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やったぜ! ボブ・ディランがノーベル文学賞を取った!!!

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カテゴリーを音楽にしていいかですが、彼はあくまで歌手だと思うので。

ついにというべきか、この日が来るとは思っていませんでしたが、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞しました。記事を。

>ボブ・ディランさんにノーベル文学賞 音楽家・作詞家

朝日新聞デジタル 10月13日(木)20時6分配信

 米国のミュージシャンで作詞家のボブ・ディラン(Bob Dylan)さん(75)が、2016年のノーベル文学賞に決まったと13日、スウェーデン・アカデミーが発表した。賞金は800万スウェーデンクローナ(約9400万円)で、授賞式は12月10日、ストックホルムで行われる。米国人のノーベル文学賞受賞は1993年のトニ・モリスン以来で、11人目。

 ディランさんは1941年5月24日、米ミネソタ州ドゥルース生まれ。カントリー音楽やブルースの影響下、高校時代から音楽活動を始めた。62年、アルバム「ボブ・ディラン」でデビューした。

 63年に出したセカンドアルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」には、「風に吹かれて」「戦争の親玉」など、その後も代表曲として歌い続けられる作品が収められ、高い評価を受けた。さらに64年にはアルバム「時代は変わる」を発表。公民権運動やベトナム戦争に揺れる若者たちの心をとらえ、プロテスト・シンガーとして熱狂的な支持を受けた。現在に至るまで精力的なライブ活動を続け、ロック界のカリスマ的な存在であり続けている。

 78年2月末に初来日して東京と大阪でコンサートを行い、86、94(2回)、97、01、10、14、16年にも来日公演を行っている。

こちらも。

>授与理由「伝統に新たな詩的表現」 ボブ・ディラン氏

朝日新聞デジタル 10月13日(木)21時17分配信

 スウェーデン・アカデミーは13日、今年のノーベル文学賞を米国のミュージシャンで作詞家のボブ・ディラン氏(75)に授与すると発表した。授与理由を「偉大な米国の歌の伝統に新たな詩的表現を作り出した」とした。歌手の文学賞受賞は極めて異例。賞金は800万スウェーデンクローナ(約9400万円)で、授賞式は同賞を創設したアルフレッド・ノーベルの命日にあたる12月10日にストックホルムで行われる。

 13日午後1時(日本時間午後8時)、アカデミーのサラ・ダニウス事務局長がディラン氏の名前を読み上げると、発表会場に詰めかけた報道陣からは、驚きの歓声が上がるとともに拍手がしばらく鳴りやまなかった。ディラン氏の受賞は長年、期待されてきた。

ディランがノーベル文学賞の候補になっているというのは私も知っていましたが、しかし受賞は無理じゃないかなと思っていました。やはり彼は、詩人というよりは歌手ですから。が、彼は歌手としては永遠の存在ですが、文学者としても永遠の存在となったわけです。ディラン(Dylan)という名前は、ディラン・トマスから取ったようですが、もしかしたらトマスを上回ってしまったんですかね。早死にしたトマスと比較してもしょうがないか。

私は確か3回くらいディランのコンサートに行ったことがあります。最近は行っていませんでしたが、しかしもしチャンスがあったら、またぜひ行ってみたいですね。ディランという人は、私にとっては神みたいなものですから。

彼は、ザ・バンドをバックにしたり、グレイトフル・デッドやサンタナ、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズなどとも一緒にツアーをしたことがあります。こういうすごい人たちとの共演したりバックバンドにつけたりできるのも、ディランならではです。そう考えると、ウッドストックのコンサートにも、彼にオファーはあったようですが、参加してくれなかったのは残念でした。

それでは、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズをバックバンドにした86年のツアーの動画をご紹介します。あまりきれいな画像ではありませんし、カメラワークも無骨ですが、でも個人的に好きな動画です。

Bob Dilan With Tom Petty and The Heartbreakers Hard to Handle Live

そういうわけで、ボブ・ディラン万歳を三唱して、今日の記事を終えます。


アマンダ・ラングレ 2016年のインタビュー(3)

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―ロメール組は常に少人数の軽やかさで、食事の支度から掃除まで、それぞれが協力し合っていたと聞きました。ロメールはジャガイモの皮剥きも担当したのですね。

AL それぞれの作品には各々エピソードがあるでしょうけど、いつも少人数のスタッフでした。『夏物語』のときは、皆が同じ家に泊まって、洗濯も掃除も料理も、自分たちでしなければならなかったわ。普通、映画撮影でそんなことまでしないでしょう? ヘアメイクもコスチューム係もいない。ロメール映画の洋服選びは色の選択が最も重要だったわ。撮影前に彼とブティックに行って、まるで普通に洋服を買うように衣装を選んでいたの。水着を買った時の可笑しなエピソードをお聞かせしましょう。最初、大型デパートに出向いたのね。私は何着かを試着室に持って入り、ロメールは前で待っていた。赤や緑の水着を試着する度にカーテンを開けて「どう、お気に召したかしら?」という会話を聞いて、周囲の人から不思議な目で見られたわ(笑)。この二人は一体何をしているんだと言わんばかりのね。よほどのファンでない限り、ロメールの顔を知っている人はいなくて、彼自身も地下鉄やバスで身軽に行動していたんです。

