は、ウェールズのホーリーヘッドからダブリンに向かうことにしましたので、時刻表に注意します。もっともいまの時代、ネットで簡単に参照できちゃうので、昔ほどこういうものの価値があるわけではありません。

駅を出ますと、いかにも英国といった感じの建物があります。

では町の中心部へ向かって歩きます。ホテルも決めていませんので、観光案内所でも行くか、ガイドブックに紹介されている宿へ行くか、適当かつ即興的に決めるか、いろいな方法でホテルを決めることになります。

こういうホテルに泊まったら、安くてよさそうです。

いかにもさびれた風景ですが・・・

この運河はきれいです。

やっぱりこういう光景は絵になりますね。

それで1件のホテルが目につきました。

部屋の中を見せてもらいます。すぐここに決めます。私も偉そうなことを言っているわりには、このように安易に宿を見つけます。

かならずしもネットのレビューがいいわけでもありませんが、しかし私にとってはなかなか良い宿でした。

ホテルの全景です。

(つづく)

しばらく連絡を絶ちます

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火曜の朝まで遠出しますので、コメント欄に対応できません。火曜夜以降返しその他をできると思いますので、よろしくお願いします。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(6)

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では街の真ん中へ向かいます。スラリとしたお姉さんが闊歩するのは欧州らしいところ。

地下道を通ります。

こういうところ夜通るのは嫌ですね。欧州ですから、かなり危険です。

夕飯をどこで食べようかなとか考えます。

こういう老人がいるのも、いいですね。

ひやひやしながら撮影をします。

こういう女性たち、いかにも英国人という気がします。つまりあまり美人でないということです。手前、右の女の子は悪くないけど。

さすがにロンドンほどではありませんが、非白人もちらほらいます。

門をくぐります。手前は日本人観光客の模様。

ショッピングモールもあります。

大聖堂を見学します。

彼女も日本人だったようです。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(7)

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中には、いろいろな言語で「ようこそ」が書いてありました。なぜ日本語だけ「チェスター大聖堂へ」があるのかな?

いかにも荘厳です。

有料エリア外で、カフェを営業していますので、さっそく休みます。

疲れていると、甘いものをいただきたくなります。

やはりステンドグラスはいいですね。

中はミサ中にて撮影不可とのことなので、写真はなしです。ごめんなさい。

これまたなかなか奇怪な像です。

大聖堂を出ます。

なぜ象が?

子どもの写真も平気で撮る私。

ミュージシャンが警察からチェックを受けていました。

どのように街を歩こうか思案します。

建物の2階の部分が渡り廊下のようにつながっています。これがこの街の名物です。

歩きます。

見知らぬ女性がポーズを作ってくれました。こういうノリのいい女性がいると、私のような人間はうれしいにもほどがあるというものです。

路上カフェで休むのもいいかもしれません。

ショッピングモールになっている中に入ってみます。

子どもを放任して大丈夫?

世界中このようなショッピングセンターの力が強くなっています。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(8)

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子どもの路上ミュージシャンが演奏をしようとしています。残念ながら彼らの演奏を聞くことはありませんでした。

英国人が美女民族だとは思いませんが・・・

子どもたちはけっこう可愛いと思いました。

ロンドンと比べると白人が圧倒的に目立ちますが、しかし右の人のような非白人ももちろんいます。

典型的な、英国らしい建物、っていうところですかね。

ほんとはこういうレストランで食事をしたいのですが、今日はがまんします。

それでまた街の中心部へ戻ります。

タムタム(?)をたたく女性がいて、となりに相棒の犬がじっとしていました。

白人らしいすらりとした脚の持ち主です。

こういうおばあさんを見ると、英国っぽいと感じる私は、単なる偏見の持ち主ですかね。

今度の目的地は、ガイドブックに載っているパブです。

なかなかいい光景です。

こちらのパブです。

中です。私は座るのは遠慮して、立ってビールを飲みます。

やはり英国のパブで飲むビールは格別です。

いろんなビールの銘柄が書かれています。

2杯目をいただきます。

右の彼女がビールを注いでくれました。なじみの男性客とも話をしていました。

店の女性ほかに別れを告げて店を出ます。来てよかったと思いました。

なかなかチェスターに来る機会もないでしょうが、行かれる方はぜひどうぞ。

(つづく)

ちょっとトラブルがありました

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ちょっとトラブルがありまして、明日以降の更新が未定です。 まあ大丈夫だとは思いますが、できなかったらごめんなさい。

今週中はお茶を濁した更新になりそうです 

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あ、すみません。トラブルのほうはなんとか解決したのですが、私が精神的に疲れ切ってしまい、まともな更新が今週中は難しそうです。一応1日1記事の方針は堅持したいのですが、金曜くらいまでは、このような更新とも言えない更新かもしれないことをお詫び申し上げます。


「ノーパンツ・デー」だそうです

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過日読んで、苦笑した記事を。

>見え過ぎちゃって…? 各地で「ノーパンツ・デー」

2016.1.11 03:25

思わず目を疑う光景…何がって、この人たち、パンツ丸見えなんですけど…。
 実は皆さん、イギリスやチェコ、その他世界の各地で年齢・性別問わず、ズボンやスカートを着用せずに地下鉄などを利用するサプライズイベント「ノー・パンツ・デー」の参加者たちなのです。
 十数年前から世界中に大きなブームとして広がりを見せているこのイベントは、国や地域によって呼び名こそ違っていますが、いずれも下半身が下着だということ以外は全て通常通り。
 何食わぬ顔で歩き回る様子に、むしろズボンをはいている方が遠慮してしまいそう?

