過日とある本を読んでいて、次の記述に笑ってしまいました。
>基本的に人間は効率的な話には感動しない。その証拠に、私はこれまで経済学の本を読んで感動したという人に出会ったことがない。非論理的で、不条理で、どうにも納得のいかない話に憤り、それにもめげず努力する姿に感動し涙するのだ。経済学は最小限のコストで最大限の成果を得ることを是とするので、経済学的思考プロセスを聞いて「なるほど」とは思っても感動しないのは当然といえよう。(P.27~28)
世の中経済学の本を、感動を求めて購入して読む人もあまりいないと思いますが、たしかに人間、合理性とか効率性だけで生きているわけではありません。なぜ人間趣味があるかというと、それは合理性と効率性だけでは生きていて実につまらないからです。
たとえば聞く人が聞けば「ばかばかしい」という以上の話ではありませんが、私は東京⇔大阪の東海道線在来線をよく普通列車(快速をふくむ)で乗ります。なぜそんなことをするかといえば、青春18きっぷが使える時期なら安上がりで行けるし、また地域の人が乗る普通列車に乗っていると、だんだんに言葉が変わってきたり、静岡あたりはブラジル人が多くなるとか、いろいろ地域特性があって面白いからです。知らない土地の女子高校生の制服なんかを見る楽しみもあります(これは、私が乗る時間は通勤通学の時間では必ずしもないので、あんまりお目にかかる機会はありませんが)。しかしビジネスで移動するのなら、こんな行為はばかばかしいにもほどがあります。夜行列車はその利用が大幅縮小した昨今ではなかなか難しいものもありますが、深夜バスなんかを乗った方がいいことも多々ありますが、しかし車窓とかを考えると、やはり在来線の味わいは格別です。
ところで新幹線もそうですが、高速道路というのも、驚くほど窓の景色がおもしろくないですね。これは、外国もだいたいそうな気がします。
また、これも旅行好きの人間によく伝わる笑い話ですが、昔はインドや中国の鉄道の切符というのは、買うのにいろいろ障害があったものでした。行ってもなかなか売ってくれない、満席のことが多い、窓口で言葉も通じないなど。しかし現在では、これもだいぶスムーズです。インドは行ったことがありませんが、中国の鉄道の切符は私も買いました。今の中国の切符は、これも場所によりけりかもですが、基本的に金があってID(外国人ならパスポート)を見せれば買えます。窓口も、意思の疎通が大変なところはありますが、しかしやればできます。
それで、旅行者は言うわけです。「つまらん」
これだって、たかだか交通機関の切符くらい、スムーズに買えなければ不便でしょうがないのですが、昔のインドみたいに、切符を買うのも1日がかり、なんて時代はよかったとか、ばかなことを旅行者は往々にして考えるわけです。
上のインドなどの鉄道に切符の話などは、まさに
>非論理的で、不条理で、どうにも納得のいかない話に憤り、それにもめげず努力する姿に感動し涙するのだ。
じゃないですかね。そんなのビジネス的観点からすれば、ばからしいにもほどがあるし、私も仕事で大阪に行くときは原則新幹線とか飛行機とか夜行バスを使います(仕事で大阪に行くときに夜行バスを使ったことはまだないか)。しかしビジネスでなければ、そういう非合理なことをすることこそが楽しいわけです。
だから、そういう観点から考えると、結婚とか子育てとかを「コストパフォーマンス」が悪いというような言い方は、ばかげているにもほどがあるわけです。そもそも結婚も子育ても、経済学的観点からすれば、不合理、非効率にもほどがあります。うんなもん、1人でお金を稼いで自分で考えて使うほうが、金銭的には有利に決まっていますし、効用も高いわけです。そういった効率性とかいうものを超越したものとして、結婚とか子育てというものはあるわけです。あえていえば、介護とかもご同様。
さて上に引用した
>非論理的で、不条理
とは、野球というスポーツの特性について著者が述べたものですが、しかし世の中の体育関係で、野球なんか比較の対象にもならないくらい、非論理的で、不条理で、非合理的で、理不尽なものがありますよねえ。そう、おなじみ組体操です。
前にも引用しましたが、組体操の普及につとめている教員は、次のように書いています。引用は、こちらから。