―ロメールとはいつもお茶を飲んでいらしたんですね。彼はコーヒー党ではなく、紅茶派だったとお聞きしました。

AL そうよ。私たちはお菓子をつまみながらお茶を飲むのが大好きだったわ。彼は大のお茶好きで、出会った当初は紅茶を好んでいたけれど、緑茶が出回るようになってからは、じっくりと緑茶を味わっていたことを覚えています。

―ロメール映画の唯一無二な点は、どのようなところだと思われますか。

AL昨夜、指摘されたことでとても驚いたことがあるの。ロメールの映画が不謹慎なほどに官能的だというの。肉体のシルエットが露わに見えるし、暑さや体温が伝わってくる。これまでロメール映画といえば登場人物が喋りにしゃべるダイアローグの映画と言われてきただけに、このような見解は興味深かったわ。それからロメール映画は音だけでも、すぐに判断できる。俳優がどのように話すのか聞いているだけで、これはロメール映画だと区別できる。話し方や話す内容が、すごくロメール的なの。

―私はフランスで生活するまで、多くのフランス人はロメール映画のようにお喋りするものだとばかり思いこんでいました。ロメール映画のシナリオは学習教材としても発売されていたくらいですから。ところが、これまで出会ったフランス人の多くが「ロメール映画のダイアローグはとても不自然」だというのです。あなたのご意見をうかがえますか?

AL 私も多くの人から「日常生活ではこんな風には話さない」とも言われたことがあるわ。でも、私は日常でもロメール映画のように話しています。もちろん息子を叱る時はロメール的ではなくなってしまうわよ(笑)。ロメール映画のダイアローグは巧妙に書かれたランガージュ(言語)なのよ。略語はないし、きっちりと正しい文法ではっきりと発音される。ロメールは文学教師だったから、その辺は徹底しているの。台詞は役者の口から発せられた時、彼らのものになっているけれど、台詞自体は60を過ぎた新市によってしっかり書き込まれたランガージュであることにかわりないわ。だから自然じゃないと指摘する観客もいるけど、演技は自然だったと口を揃える。「演技は自然で台詞は緻密に書かれたもの」、それがロメール映画の特徴であり、たのどの映画とも似ていない点だわ。

―私はあなたのフランス語は、なぜか、とても聞き取りやすく感じられるんです。

AL すごっくはっきりと発音するからでしょう。先も言ったように多くの人がロメール映画のランガージュは自然じゃないというけれど、フランス語を学ぶときに最適ではないかしら。ロメールの現代劇は、繊細な感情の機微が台詞に詰め込まれている。男女の間で起きるもどかしい逡巡がいきいきと綴られているのですから。

―では最後にロメール映画のお気に入り3本を選ぶとしたら?

AL 『コレクションする女』と『モード家の一夜』は最も好きな2本! それから…『O侯爵夫人』も。『海辺のポーリーヌ』と『夏物語』はあまりに近すぎて、客観的には見られないわ。ロメール映画には笑わせられるし、感嘆させられるし、常に驚かされる。そんな画面に何度でも向かいたいわ。

取材日/2016年3月15日(パリ14区映画館ラントルポ(L'entrepot)併設カフェにて)

取材・文/魚住桜子

以下採録者のどうでもいい話です。

>よほどのファンでない限り、ロメールの顔を知っている人はいなくて、彼自身も地下鉄やバスで身軽に行動していたんです。

ロメールという人はこのような顔です。

 

別に顔で仕事をしている人ではないのだから当たり前の話ですが、たしかにそんなに目立つ容姿ということはないですね。私の母は、銀座で着物を着ていた大島渚を見たといっていましたが、大島のような目立つ人ではたしかになさそうです。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(41)

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本来ならミャンマー旅行のほうをアップしてもいいのですが、アイルランド・英国紀行が非常に滞っていますので、こちらのほうを更新します。このように家がぽつらぽつらあります。さらに自転車で進みます。

ガイドブックの地図を見ながら、えんえん走ります。

このような標識を確認しながら、迷子にならないように自転車を走らせます。

このような建物もあります。さすがに今は、人は住んでいないでしょうが。今は物置ですかね?

墓を見学することとします。

いかにもケルトっぽい雰囲気です。

空気が乾燥して澄んでいるので、日向と日蔭のコントラストも強烈です。

いかにもケルトの墓です。

埋葬されている方々の多くは、この島で生まれ、この島で育ち、この島で働き、この島で亡くなったのでしょう。

個人の顔写真がある墓石もありました。

もちろん長生きされている方もいますが、いまの日本の標準からすると、かなり若死にされている方が多いなと感じました。ある程度豊かになった現在はともかく、決して大昔というわけでない時代まで、アイルランド、ましてやこのような最果ての地では、衛生事情、医療事情なども満足のゆくものではなかったのでしょう。

墓を去ることとします。

 観光客が墓に行くようです。私は退散します。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(42)

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ではこれで帰還の途につきます。自転車旅行というのもなかなかいいものです。