さすがに「パンツ」とはズボンのことです。下着の意味ではない。しかし「どうもなあ」という気にはなります。写真を。

以上5枚は、ロンドンの地下鉄にて。

これはプラハでの写真。この女性アジア系ですかね。

なお、ロンドンの地下鉄の写真については、

>Participants in the annual No Trousers On The Tube Day ride the London Underground in London, Britain January 10, 2016. REUTERS

とありますね。「パンツ」でなく「トラウザーズ」という英語です。下着姿で地下鉄に乗ろうという趣旨なんですかね。

個人的には、上から2枚目の写真の女の子の下着は見えたらラッキーという気はしますが、見せパンかな。欧州の女性はわりとガードがゆるいのはたしかです。

私にとってアラン・リックマンは、「マイケル・コリンズ」でイーモン・デヴァレラを演じた人だ

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英国人俳優のアラン・リックマンが亡くなりました。記事を。

>『ハリポタ』スネイプ先生役、アラン・リックマン69歳で死去

シネマトゥデイ 1月14日(木)22時28分配信

映画『ハリー・ポッター』シリーズなどのスネイプ先生役で知られるベテラン俳優アラン・リックマンさんが14日、癌のため69歳で亡くなった。BBCなどが報じた。

 「俳優、そして監督でもあるアラン・リックマンは、69歳で癌のために亡くなりました。彼は家族と友人に囲まれていました」と彼の家族はBBCに語っている。

 リックマンさんは、イギリスを代表する名俳優で、『ダイ・ハード』のハンス・グルーバー役、近年では『ハリー・ポッター』シリーズのスネイプ先生役として活躍した。1991年には、『ロビン・フッド』で英国アカデミー賞助演男優賞を受賞。昨年、自身にとって2作目となる映画監督作『ヴェルサイユの宮廷庭師』が日本でも公開されており、監督業にも意欲を見せていた。(編集部・石神恵美子)

日本に限らず、リックマンというと、「ハリー・ポッター」に出ていた人、あるいは「ダイ・ハード」の悪役というイメージが強いようですね。英国の新聞(ガーディアン)も見出しが

>Alan Rickman, giant of British screen and stage, dies at 69

Much-loved star of stage, TV and films including Harry Potter and Die Hard – and owner of one of the most singular voices in acting ?– has died in London

なくらいです。

それは仕方ありませんが、私にとっては彼は、「マイケル・コリンズ」でのちのアイルランド首相、大統領であるイ―モン・デ・ヴァレラを演じた人です。リックマン自身アイルランド系英国人だったとのことで、たぶんデ・ヴァレラを演じたのはそれなりの感慨はあったのではないかと思います。

説明するまでもないでしょうが、カラー写真がリックマンの演じたデ・ヴァレラ、白黒写真が本人の写真です。

英語版Wikipediaによると、この役はジョン・タトゥーロも候補でしたが、リックマンに落ち着きました。イタリア系米国人のタトゥーロよりはアイルランド系のリックマンのほうがよかったのかもしれません。

私がアイルランドに興味を持ったきっかけは、「ライアンの娘」とこの映画を観たのが大きなきっかけだったわけで、そう考えれば映画というものがある人間の人生に与える影響というのも馬鹿にしたものでもないでしょう。

意外な気もしますが、彼は米国のアカデミー賞にはノミネートすらしませんでした。演技力の申し分なさは万人が認めるわけで、そう考えるとオスカーとはやや縁のないひとだったということでしょうか。ご冥福をお祈りいたしましてこの記事を終えます。なお1番上の写真は、「ガーディアン」より。2014年の写真。

高野連のとある発表についての背景

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興味のない方からすればどうでもいいことですが、ある人からすればそれなりに面白い(まあ世の中の森羅万象だいたいそんなものですが)報道がありました。

><選抜高校野球>春夏通じ初…小中学生ドリームシートに招待

毎日新聞 1月13日(水)20時24分配信

 今春の第88回選抜高校野球大会で、小中学生を無料招待する「ドリームシート」が新設されることが13日、発表された。バックネット裏中央2ブロックの最前列から7列目までの計118席。本塁の真後ろにあたり、投手の球筋や打者のスイング、本塁上でのクロスプレーなど、野球の醍醐味(だいごみ)を間近で味わうことができる。バックネット裏に招待する制度は春夏通じて初めてという。

 大会運営委員会によると、日本中学校体育連盟に加盟する軟式野球部員数は2004年の29万8605人から14年は22万1150人まで減少している。日本高校野球連盟の竹中雅彦事務局長は「昨年100年を迎えた高校野球が200年と続くため、未来の高校球児を育てるのが我々の使命。小中学生が将来、甲子園でプレーするイメージを持つには一番いい」と裾野拡大につながることへの期待を示した。

 参加した小中学生は試合観戦に加え、甲子園歴史館も見学する。今春は近畿地方のチームのみを招待するが、来年度以降は対象の範囲を広げることなども検討する。【安田光高】

日刊スポーツの報道も。

>小中学生をセンバツ無料招待、毎日ネット裏118席

日刊スポーツ 1月14日(木)8時14分配信

第88回選抜高校野球大会(3月20日開幕)の運営委員会が13日、大阪市内で行われ、同大会から甲子園に「ドリームシート」を新設することが決まった。甲子園中央特別自由席内のバックネット付近の118席で、全国軟式野球連盟に所属する小中学生の軟式野球チームの選手を連日、無料招待する。招待選手は毎試合ごとに入れ替える。

甲子園の特等席の無料開放という思いきったプランは、日本高野連の強い危機感の表れだ。甲子園人気に衰えはないものの、少子化の影響などで少年野球人口は年々減少。中体連の資料によれば、06年は30万2037人だった軟式野球人口が15年は20万2488人に落ち込んだ。日本高野連の竹中事務局長は「未来の球児を確保することが大事」の考えで、昨年から温めていた計画を実行に移した。