>「55人規模の大きなピラミッドにおいて、最も大きな負担のかかる子どもたちは、外からはその姿を見ることはできません。それでも、その子どもたちは、たとえ膝に小石が食い込んでも、歯を食いしばりピラミッドの完成を願っています。そんな彼、彼女らを信頼しているからこそ、最後の一人は、勇気を出してピラミッドの頂上で両手を広げることができるのです。
もちろん最初からそんな信頼関係が存在しているわけではありません。何度も失敗を重ねながら、何度も練習を積んでいくからこそ、その信頼が生まれていくのです。保護者たちも、子どもたちのその努力を知っているからこそ、感動してくれるのです。そして、私たち教員も、その過程を知っているからこそ、ピラミッドが完成したとき目に涙を浮かべるのです」(『子どもも観客も感動する! 「組体操」絶対成功の指導BOOK』より)
書いていることのあまりの無内容さとめちゃくちゃぶりに、正直唖然としますが、
>それでも、その子どもたちは、たとえ膝に小石が食い込んでも、歯を食いしばりピラミッドの完成を願っています。
というのは、まさに
>非論理的で、不条理
ということの極致ですね。そのためには、この文章を書いた教諭は、子どもが死んだり後遺症の残るケガをしても(現実にいます)、やはり組体操を指導するんでしょうね。
これも前に引用しましたが、inti-solさんは
>だいたい、人間ピラミッドがなんの役に立ちますか?
かつて、「うさぎ跳び」という運動(?)がありました。私が小学生の頃はやらされた記憶がありますが、中学生になった頃には姿を消しました。怪我や故障のリスクが大きいだけで、運動能力を向上させる役にはまったく立たないからです。
人間ピラミッドもそれと同じです。屈みこんで背中に人を乗せる役割にしても、人の背中に乗る役割にしても、それによって運動能力あるいは体力の向上に寄与する可能性など、まるでない。つまり、崩れて怪我をするリスクはあるが、メリットは何もない。人間ピラミッドを見て感動するのは勝手ですが、他人の感動のために怪我を負うリスクを子どもに負わせるべきではありません。もっとも、私はそもそも人間ピラミッドを見て感動などしませんけど。
引用記事によると、2012年度の小学校における組体操中の事故は約6500件だそうです。全国の小学校総数は役22000校です。つまり、毎年、全国の小学校の3校から4校に1校で組体操の事故が起きている。組体操など行わない学校も相当数あること、運動会とその練習の時期以外は行われないことを考え合わせると、事故確率は相当に高い。こんなくだらなくも危険な行為で「感動」を誘うような馬鹿げたことはやめるべきでしょう。
と記事でお書きになっていました。
>人間ピラミッドがなんの役に立ちますか?
何の役にも立たない。
>屈みこんで背中に人を乗せる役割にしても、人の背中に乗る役割にしても、それによって運動能力あるいは体力の向上に寄与する可能性など、まるでない。つまり、崩れて怪我をするリスクはあるが、メリットは何もない。人間ピラミッドを見て感動するのは勝手ですが、他人の感動のために怪我を負うリスクを子どもに負わせるべきではありません。
体力向上に役に立つどころか危険なだけ。
>2012年度の小学校における組体操中の事故は約6500件だそうです。全国の小学校総数は役22000校です。つまり、毎年、全国の小学校の3校から4校に1校で組体操の事故が起きている。組体操など行わない学校も相当数あること、運動会とその練習の時期以外は行われないことを考え合わせると、事故確率は相当に高い。こんなくだらなくも危険な行為で「感動」を誘うような馬鹿げたことはやめるべきでしょう。
こんな、児童の安全に対してやかましくなっている(はずの)時代に、こんな危険なことを堂々とするチャレンジャーぶりというのもすごいですが、まさに
>非論理的で、不条理で、どうにも納得のいかない話に憤り、それにもめげず努力する姿に感動し涙するのだ。
ということなんでしょうねえ。事実、3年続けて組体操でけが人を出している中学校の校長は、来年どうするのかという質問に、
>今後の実施について検討する
などと責任者らしからぬ態度をとるわけです。ばかは死ななければ治らないというレベルでどうかという気がしますが、しかし野球をするかどうかは最終的には個々の生徒の任意ですが、組体操は事実上強制参加ですから、保護者もあまり他人事の態度もできません。まったくどうしようもないとはこのことです。
inti-solさんに感謝して、この記事を終えます。