帰りは海沿いの道を通ることにします。海岸を見ながら帰るわけです。

道端にずっと石積みの垣根があるわけです。

なかなかいい海岸ですが、人っ子一人いないというのもなかなかすさまじい気がします。

夏には海水浴客もいるんですかね? なおこの写真を撮ったのは、2015年9月22日です。

嫌がらせか事故か、真剣に悩みます。

映画みたいな光景いう言い方もどうかですが、でも確かにそんな気がします。

このような風景、外国に来たなという気がします。

なかなかいいですね。アラン諸島とはまた違いますが、ずいぶん以前佐渡へ行ったことがあり、そこでも北のはずれは荒涼としてなかなかすごい景色でした。

馬車ですね。

牛の放牧をするんですかね。

このような人工的なものも、まさにケルトの雰囲気です。

もう少し自転車を走らせます。

(つづく)

50年代~60年代の日本映画を見て、自分のことを名前で呼ぶ女性があまりに多いことにうんざりした

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最近1950年代~60年代の日本映画を見る機会がわりと多いのですが、見ていて、どうも女性の登場人物で、自分のことを名前で呼ぶ役が多いと思います。

若尾文子の映画なんか、いろんな映画で彼女が自分のことを名前で呼んでいます。たとえば川島雄三監督の「女は二度生まれる」でも、すでに若尾は30近い年齢ですが(笑)、全編ではありませんが、自分のことを名前で呼んでいます。

もちろん現実の若尾が「文子」と自分のことを呼んでいるわけではなくて、役でそう呼んでいるだけですが(笑)、私のように「自分のこと名前で呼ぶ女性大っ嫌い」と常にわめきちらしている人間からすれば、若尾さんが自分のことを役名とはいえ名前で呼んでいるのをえんえん聞くと、非常にストレスがたまるわけです。いや、いまはさすがにそんなことはないでしょうけど、昔の若尾文子が、自分のことを「文子」と呼んでいたかどうかは存じ上げませんが(笑)。なお下の本はなかなか面白い本ですので、興味のある方はご一読をお勧めします。

若尾文子〝宿命の女〟なればこそ

それでひどかったのが、先日見た市川崑監督の「あの手この手」です。ここでは久我美子が主人公を演じていまして、だいたい全編自分のことを「アコ」と呼んでいます。そういうのを聞いていると、私としてはヒステリーを起こしたくなるわけです。これは1952年の映画です。

で、前ご紹介した記事に、最近、自分のことを名前で呼んでいる女性が増えているというのがありました。

そうなの? そうすると、日本は私にとっては非常に生活しにくい社会になる

その記事によると

>実は今、自分のことを「下の名前」で呼ぶ若い女性が増えている。

だそうです。この話が正しいのかどうか知りませんが、私が見た限りでは、いまから60何年前から半世紀前の日本も、映画のセリフではじゅうぶんたくさんの女性が自分のことを名前で呼んでいます。それがどれくらい、現実の当時の女性の会話を反映していたかというのが問題なのかもです。

ところで日本人の多くが読んだ小説と思われる「坊っちゃん」では、清さんが自分のことを名前で呼んでいました。最後のところです。引用は、青空文庫より。

>死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。

この小説は20世紀初頭の発表ですから、当時の日本ではすでに、自分のことを女性が名前で呼ぶのは、ごくありふれたことだったんですかね。そうとなると、日本における、自分のことを名前で呼ぶという行為は、相当に根深いものがありそうです。

そう考えると、昔の私は、小学生になったら自分のことは私と呼べとわめいていたのですが、どうもそれは現実性がないと認めざるを得ません。最近は妥協して、中学を卒業したら、自分のことは私と呼ぶべきだと考えるようにしました。本来だったら、中学生で自分のことを名前で呼ぶなんて、論外、愚劣、非常識、幼稚、しつけや教育が悪い、注意しない他人が悪い、その他あらゆる罵詈雑言を浴びせたいのですが、私もいろんな女性にさんざん注意して、結果は嫌われただけという惨憺たる有様です。これではどうしようもないにもほどがあるというものです。

いずれにせよ、私が生きている限り、自分のことを名前で呼ぶ女性に私は悩まされそうです。困ったものです。というわけで、この記事を読んでいる自分のことを名前で呼んでいるあなた(いるかな?)、せめて義務教育が終わったら、外では自分のことは「私」と呼びましょう。「かわいい」とばかり思ってくれる人間だけじゃないよ。私みたいに大っ嫌いな人間もいるわけです。

「週刊プレイボーイ」の、50年のグラビアを総まとめした号に、浅野ゆう子が出ていないらしいのが変だ(笑)

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過日「週刊プレイボーイ」の新聞広告を見て「おや」と思いました。広告でなくて、雑誌の表紙を見てください。

表紙がアグネス・ラムなのは、まあいいとして、小さくて恐縮ですけど、左に書かれているグラビアアイドルたちのお名前を拝見していても、このブログでもおなじみのあの方のお名前がないじゃないですか(笑)。浅野ゆう子です。

浅野ゆう子は、長きにわたって「週刊プレイボーイ」のグラビアに登場していましたが、この雑誌の20周年記念としての1986年に(てことは、これ自体すでに30年も前の話ですね)、大々的なグラビアを撮影して、たしか雑誌は完売したくらいの人気があったはずです。翌87年にはその時のフォトセッションをまとめた写真集も発売されました。