 バックネット裏を確保したのも、捕手や打者のすぐ後ろの臨場感あふれる場所からの観戦で、小中学生球児の野球への興味をより高めるため。初年度は旅費など金銭面の負担を軽くするために近畿2府4県のチームが対象になるが、来年度以降は硬式野球チームも含めて招待地域を広げる。観戦の前後には甲子園球場内の甲子園歴史館にも招待。同シートは夏の甲子園大会にも導入される予定だ。

 バックネット裏は一般ファンにとってもあこがれの場所。大会中は徹夜のファンが球場前に列をつくる。そういった熱意を理解した上で、竹中事務局長は「球児をともに育てていかなければいけない。ご理解いただきたい」と訴えた。【堀まどか】

日刊スポーツの記事は、最後の段落にちょっと注目して下さい。また、日刊スポーツの記事には、下の写真があり、そこには

>赤色部分が新設される「ドリームシート」。写真は14年3月、校歌を歌う池田ナイン

とあります。

それでは「しつこい」と思われるかもですが、次の記事を読んでください。同じ内容の記事を3つも紹介するのには、それなりの理由があることはご理解いただけると思います。

>ラガーさん“引っ越し”へ 高野連がセンバツで「ドリームシート」新設

スポーツ報知 1月13日(水)22時33分配信

 8号門クラブも「お引っ越し」へ―。日本高野連は13日、センバツ高校野球大会の期間中、バックネット裏前方に118席の「ドリームシート」を新設し、軟式野球チームの小中学生を無料招待すると発表した。

 今年は全日本軟式野球連盟の加盟チームが対象。旅費の負担を考慮して、近畿地区に限定する。夏の甲子園大会でも設ける方向だ。少年野球人口は毎年減少しているだけに、臨場感あふれる席で観戦することで、甲子園へのあこがれを持ってほしいとの狙いがある。

 甲子園大会のネット裏ではこれまで、同球場の8号門入り口で大会期間中に野宿している熱烈な高校野球ファンのグループ「8号門クラブ」の会員が最前列に座ることが多く、中でもラガーシャツを着て最前列で応援する名物客「ラガーさん」は有名だ。新たにドリームシートが設置されることから、8号門クラブのメンバーも「引っ越し」の必要に迫られそうだ。

どうでしょうか。だいぶこちらの記事は、報道の力点が異なるのではないでしょうか(笑)。

つまりどうもこの高野連の措置は、このシートについてのトラブルが昨年の夏に噴出したためのようです。報知新聞の記事にありますように、

>熱烈な高校野球ファンのグループ「8号門クラブ」

がかなり強引な席の確保を行い、トラブルが頻発しました。例えば「8号門クラブ」でない人が座ったらむりやりどかすとか、それでいて芸能人や若い女の子を隣に座らせたりとか。それで、上の記事でも紹介されている「ラガーさん」という人物は、著作まで発表したりマスコミでも好意的に取り上げられたりもしたくらいなのです。2015年の段階でも、神戸新聞で

>(前略)「私たちも球児とともに戦っている」。蛍光黄色の帽子にラガーシャツとひときわ目立つ男性。通称「ラガーさん」こと善養寺(ぜんようじ)隆一さん(49)が口を開く。

 東京で印刷業を営む善養寺さんは、開幕4日前の今月2日、トレードマークのラガーシャツ約30枚を携え、高速バスで甲子園球場に乗り込んだ。

 バックネット裏最前列で初めて観戦したのは85年春。桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」擁するPL学園の試合を見て、バックネット裏のとりこになった。

 「A列73番」。善養寺さんの“指定席”だ。99年からの連続観戦は、今夏1300試合を超えた。(尾藤央一)

という記事が出ています。で、下の写真を見てください。

 前列の右から2番目の蛍光色の帽子をかぶっている人物が「ラガーさん」という人物です。彼が座っている席が

>A列73番

という席のわけで、一番上の写真の赤い部分に入ります(笑)。

しかし、挑発に乗ったといっていいのかどうかはともかく(そのあたりは、興味のある方はご自分でお調べください)、かなり重大なトラブルが発生してしまい、change org.で

>甲子園のバックネット裏は八号門倶楽部のものではありません。一部団体の私物化に抗議します

高校野球を応援する会   8号門クラブをはじめとする、一部団体は高校野球大会の自由席を私物化しています。具体的には、1人につき1席使用すべきところ、過剰なほど多くの席を占有していたり、先に着席していた観客を恫喝し、座席を強奪して他の席に移動をさせたりしています。また、阪神甲子園球場の警備員は一連の行為を黙認しています。これらの行為は健全な高校生スポーツにあるべき姿とは言えず、高校野球そのものを冒涜していると言って過言ではありません。来年の春には甲子園が球児たちにとって気持ちよくプレー出来る環境となることを望みます。そして、私たちは高野連、朝日新聞社、8号門クラブに対し、これらの行為が無くなるよう、具体的な行動を取ることを強く要求します。
(後略)

というのが出ました。それで、「8号門クラブ」も引っ込まなかったので、それにより特にフロントの立場にいた「ラガーさん」という人物がどうもかなり激しいバッシングを受けたみたいですね。こちらのサイトでは、昨年の夏の甲子園の際にご当人へ取材を試みていますが、

>SPA!特捜班は過熱するバックネット裏の真実を探るため、ラガーさんと親しい野球ライターの菊地選手氏にコンタクトをお願いした。

「準決勝の前日に電話で話したのですが、本人は今回の騒動について非常に戸惑っていました。ラガーさんの主張としては『お金を払ってチケットを買い、席を取るために徹夜して並んでいるだけで何も悪いことをしていないじゃないか』ということ。8号門クラブのメンバーによる恫喝など、いろいろと取り沙汰されているので、その辺りについても聞きたいと伝えたのですが、『すべては甲子園が終わってからにしてほしい』と言われました」

 特捜班も現場取材の際にラガーさん本人に直撃したのだが、「菊地さんと話した通り。終わったら話します」と言われ足早に去ってしまった。そしてこれ以降、ラガーさんとは連絡が取れなくなってしまったのであった。

とあります。「甲子園が終わってから」とありますが、その後彼が何らかの弁明などをしたかについては当方確認できていませんが、「どうもなあ」です。また、こんな発言も見かけました。

>ラガーさん、いろいろと大変なことになっている。ただ、8号門クラブのネット裏席占拠は別として、ご本人は中学生がそのまま40代後半になったような人なので黙認頂ければ…と、個人的には思う。8号門の人からも長年全試合観戦を続けたことで徐々に認めてもらってあの席に到達しただけらしいので。

そんなん全然ご当人(たち)の行動の弁護になっていないじゃん(苦笑&呆れ)。だいたい

>8号門クラブのネット裏席占拠

を「別」にしちゃ、全然問題の本質から外れちゃいます。不可分でしょ、これ。

>ご本人は中学生がそのまま40代後半になったような人なので黙認頂ければ…と、個人的には思う。

って、そんなことを黙認する義理なんか赤の他人にありゃしないでしょう。ていいますか、「ラガーさん」て、40代後半になっても中学生並みの社会性しかお持ちじゃないってことなんですかね? そんなの単なる馬鹿かそうでもなければ発達障害じゃないですか。いずれにせよ自慢したり居直ったり擁護したりするような話ではない。

>8号門の人からも長年全試合観戦を続けたことで徐々に認めてもらってあの席に到達しただけらしいので。

って、そんなの何の権限があって、「認めてもらって」なんて話になるんでしょうか。馬鹿も休み休み言え、というレベルです。

あんまり書いても長ったらしいのでやめますが、そう考えてみると、上の3つの記事のスタンスも面白いですよね。毎日新聞は当事者だから、まったくこの席取りトラブルのことを書かない、朝日新聞系の日刊スポーツは、多少なりとも書く(夏の甲子園だったら書いたかどうか?)、高校野球とは直接関係ない報知は、はっきり書いている(笑)。この件て、正直主催者側(朝日、毎日両新聞と高野連)と阪神甲子園球場側がきっちり峻厳な態度を「8号門クラブ」その他に取っていればこんな事態にならなかったわけですが、そのあたりは高野連としては責任を取りたくないスタンスだから、

>「未来の球児を確保することが大事」の考えで、昨年から温めていた計画を実行に移した。

という建前のもとに、体よく追い出すということなんでしょうね。それは関係者たちの不徳の致すところというやつでそうなることはしかたありませんが、こんな馬鹿げた事態になる前に、いくらだって手は打てたでしょうにねえという印象はぬぐえませんね。主催者と会場(スタジアム)とファンというのは、少なからず癒着が生じやすいところはあるわけですが、これもその典型なのだろうなと思います。どうもなあです。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(9)

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このような建物は、英国の地方都市だなという印象があります。

最近は携帯電話の発達により、電話ボックスも希少価値が出てきているので、写真を撮りました。赤い電話ボックス、なかなかきれいです。

だんだん日も落ちてきます。

路上ミュージシャンはたくさん見かけます。

真ん中の右側の女性のような服を着ている日本人の女性って、あんまりいないような気がします。

特にダブリンでそうだったのですが、この旅行は妙に飛行機雲の印象が強いものでした。

門をくぐります。ホテルへ帰ります。

夕飯を何か食べようと思って、なんでそんなものを食べようと思ったか定かでないのですが、バーガーキングで食べることにしました。

バーガーキングですから、それなりの味ではあります。いただきます。

ホテルまで歩きます。

土曜日の6時30分過ぎですが、中心部を離れるとろくに通行人もいません。

ホテルに到着します。

 この店で食事してもよかったかもでしたが、さすがに食事は見送ります。時差の関係があるので、眠いので今日は寝ることにします。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(10)

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夜遅く目を覚ましてので、テレビのチャンネルを回していたら、「インビクタス/負けざる者たち」をやっていましたので見ます。見終った後ネットをiPhoneで閲覧したら、日本が南アフリカに勝ったというニュースを知り、その時の私の最初の反応は、「なにを嘘ばっか」でした。それが事実だと知ったときは、本当に、我が人生でこんな信じられないことはめったにないと驚き、そして当地にいるのにその試合を観にいかなかった自分の不明を後悔しました。ラグビー好きの先輩(複数)にこの話をしたところ、「お前何をそんなもったいないことをした!」と怒られました。

気を取り直してもう一度寝て、それで朝食を取ります。

ビュッフェ式ではなく、いくつかの選択肢から料理を選ぶというものです。卵やベーコンだから、それなりの味ですからおいしくいただきます。

朝食の会場です。

チェックアウト(といってもレセプションに誰もいなかったので、鍵を返しただけですが)して駅へ向かいます。

「L」が落ちているぞ。大丈夫かな、この(って、私の泊まったホテルだけど)ホテル。

このような建物もなかなかいい建物です。

駅で、ホーリーヘッドまでの通しの切符を買います。適宜途中下車して旅をする所存。

やはりディーゼルです。

乗ります。

車掌さんは、典型的な英国女性の顔をしているような気がしました。

空港ですかね。

列車はウェールズに入ります。

ウェールズ語と英語で表記がされます。ウェールズ語のほうが上に配置されていて、英語より格が上であることが強調されています。

海が荒涼として悪くありません。

車内風景です。手前の人たちは、日本人カップルと白人カップルの4人組でした。

 なかなかいいと思います。

(つづく)

治療とセットであるべきということ(2)

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以前したのような記事を書きました。今回はその第二弾ということで。

治療とセットにして考えたほうがいいと思う

いつとはとか、誰がとかというのは、先方と当方の個人情報保護のため書けませんが、私の職場の同僚で、酒気帯びで人身事故を起こしてしまい、問答無用で懲戒解雇された人間がいます。懲戒解雇自体は仕方ありませんが、その同僚は酒好きで知られていました。アルコール依存症ではなかったのかもですが、酒との付き合い方が良くなかったのだろうと思います。