彼女は、88年に出演したドラマが人気が出て、この種のグラビアから足を洗ったので、それからしばらくは、この写真集は相当な価格で取引されたはずです。こちらでは、この記事を書いている2016年10月18日現在で、16,200円とあります。昔はもっと高い価格だったはず。

それで、たぶんですが、彼女のグラビアが収録されなかったのは、おそらく浅野ゆう子サイドの意思なんでしょうね。たぶん編集部側で選ばなかったわけではない。浅野ゆう子がグラビアの再掲を嫌がるのは、やはり彼女もこれらの撮影は相当恥ずかしかったのでしょう(と、勝手に考えます)。70年代の終わりごろから80年代の半ばくらいまで、彼女ほど一定年齢の男性を(いろいろな意味で)喜ばせ楽しませた女性は少ないし、それで彼女は歴史に残る芸能人になりましたが、彼女にとってはその時代は「悪夢」「思い出したくもない」という部分もあったのかもです。年齢的に、事務所の意向に逆らえるわけでもないし。

私はまだその機会はありませんが、彼女の握手会かなにかでもし話をできる機会があったら、彼女に「あなたのグラビア好きですよ」と言いたい気もしますが、あるいは気を悪くしそうだなという予感もします。言わないほうが無難ですかね。たぶん無難でしょう。でもそれでは面白くないという気はします。

それでは今日は、この写真集からの写真をご紹介します。これは裏表紙の写真ですね。

 

彼女にとっては、こういう写真ものすごくいやなのかもですね。

 

 26歳というと、肉体の美しさの絶頂は過ぎているかもですが、それに反比例(?)するかのように露出度が高くなるというのも悪くないですね。

どうやら横田滋氏は、外に出るのも大変な状態のようだ

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過日産経新聞に載っていた記事を。

>2016.10.5 07:25

横田夫妻「もう時間がない。会いたい」 めぐみさん、きょう52歳 

 昭和52年、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=が5日、52歳の誕生日を迎える。北朝鮮は拉致被害者の帰国に応じない一方、核・ミサイルの実験を繰り返し軍事的緊張を高めている。被害者が年を重ねるとともに家族も老いている。「もう時間がない。元気なうちに会いたい」。両親の滋さん(83)と早紀江さん(80)は再会を信じ、奪還への戦いを続けている。

(中略)

「言葉がしゃべりにくくなったり、歩きにくくなったりしている」。めぐみさんの誕生日を前に川崎市で開かれた集会で、早紀江さんは最近の滋さんについてこう説明した。

(後略)

>言葉がしゃべりにくくなったり、歩きにくくなったりしている

それが事実なら、外出自体が大変なんじゃないんですかね。気の毒ですが、たぶん外に出るのも難しい状態なのでしょう。

そうなると、こういうことを書くのもあまりうれしくないですが、もう横田滋さんは、お孫さんやひ孫さんとお会いするのも厳しいでしょうね。お孫さんたちが日本に来れれば会えますが、それは現状不可能もしくはそれに近いでしょう。

しかしそうなるとですよ、これは、横田さんの奥さんはともかく、お孫さんに会いたいとずっと希望していたと伝えられている滋さんに、確認できる限りで1度しか会うチャンスが与えられなかったというのは、滋さんが非常に気の毒だし、また会わないように働きかけた連中の理不尽さに怒りを覚えますね。

だいたい会っちゃえば会っちゃったで、別に何でもないじゃないですか。まあ私は前にも書いたように、横田さん夫婦がお孫さんたちとあった時点で、お二人は巣食う会と家族会とは縁を切ればいいと思いますが(巣食う会と家族会は本来別組織ですが、現状一体のようですから)、理由はともかく現状縁は切っていないわけです。それならさっさと会っていれば、滋さんの体調がいい時期に繰り返し会うことも可能だったわけです。

これも前に指摘したように、本来なら、お孫さんと(第三国でとはいえ)会った横田夫婦を、巣食う会も家族会も、口を極めて非難するのが筋であり、家族会から追い出すのが筋なのですが、別にそういう事態にもなっていない。それはなぜかと考えれば、つまりはこの夫婦への利用価値を見出しているということなのでしょうね。ほかの拉致被害者家族より、少女を拉致した北朝鮮の非道さを攻撃するのに格好というわけです。

しかしこれ実に愚劣な光景ですよね(呆れ)。横田の奥さんが最終的にどう考えていたのかというのは、当方にはわかりにくいところがありますが、滋さんはお孫さんと会いたがっていたということはいろいろ報じられていました。つまりは奥さんが反対していたから会えなかったということではないかと思いますが(その他の人も反対したでしょうが、最終的には奥さんの反対がすべてだったのだと思います)、滋さんは「いや、お前は反対でも自分は絶対会いたいのだ」といって、奥さんの反対を押し切れる人間じゃなかったのでしょうね。私みたいに、基本的に自分のしたいことを通す人間からすれば、そういう優柔不断さってすごい人生で損じゃないのと思いますが、まさに滋さんは損をしたと思います。それで、では会うと最終的に決定すれば、別に巣食う会だって家族会だって、それを阻止する手立ては(当然ながら)ないわけです。外務省だって、「会うな」とは言わない。これも当たり前です。それを言う権利は、日本政府だってありはしない。会いたいといえば、いろいろ協力だってするわけです。

つまり滋さんは、我慢して損をしただけです。なんとも救いがありません。で、なぜ横田さん夫婦がお孫さんに会おうとしなかったといえば、以下私の想像ですが(たぶんそんなに間違ってはいないでしょう)、西岡力とかが大要「北朝鮮の現体制はすぐ崩壊するから、いま会わなくても大丈夫だ」くらいの話を言い続けたんじゃないんですかね。で、それを信じたかどうかはともかく、横田さんたちはその通りにしたのでしょう。それで、最終的に、北朝鮮崩壊なんて話は見通しが立たないという考えにならざるを得なくなって、巣食う会その他に内密にしたままお孫さんたちにあったのでしょう。

そもそも論として、そんなの秘密にする必要もないのですが、秘密にしたということは、巣食う会、家族会から妨害工作があると予想したということでしょうし、たぶんそれは正しいと思います。そういう連中と、お孫さんたちと会った後も関係を続けるというのも何とも不審な話ですが(だって要するに、全然信用していないということじゃないですか)、奥さんはともかく、滋さんはお孫さんと会わなかったことを非常に後悔しているのでしょうね。つまりは、滋さんはいいように政治運動に利用されただけです。ご当人に問題がないとは言いませんが、しかしいずれにせよ気の毒です。

で、以下これも私の勝手な想像ですけど、しかし多分そうなると私は確信していますが、大変残念な結果として、滋さんがお亡くなりになったら、きっと巣食う会、家族会、奥さんほかの人たちが、北朝鮮非難の大合唱をするでしょうね。私も北朝鮮の非道さを認めるのはやぶさかじゃないですが、でも滋さんがお孫さんとろくに会えなかったのは日本側の問題です。しかも日本政府の責任ですらない。巣食う会その他が、あてにならん情報を吹き込んで、滋さんの会いたいという意思を邪魔したということです。これまたひどい話です。

それでですよ、関係者は、その点について「滋さんに申し訳なかった」みたいな談話を出しますかね。これも私の想像ですが、たぶんそんなものは出ないでしょうね。出たら、多少は、巣食う会と家族会を見直しますが、たぶんそういうことはないでしょう。そう考えると、横田滋さんという人は、本当に徹底的に救われない人ですね。外国政府から娘さんを拉致されるという非道なことをされ、さらには支援すると称して政治運動に徹底的に利用されつくされたのですから。救いがないにもほどがあります。それで奥さんみたいには政治運動に悪乗りできず、滋さんは非常に苦しんだのでしょうね。気の毒にもほどがあります。死んでからも、徹底的に政治運動に利用されることが目に見えているのですから。それにしても、本当に北朝鮮の拉致というのは愚劣で非道ですね。ここまで様々な人間を苦しめ迷惑をかけるのですから、ひどいにも程があるというものです。

なお本日の記事は、bogus-simotukareさんの記事からヒントを得ました。感謝を申し上げます。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(43)

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このような石積みの柵(バリケード?)も、いかにもケルトっぽいというものです。

牛もいたるところで飼われています。

このような光景は、私の住んでいるあたりではとてもお目にかかれません。

 

いいですねえ、こういう海岸。

馬も飼われています。これ、もっとアップで撮ればよかったな。

太陽もだんだん傾いてきました。

たぶん牛を放牧するところなのでしょう。

まだ昼食すら食べていないので、ガイドブックにあったパブ兼レストラン(?)で食事することとします。

なかなかいい雰囲気でしょ。

やはりギネスをいただきます。しかし考えてみると(このときは、そんなことも考えませんでしたが)これは飲酒運転ですね。以後気を付けます。

ビールを飲みほして、ポテトその他をいただきます。

ミュージシャンの写真ですかね。

アラン諸島は自転車で走るに限ります。この記事を読んでアラン諸島に行きたいと考えた方がいたら、ぜひ自転車でどうぞ。

いよいよ本土に帰ります。

きれいな浜辺でしょ。

フェリーに乗ります。

陽もすっかり弱くなりました。

それで、ドン・エンガスで話しかけてくれた韓国人女性も、同じ船に乗っていました。私としては、彼女が乗ってくれていればいいなあと考えていたので、さっそく彼女に話しかけました。意外と話が弾みます。で、よせばいいものを、私と一緒に写真を撮ってくれないかと頼んだら、快諾してくれました。いい女性です。

私の姿はともかく、女性はかなりレベルが高いのですが、しかしこの写真メールアドレスを聞いて送っちゃったので、やはりここでお見せするわけにもいかないので、このように画像処理させていただきます。ごめんなさい。

なおこの写真を見た複数の人が、「わ、美人」「絶対職場では見せない表情だな」「身体の大きい人は、細い女性が好きだ」とか言いました。

 女の子とは、船の上から、バスまでいろいろ話すことができました。ありがたいことです。

(つづく)


アイルランド・英国紀行(2015年9月)(44)

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やや時間がすっとんで、ゴールウェイの街につきました。韓国人女性と別れます。彼女は某ホステルに泊まっていました。良い旅を、といいました。彼女はアシアナ航空が好きだと言っていたのも、私としては話が合う(笑)というところかもです。私もコリアンエアよりアシアナのほうが好きなもので。しかし後になって考えてみれば、やはりこのとき断られること覚悟で女の子を夕食に誘ってもよかったのかもしれません。