それで次のような記事を読みました。

>アルコール依存症かも…治療勧める大阪府警

毎日新聞2016年1月6日 16時00分(最終更新 1月6日 16時00分)

 アルコール依存症が疑われる飲酒運転の検挙者を対象に、大阪府警が医療機関の受診を促す独自の取り組みを進めている。飲酒事故を繰り返し、府警の勧めで治療を始めた府内の40代男性は取材に「心のどこかで救いを求めていた」と打ち明けた。飲酒で家族や職も失った男性は依存症と闘い続けている。【千脇康平】

 「仕事と家庭のストレスから逃げたい一心だった」

 男性が強くなかった酒に溺れたのは営業マンだった20代後半。職場で退職者が相次ぐほど、上司から厳しいノルマを命じられた。結婚して2人の娘も授かったが、休日返上で仕事をし、夫婦げんかが絶えなかった。いらだちを紛らわせようと、毎晩のように約1リットルの焼酎を流し込むように飲んだ。

 30歳を過ぎたある日の夜、飲酒して自家用車のハンドルを握り、駐車中の車に突っ込む物損事故を起こした。逮捕されて勤務先に解雇された。妻には断酒を誓ったが、数カ月後には押し入れに隠した焼酎の紙パックに手を付けていた。離婚し、家族を失った。

 職を転々として自暴自棄になった。仕事中の飲酒運転や出勤前の迎え酒も増えた。自宅アパートの3部屋は焼酎のペットボトルで埋まった。2014年暮れ、再び飲酒運転で物損事故を起こし、頭などに大けがをした。しかし、罪悪感は薄れていた。

  そして昨年6月の夕暮れ。商店街の飲食店で焼酎のロックを2杯飲み、数キロ離れた自宅へ車を走らせていた際、助手席側のミラー付近で鈍い音がした。歩行者の女性の腕に車をぶつけてけがを負わせ、現行犯逮捕された。10日間の勾留後に釈放された。その際、警察官からアルコール依存症のテストを受けるよう勧められた。

 しかし、その帰宅中にコンビニに寄り、焼酎カップを一気に飲み干した。「わらにもすがる思いだった」。釈放から1週間後、警察署に電話して府警でテストを受け、医療機関の受診を勧められた。病院でアルコール依存症と告げられた。

 今も通院を続け、服用を指導されている粉末の抗酒剤は手放せない。以前の勤務先の社長からは断酒することを条件に復職を認められ、同じ境遇の人が集う自助グループの会合にも毎日通っている。

 人身事故から半年余り。酒は一滴も口にせず、車も運転していないという。「飲酒運転はかけがえのないものを失い、人の命も奪う。もう誰も裏切りたくない」。男性は飲酒運転との決別を誓っている。

東布施辻本クリニック(東大阪市)の辻本士郎院長の話

 アルコール依存症は本人の意思で飲酒の欲求を抑えられない病気だ。2013年の厚生労働省調査では全国に推計109万人の患者がおり、10年前から26万人も増えた。治療を拒む人も多く、警察だけでなく社会全体で向き合う問題だ。治療方法は投薬の他、丁寧な話し合いで飲酒への考え方や行動を変えていく心理療法があり、適切に治療すれば3年程度で症状が安定する。

          ◇

 大阪府警によると、警察が検挙者にアルコール依存症の専門医療機関の受診を勧める制度は珍しいという。府警がこの取り組みを始めたのは2014年12月。過去5年間に飲酒運転で2度以上検挙された人らが対象だ。

 府警では世界保健機関(WHO)作成のテストを活用し、普段の飲酒量、頻度、飲酒トラブルの有無など10項目を尋ねる。依存症疑いの人には府内12カ所の医療機関での受診を促すが、本人の同意が前提で強制力はない。

 この1年間で21人がテストを受け、5人が受診した。府警交通総務課は「検挙直後は本人が飲酒運転を強く反省している。その時に受診を促しているので、効果が期待できる」としている。府警と似た取り組みは福岡県や三重県が条例を制定し実施している。

 警察庁が09年に公表した調査によると、警視庁と神奈川県警の飲酒運転による免許停止・取り消し処分者177人の約6割が再犯だった。そのうち4割はアルコール依存症の疑いがあった。

 飲酒運転の事故は厳罰化を背景に減少傾向にあるが、近年は下げ止まっている。昨年も北海道砂川市で家族5人が死傷、大阪・ミナミでも看護師ら3人が死傷するなど、悲惨な事故が相次いでいる。

いまの時代で飲酒運転をする人間は、相対的にはアルコール依存症の可能性が高いですよね。厳罰化が進んで、さすがに多くの人間が、運転前にアルコールを摂取することは控えるようになったし、また摂取したらタクシーなり、家族の迎え、運転代行サービス(飲酒した運転手のかわりに自家用車を運転するサービス、地方都市でさかん)などを利用するようになりました。

そのように、飲酒運転自体は厳罰化や意識がすすんだこともあり減ってきたと思いますが、正直アルコール依存症の人はどうにもならんですよね。彼(女)らは、治療の対象ですから。本人の気構えとか努力ではどうしようもない。そういっちゃ身もふたもないですが、なんらかの治療をしなければいけません。