別に目的もないのですが、どこかで夕食を食べようと、街をぶらつきます。

しかしこうやって歩いていても、実に人がいないですね。東南アジアとか中国とかですと、驚かんばかりに人がいますが、治安の問題もあるので、ここは少し慎重にですかね。

川に出ますと、あ、白鳥がいますね。

こういうのも、なかなか孤独な風景です。ホッパーの絵にありそうです。

なかなかきれいです。

 アップで白鳥を撮ります。

こちらのレストランで食事しようと思いましたが、満席だとかで断られました。

川の向こうへ行ってみます。

 

川に、きれいに空が写っていますね。

いろいろなレストランがあります。

ここはけっこう有名な店の模様。

こういう薄暮の時間もいいですね。

いろいろ店を見て回りますが、いまひとつピンとくる店がありません。どうしましょうか。

そうしたらこの店に遭遇しました。ゴールウェイまで来てアジア系フュージョン料理を食べなくてもいいような気もしますが、旅先での食事は、出たとこ勝負が一番面白い気もしますので、今日はこちらでいただくこととします。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(45)

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もちろん予約もしていないのですが、なんとも高級気なムードのある店です。

お酒をいただきます。

日本では、こういう店に行くことはまずめったにありませんが、海外ではやはり足を運ぶこともあります。こういうところが旅の楽しみかもしれません。

私以外にも数組客がいましたが、正直とてもおしゃれな人たちでした。地元の人か旅行者かはわかりませんでしたが。

アジア系フュージョン料理というので、セットを選んでみました。

デザートで締めます。

味より雰囲気の店かもですが、たまにはこのような店に行くのも悪くないかもです。なおこの店のHPはこちら

店を出ます。これでホテルに帰っちゃおもしろくないにもほどがあります。夜はこれからです。

街の真ん中を歩いてみます。

多くの人々が、いろいろなレストランで食事をしています。屋外で食べてもよかったかもですね。

なかなかいいですね。

色彩が鮮やかでなかなかいいでしょう。

このグリーンのライトアップはなかなかいいですね。

この写真は、自宅のPCの壁紙の1枚にしました。

演奏をしている人たちがいます。

夜でも演奏しているミュージシャンはちょいちょいいます。日本より密度が濃いですね。

どこかのパブへ行って、またライヴを楽しもうかなという気がします。

 

こちらの人みたいですね。

こういったポスターもいいですね。

夜間作業中ですかね。電気関係かな。

それでは、どこかの店に入ってみましょう。

(つづく)

香港には行けませんでした

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本来なら本日は、このブログでよく書く記事、「無事に香港から帰ってきました」という記事を書くつもりだったのですが、あいにく香港には行けませんでした。

別に私が寝坊したとか、仕事が忙しくなって行けなくなったとか、そういう話ではなく、飛行機が欠航しちゃったのだから、どうしようもないにもほどがあるというものです。以下、私が受け取ったメールのスクリーンショットを。

 

>2週間以内の、空席のある同区間の弊社便に追加料金なしでご搭乗頂けます。

あいにく、そんなに休みはとれません(苦笑)。仕方ないから、払い戻しを受けることにしています。

おかげで、予約していたホテルは違約金100%、レンタルWiFi、旅行保険、どれも無駄になりました。ひどいものです。今年は、7月から12月まで、毎月海外渡航をする予定でしたが、もろくも崩れました。仕方ないので、そんなに遠くない時期に香港へ行くつもりです。その時はまた記事にします。

現在の狭義の「文学者」で、ボブ・ディランほどの影響力のある人間がいるのか

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ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞というのは、様々な点で波紋を呼んでいます。そもそも文学者でない歌手に受賞させるのはどうしたものかという問題もあるし、ディランがノーベル賞の委員会に連絡を取っていないというのも、いろいろ話題になるところです。

前に大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞した際、文化勲章の受賞は拒否した件で、本多勝一氏が大要「それはダブルスタンダードだ」と批判していましたが、かのジャン=ポール・サルトルのように、ノーベル文学賞を拒否した人もいます。そう考えれば、ディランは現段階では、受賞の拒否はしていないようですから、「斜に構えている」段階ではあっても、一応受ける気なのでしょう。授賞式に行くかどうかはともかく。ただしやはりここでうれしい態度を見せては、ボブ・ディランの名が廃る、というところなのかもしれません。

そういえば、杉村春子も文化勲章の内示を受けていますが拒否しました。建前としての理由はともかく、彼女も左翼ですから、たぶん天皇からもらう賞というのが嫌だったのでしょう。

ただディランの受賞でいろいろ考えるに、けっきょく今の時代、文学者で世界的な影響力のある人というのがどれくらいいるか、という問題が生じます。上にあげたサルトルや、そのライバル(?)のアルベール・カミュなどは、世界的に大きな影響力がありましたし、いまもある程度あります。しかし現代の小説家、詩人、その他の文学者で、世界的に大きな影響力を持つ人間というのを考えてみると、なかなか難しいところがあります。

極端な話、いまの時代でドストエフスキーやトルストイ並みの影響力のある文学者というのはいるのかということです。私はそんなに文学に詳しい人間ではありませんが、しかしけっこう自信をもって「そんな人はいない」ということが言えます。いいとかわるいとかではなく。

魯迅が長生きすれば、あるいは彼は、ノーベル文学賞を受賞したかもしれません。彼も、今日までいろいろな影響力をもつ文学者です。しかしいまの時代、なかなかドストエフスキーとかトルストイとまではいわずとも、魯迅くらいにも影響力のある文学者はいないでしょう。私の勝手な考えでは、たぶん上に書いたサルトルとかカミュあたりが、その種の文学者の最後かそれに近い人たちじゃないかなと思います。サルトルなどは、「アンガージュマン」なんてことばもあるくらいのたたかう文学者でしたが、政治的な意味合いだけではなく、世界にさまざまな影響力をもたらして知名度の高い文学者であったと思います。それで、それ以降は、やはり時代の変化とか社会の変化もあってか、世界に大きな影響力を与える文学者なるものは存在しにくくなっています。その他の著名な受賞した文学者、例えばヘミングウェイもスタインベックも、その活躍の時代を考えると、やはり1960年ごろがその種の分岐点かなと思います。ちなみにサルトルの受賞は1964年、カミュが57年、ヘミングウェイが54年、スタインベックが62年の受賞です。

そうなると、ディランの受賞というものにも一定の意味が出てきそうです。つまり現在の狭義の文学者で、ディラン以上の知名度、影響力のある人間は、たぶん、でなくて間違いなくいません。たとえばマリオ・バルガス・リョサ、トーマス・トランストロンメル、莫言、アリス・マンロー、パトリック・モディアノ、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチなんて言ったって、そんな名前の人たちを知っている人はそんなに多くないし、ましてや翻訳であっても、このような人たちの文学作品を読んだことのある人は、ろくにいないでしょう。上にあげた人たちは、読者の皆様の中にはご賢察の方もいるかもですが、2010年から2015年までのノーベル文学賞受賞者です。この6人の人たちの知名度全ての和と、ボブ・ディランのそれとでは、失礼ながら比較の対象にもならんでしょう。好きとか嫌いとか興味のあるなしはともかく、ボブ・ディランの知名度は世界的に高いし、またこれも好き嫌い、興味の有無以前の問題として、彼の歌は、人間どこかで聞いているわけです。

Wikipediaによると、ノーベル文学賞というのは、

>過去には歴史家のモムゼン、哲学者(オイケンベルクソンラッセル)など文学者以外の受賞者もいたが政治家のチャーチルの受賞を最後に文学者のみが対象と決められた

とあります。ディランを文学者と解釈するのは拡大解釈のような気がしますが、あくまで「広義の」文学者ということなんですかね。そう考えれば、映画監督なんかも今後はノーベル文学賞の対象にしてもいいかもですね。文学ではないですが、創造の世界という点で、文字(テキスト)を用いて創造をすることと、映像と音声などによっての表現活動を区別する必要があるのかなと思います。ノーベル文学賞ができた当時は、そんなことができる時代ではなかったとしても、現在は必ずしもそうではない。あるいは狭義の「文学」という枠にはめる必要もない時代なのかもしれません。

映画監督のノーベル文学賞というのは、現段階まだ考えにくいでしょうが、いずれにせよいろいろノーベル文学賞も変わっていくと思います。私なりにその軌跡を見ていきたいと思います。 

肝付兼太氏の死でちょっと考えたこと

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声優の肝付兼太氏が亡くなりました。記事を。

>声優の肝付兼太さん死去 『ドラえもん』スネ夫役
オリコン 10月24日(月)12時41分配信

声優の肝付兼太さん死去 『ドラえもん』スネ夫役
80歳で亡くなった声優の肝付兼太さん
 声優の肝付兼太(本名・肝付兼正【きもつきかねまさ】)さんが20日、肺炎のため死去した。享年80。所属事務所が発表した。葬儀は家族葬にて執り行われた。

イヤミ、じゃじゃまる… 声優・肝付兼太さんのプロフィール

 肝付さんは1935年11月15日生まれ。鹿児島出身。1979年から2005年まで『ドラえもん』でスネ夫役を務めたほか、『怪物くん』のドラキュラ役や『それいけ!アンパンマン』ホラーマン役、子供向け番組『にこにこぷん』のじゃじゃまる役などで人気を博した。

 同時期に『ドラえもん』でジャイアン役の声優だった、たてかべ和也の葬儀(2015年6月)では、肝付さんが弔事で「大きな声で呼んでみたい…ジャイアーン!」と祭壇に向かって呼びかけていた。

のび太の声を担当した小原乃梨子の話を。

>2016-10-24 16:40 56 

のび太役・小原乃梨子、“スネ夫”肝付兼太さん追悼「まだまだご一緒にお仕事したかった」

 『ドラえもん』のスネ夫役などで知られる声優の肝付兼太(本名・肝付兼正【きもつきかねまさ】)さんが20日、肺炎のため80歳で亡くなった。『ドラえもん』で、のび太役(先代)として肝付さんと長年にわたり共演してきた声優・小原乃梨子(81)は24日、所属事務所を通じ「ただ驚いております。まだまだご一緒に楽しいお仕事をしたかったのに、残念でなりません」とコメントし盟友の死を悼んだ。