そう考えてみると、やはり治療をセットにしないとどうにもならんなという犯罪をこのブログでも何回か記事にしています。万引きや性犯罪などです。

窃盗癖の持ち主の人間は、度重なる万引きで執行猶予を取り消されて実刑判決が確定したにもかかわらずまたまた万引きをして更なる刑期を重ねたし、性犯罪で逮捕された野球選手(当時)は、以前性犯罪をして警察沙汰になり、社会人野球でのキャリアをふいにし、ドラフト会議でも忌避され、米国からのオファーも性犯罪歴がたたって反故になりました。それでせっかく更生したと認めてもらえて晴れてプロ野球選手になれたのに、またまた性犯罪をして球団からの解雇は当然として、実刑判決を受ける始末です。彼(女)らを「馬鹿だ」といえば、ご説ごもっともですが、しかしそんな話はなんら解決になりません。上のような犯罪は、同じことを何回も書けば、被害者ばかりでなく、加害者自身も、警察も、検察官も、裁判官も、弁護士も、加害者と被害者の家族も、その他加害者と被害者の周囲の人間も、刑務官も、不愉快にもほどがあります。直接の関係者でもない私のような第三者も、ありとあらゆる点で不愉快です。なんら同情にも値しないし、あらゆる人間が精神的にも傷つくし、ご当人も刑務所に入って嫌な思いをするし、税金も浪費されます。だいたい1人の囚人あたり1年間に300万円の経費がかかるといわれます。懲役作業をしたって、1年間に300万円以上の付加価値は出ません。それなら、治療をした上で社会復帰させたほうが、次なる罪をしない歩留まりを高くできそうです。だめな人もいますが、可能な人もいる人もいるはずですので、そういった人たちを何とか更生させなければいけません。

依存とかとはまた違いますが、行政からも地域からも徹底的に見捨てられた知的障害者である人間が、ついには強盗殺人までしてしまった事件について記事を書いたことがあります。知的障害者は、治療とはまた違いますが、行政がもう少しこの人物にまともに対応していれば、たぶんこの人物も2人も人を殺すことはなく、自分も死刑判決(この記事を書いている時点では、執行はされていません)は受けないで済んだでしょう。彼は、自動車窃盗ほかで刑務所を出入りしていましたが、障害者手帳の交付もなく(親兄弟も極貧で、すくなくとも一部は障害者だった模様)、ついには行きつけのスナックでの付けが重なり店に行けなくなったので、強盗殺人をしてしまったわけです。彼は、金を奪って即刻早朝にその付けを返しに行ったとか。犯罪自体に同情の余地はありませんし、死刑判決も仕方ないかもですが、でも「この犯罪は、まったく個人の問題だ。周囲に何の責任もない」と言ったら、そうでもないと思います。別にご当人そういう意識はないでしょうが、社会や地域に徹底的に見捨てられた人物の復讐のようなものだと感じます。日本の刑務所には、彼のような累犯障害者がたくさんいます。たぶん強盗殺人をした人が、他の累犯障害者より飛びぬけて悪質であるなんてこともないでしょう。単なる運や出会い、周囲にめぐまれたかどうかといった要素のほうが強いはず。けっきょく、本来自力で生きていく能力のない人間を、何の援助もなく社会に投げ出しておいてそれで暴走しちゃったということでしょう。

そうこう考えていくと、やはりとおりいっぺんの矯正教育なんてものではなく、可能な範囲で医学的治療を行うというのも視野に入れていいんじゃないんですかね。やれ万引きした、性犯罪だ、自動車窃盗をした、最初は起訴猶予だ、執行猶予だ、再犯をしたら実刑だ、っていう対応では、やっぱり進歩がないと思います。明らかに依存性その他が見えた場合には、それなりに治療をする必要があると思います。医学的にも、ある程度対応できるのなら、それなりでも仕方ないから対応したほうがいいでしょう。刑務所を往復している人生から脱却できる(可能性がある)のなら、そちらのほうがいい。

それには莫大な公費もかかりますが、刑務所の服役囚に金を使うよりは、そちらのほうが前向きな金ではないかと思います。上にも書いたように、どうせ刑務所だって金がかかるんだからさ。

なんて記事を書いていたら、次のような記事を読みました。

>性暴力は病気」認知高まる薬物療法 揺れる医学界

西日本新聞 2015年11月30日(月)17時40分配信

「性暴力は病気。治療で止められる」
 5年前にNPO法人「性障害専門医療センター」(東京)を立ち上げた福井裕輝医師(46)は、抗男性ホルモン剤による治療に取り組む。

 診療の拠点は都内と大阪市内。それぞれオフィスビルの一室にある。ホームページ上などで所在は公表しておらず、看板のない部屋で、患者たちがひっそりと診察を受ける。
 錠剤を飲んで男性ホルモンの量を抑え、性欲を減退させる治療。もともとがん患者などに行っている治療を応用した。より強い効果を望む人には皮下注射も打つ。「本人の同意が前提。強制はしません」
 犯行に至る行動と思考パターンを省みさせる「認知行動療法」も施し、性衝動のコントロールを身に付けさせる。強姦(ごうかん)や痴漢、盗撮、のぞきと罪名を問わず、1カ月の受診者は二百数十人。治療には3~5年を要し、きちんと継続した人の再犯率は「ゼロ」という。

「実質的な去勢につながり、倫理上問題がある」根強い意見も

 取り組みが少しずつ社会に浸透してきたのだろう。福井医師のもとには近年、全国から新しい患者が相次ぐ。今年10月にはJR博多駅近くに事務所を借り、九州の拠点として、福岡での診療準備を進めている。
 人気が高まっているように映るホルモン剤治療だが、実は、国内ではほとんど取り入れられていない。
 「実質的な去勢につながり、倫理上問題がある」。こんな意見が医学界に根強いためだ。
 2年前から性暴力の加害者を受け入れている「のぞえ総合心療病院」(福岡県久留米市)は「性依存症」「小児性愛」などと診断して薬物療法を行うが、ホルモン剤は投与していない。
 20年近く性被害者の治療も続けてきた堀川百合子副院長は「過去にいじめや性虐待といった傷を持つ加害者は多い。加害の要因は複合的であり、直接ホルモンにアプローチする手法になかなか踏み出せない」と打ち明ける。

「生まれたことを呪ったこともある」「逮捕されてほっとした」…。

 「自分自身の力では抑えられない。薬でも何でもすがっていきたい」
 今春、わいせつ誘拐罪などで実刑を言い渡された20代の男は、判決後、拘置所で記者にこう打ち明けた。男は女児にわいせつな行為をし、カメラで裸を撮影していた。判決では、裁判長から「性犯罪はカウンセリングだけでは難しい面もある。薬物療法という手段もあるから、ぜひ立ち直って」と説諭を受けた。法曹界でも、この治療法の認知度は高まってきている。
 「生まれたことを呪ったこともある」「逮捕されてほっとした」…。記者が面会し、手紙のやりとりを重ねた性加害者の多くが、自分では抑えきれない性衝動に悩んでいるように見えた。実際に、記者に「ホルモン剤治療を受けていい」という加害者は複数いた。
 倫理と犯罪抑止。そのはざまで、性加害者とともに医師も揺れる。

性犯罪者の情報公開 海外はGPS使用も

 性犯罪の再犯を防ぐ対策は各国で異なる。米国や韓国は出所した性犯罪者の住所などをインターネットで公開したり、衛星利用測位システム(GPS)で所在確認したりする監視制度を導入している。ただ、出所後さらに不利益を与える「二重処罰」や「人権侵害」との批判も根強い。
 法務省などによると、米国は「メーガン法」(ミーガン法)で、性犯罪出所者の氏名や、顔写真などをネットで公表。転居すれば警察から学校や自治組織に通告する制度を整えている。性衝動を抑えられない出所者には、本人の了解を得た上で性欲を抑制する薬物を投与する。一部の州は、再犯の恐れの強い対象者に電子足輪を強制着用させ、GPSで常時監視する。
 韓国も対象者の氏名をネットで公表。電子腕輪の制度もある。韓国やカナダでは、裁判所が出所者に薬物投与を命令できる。英国やフランス、カナダは、対象者に所在地の届け出を義務付けているが非公開としている。
 日本では子どもへの性犯罪の受刑者が出所する際、居住予定地などの情報を法務省が警察庁に提供。警察は所在確認するとともに対象者の面談も行う。今年3月の対象者は817人、所在が確認できているのは771人。日弁連刑事弁護センター事務局長の秋田真志弁護士(大阪)は「海外並みの監視制度には人権上の懸念があるが、公費による薬物治療や所在把握の仕組みをどう矯正に組み込むのか、総合的に検討すべき時期に来ている」と話している。

◆性加害者治療の費用

 性暴力の薬物療法やカウンセリングは国の保険適用外。NPO法人「性障害専門医療センター」では抗男性ホルモン剤が月5000円、認知行動療法が同2万5000円程度。実施している病院は国内では限られている。海外では、欧米や韓国で既に普及している。

西日本新聞社

記事にもあるように、性犯罪に関しては、治療が「去勢」につながりかねないのが問題ですよね。ここで正直に書きますと、おそらく性犯罪を繰り返してしまった元野球選手は、たぶん治療の対象になりえると思います。彼は、一般人以上に性犯罪の前科のために過酷な目にあったのだから、そういったことを考えれば、彼は再犯なんかしないはずです。しかししてしまった。たぶん性犯罪をした際は、そういうことをしたらどれだけとんでもないことになるかといったことが頭の中から消えていた、抑制できなかったのでしょう。ここまでくると、本人の努力とかそういったことの次元ではないと思います。努力すれば我慢できるのなら、たぶん彼は我慢しているでしょう。それができなかったのは、病気だからです。しかし強制的に「去勢」をするわけにはいかないし、するべきでもないと思います。本人の同意が必要ですが、彼(や、その他、この種のことで苦しんでいる人たち)はそれを受け入れるかという問題もあります。それで、また出所後に再犯してしまったら、これまた目も当てられません。

こういうのは、人権のからみもあるから難しいですよね。あえていえば、再犯を防ぐためにその人間の人権を制限することにより、再度の懲役などを防止することによる人権擁護になるということもある。やや逆説的なところがありますが、性犯罪は、被害者は当然として、加害者もその周囲も、想像を絶するほどその後の人生にダメージがあります。被害者はともかく、そんなのは加害者の不徳のいたすところだと突き放してもいられません。いろいろな点で、多大なコストが私たちに課せられます。善意の第三者にも迷惑がかかるのです。そういったことも考えなければいけません。

いずれにせよなかなか困難で大変なことだと思います。

友人Nと韓国に行くことになった

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このブログでもたまに登場する友人Nと、韓国に行くことになりました。かなりの強行日程になりそうなので、そんなにゆっくり遊べるわけでもありませんが、地方都市も周る旅になろうかと思います。3月くらいに記事にできそうなのでお楽しみに。


ヤンゴン紀行(2015年1月)(1)

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実は、飽きもせずに1月8日~12日未明までミャンマーのヤンゴンに行ってきました。簡単に数回記事を書きます。バンコクから、ヤンゴンに向かいます。

空港は回想されて数年ですが、入国者が多く現在の状況ではほぼ限界です。だから改装をしています。

ホテルに落ち着きます。

夕食を食べるため、ホテル近くの「サクラタワー」の最上階にあるレストランに行きます。ステーキと、

デザートまでしっかりいただきます。今日は疲れたので寝ます。

翌朝、しっかり朝食をいただきます。

ホテル近くにて。こういう光景私大好き。

近くの映画館にあったポスターです。

あいも変わらず、大量の本が売られています。

こういうのも、ミャンマーというか、東南アジアの光景です。

こんど、何を売っているか確認してみます。

旧トレイダーズホテル、現シャングリラホテルです。私のような外国人が入り浸るホテルのコーヒーショップです。

ジンジャーエールほかをいただきます。ヤンゴンの別世界です。

さすがヤンゴン、いろいろなところで工事がされています。

ミャンマー人もみなスマートフォンを持つ時代です。この国の変化の速さに括目します。

屋台で女の子がモツを売っていたのでちょっと座ってみます。

適当に金を渡して食べます。

こんな小っちゃい子どもが働いているわけです。君学校大丈夫かよ。大丈夫じゃないよな。

昼食を食べに街の奥へ向かいます。

地元の有名店で、ビーフカレーとエビカレーをいただきます。うまい。

 では次は、どこに行きましょうか。

(つづく)

 

ヤンゴン紀行(2015年1月)(2)

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通りにはいろいろなスタンドがあって、このようにいろいろなものを売っています。

顔に塗っているのは、「タナカ」と呼ばれる木の粉を溶いたものです。

学生らしき若者たちも、こうやってモツを囲んだりします。それにしても、民族衣装を着ている人、減ったな。

犬は暑いところが苦手なので、こうやって日陰で適宜休みます。

ひところほどではありませんが、商売用の車は、このように日本での表記が入っている例があります。塗装しなおさないことが、事故などが起きていない証だという話を聞いたことがあります。

このブログにもちょいちょい出てくる女の子に再会しました。明日某所へ遊びに行こうと約束をしました。

小さいほうの子どもは、彼女の妹(?)だそうです。

中央郵便局は、閉まっていました。

女の人が気持ちよさそうに寝ているのも東南アジアらしいところです。

地元の男性が、白人女性2人に熱弁をふるっていました。

右側の男性もタナカを顔に塗っていますが、女性の方が多く塗っています。

ね、洋服を着る女性が増えてきているでしょ。

不注意に歩いていると、こういう犬を踏んだりしてえらい目にあいます。狂犬病なんかうつされたらかないません。

ホテルのお姉さまです。

彼女は初めてみたな。

夕食を食べます。ミャンマービールはうまい。

カツをいただきます。それではまた明日。

(つづく)

ヤンゴン紀行(2015年1月)(3)

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 早くも3日目です。帰国は明日。朝食をいただきます。

若い女性が民族衣装を着ていると、ちょっとほっとしてしまう私。

こういった英国統治時代の建物は、やはり荘厳でいいと思います。

ネコが私を驚いたような表情で観ていました。

昨日遊びに行く約束をしていた女の子とを落ち合います。これから川の対岸に行くのです。

歩道橋ができているので、これを渡って船着き場(フェリー乗り場)へ向かいます。

歩道橋から見たストランド通りです。

歩道橋を渡ります。階段には、のぼりのエスカレーターもあります。

日曜日の9時くらいですから、そんなに交通量は多くありません。

朝早い時間ですが、もうけっこうな人出です。

フェリーに乗って川の向こう岸に着きます。日本人は、無料だといわれました。理由は不明ですが、たぶんこのフェリーを援助したからでしょう。

数百メートルの川を超えただけで、もうそこはヤンゴンとは別世界です。女の子と見物に出かけます。乗り物は、自転車のサイドカーです。

 

 女の子の説明では、かなり格の高いパゴダだそうです。

席に座っている髪の毛の長い女の子が案内役。

漁師が住む地区とのこと。

向こうのほうに見えるヤンゴン市内とはえらい違いです。

記念写真を撮ります。記念写真を撮るところとは、またちょっと違うような気もしますが。

橋から川を撮ります。

(つづく)

ヤンゴン紀行(2015年1月)(4)

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もう少し奥へ行ってみると、あーら牛がうろうろしています。

犬のきょうだい(?)もいました。

こぶ牛ではないかもですが、こんな牛が堂々と道を歩いているわけです。

山羊(?)らしき動物もホイホイ道を歩いています。

こんな風に牛がいるわけです。これ別にヤンゴンから遠く離れた田舎じゃありませんよ。ヤンゴン中心部から、たぶん数キロの地点です。

貧しい子どもが遊んでいます。

このあたりは、水害でずいぶんひどい目にあったみたいな話をしていました。

私、女の子、運転手の3人で記念写真を撮ります。

左の男性は、女の子の方を担当した運転手です。もう少し遊んでいたかったのですが、諸般の事情により、これで帰ることにします。

帰り、子どもたちが遊んでいたので、運転手が「写真撮るか?」と身振りで聞いてきたので、さっそく撮りに行きます。フレンドリーに子どもたちは対応してくれたので、写真を撮って見せたら喜んでくれました。たまにはこのような写真が撮れます。だから私は、旅先でカメラを手放すことができないのです。

典型的(?)な東南アジアの光景です。

日本の幼稚園送迎バスが第二の人生(車生?)を送っていました。名前の部分は、わざとつぶしてあるみたいです。

フェリーに乗って、またヤンゴン市内に戻ります。

(つづく)

ヤンゴン紀行(2015年1月)(5)

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また街の真ん中へ歩きます。犬は、実にぐったりとしながらもたくさん寝転がっています。注意して歩きます。

乾期ですから過ごしやすいのですが、それでも気温は高い。

モツ煮を売っている屋台があっので、ちょっといただきます。

このお兄さんが、モツのかたまりからはさみでちょん切りながら出してくれます。

おいしくいただきます。おかわりしてしまいました。

ボージョーアウンサンマーケットに行きます。写真を渡しに行くのです。

Tシャツ屋(私を見たら、「こんにちは」とあいさつしてくれました。私を覚えてくれたらしい。ありがたいことです)に写真を渡した後、宝石売り場で、お姉さんに写真を渡します。彼女も、2011年から写真を撮っています。隣の女の子は、娘か何かは不明です。

なんだかいつもの通り込んでいます。

夜は、よせばいいものを北朝鮮レストランに行きます。写真OKだったので、撮ります。ただショー以外は、食事を撮るのもNGという厳しさでした。どうもその時々で、OKとそうでないものの差が大きいようです。

 あまりいい写真でないのは乞うご容赦。明日この国を出国です。

(つづく)

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