▼コメント全文
「肝付さんの突然の訃報に接し、ただ驚いております。
昨年11月、山形映画祭のトークショーに、肝付さんと野村道子さん(しずかちゃん役声優)と私も参加したのですが、とてもお元気で、軽妙なトークでファンを沸かせていました。今年5月、体調を崩されたと聞き、野村さんと激励のお食事会を企画したのですが、入院され実現しませんでした。いまとなっては、とただ悔やまれてなりません。

肝付さんとは、たくさんの作品で共演しましたが、ユニークな役作りと同時に、スタッフにもキャストにも細かな心遣いを忘れず、いつも笑いの中心にいて、みんな大好きな方でした。

まだまだご一緒に楽しいお仕事をしたかったのに、残念でなりません。心からのご冥福をお祈り申し上げます。」

 同日、テレビ朝日の『ドラえもん』公式サイトも「多くの子どもたちに夢と希望を届けて下さった肝付兼太さんのご冥福を心からお祈りいたします」とコメントを掲載。

 声優仲間からも追悼の声が相次ぎ、古川登志夫(70)はツイッターで「謹んで哀悼の意を表します。初めてお会いしたのは『ドカベン』でした…」と回想。水島裕(60)はブログで「あの独特な声で、ニコニコしながら『裕ちゃ~ん、一週間、元気にしてた?』と話しかけてくれたものでした」と偲んだ。

 肝付さんは1935年11月15日生まれ。鹿児島出身。1979年から2005年まで『ドラえもん』でスネ夫役を務めたほか、『怪物くん』のドラキュラ役や『それいけ!アンパンマン』ホラーマン役、子供向け番組『にこにこぷん』のじゃじゃまる役などで人気を博した。

小原乃梨子も81歳ですか・・・。それはそのくらいの年齢であることは、知識としては知っていますけど、うーんとちょっと考えないではいられません。なお記事にも出てくる野村道子は、1938年生まれとのこと。彼女も今年78歳ですが、ただ彼女は声優は引退しているようですね。彼女の夫は、故・内海賢二です。

肝付さんは、ほぼアニメの声優に徹していたようで、Wikipediaでは、

>洋画の吹き替えをすることはあまりないが、ウディ・アレンやジェリー・ルイスを担当した作品がいくつかある。「泣くも笑うもすでに出来上がっているものに合わせるだけの洋画の吹き替えは、『なぞりの芸』って事であまり好きではない。その点アニメは自分で考えてキャラクターを作っていくという面白さがある」と著書やインタヴューで語っている。

とあります。そうするとちょっと私には残念かな。彼の洋画での吹き替えをもっと聞きたかったと思います。

さて、すみません。声優さんの追悼記事でこんなことを書くのもどうかですが、この記事のタイトル

>ちょっと考えたこと

とはこういうことです。すなわち、肝付ってのは、すごい珍名だと思ったということです。肝付氏というのは鹿児島の戦国大名の一系であり、「兼」という字を名前に入れているわけです。織田家の「信」、徳川家の「家」みたいなものです。つまり由緒のある名前なわけですが、しかし他ではそうそう見る名前ではありません。私は、ずいぶん以前ですが、彼の名字が本名で芸名でないと知った時、「へえ」と思ったことがあります。当時は、「肝付氏」のことなんか何の知識もなかったものですから。なお、鹿児島というのは、わりと特徴のある姓が多いという話は聞いたことがあります。

それで、日本人というのはずいぶん珍名が多いなと思います。韓国・朝鮮なんか、「金」「李」「朴」なんて名前だけで4割を軽く超え、崔、鄭を加えれば半数を超えてしまうとか。上の円グラフはの上位5つが、その割合です。全種類が286だそうです。それに対して、(以上、韓国・朝鮮の姓については、Wikipedia「朝鮮人の姓の一覧」を参照しました。掲載した円グラフも同じ記事からの引用です)Wikipediaの「」によると、日本人の姓の種類は、

>30万種〜10数万種。

とあります。ずいぶん数に差がありますが、少ない方でも1人1姓としても、優に一定人口規模のある市を形成できるわけです。

それで、ちょっと私が、最近「おや」と思った記事を。

>【阪神】育成の一二三とトラヴィスに戦力外通告 

2016年10月1日12時25分 スポーツ報知

 阪神は1日、育成選手の一二三(ひふみ)慎太外野手(23)、トラヴィス投手(佐村トラヴィス幹久=22)に対し、来季の契約を結ばないと通告した。

 一二三は東海大相模高から2010年ドラフト2位で投手として入団。右肩を痛め2年目には野手に転向したが、1軍出場はなく2015年オフに育成選手契約を結び、今季はBCリーグ・石川に派遣されていた。

 西宮市の選手寮に姿を見せた一二三は「球団からは来季の契約はないということを言われました」と唇をかんだ。今後については未定で、11月12日に行われる12球団トライアウト(甲子園)への参加も「まだ分からない」と話した。

私は野球に詳しくないのですが、この「一二三」という名前には何となく記憶がありました。なぜかと思ったら、この珍名が頭に残っているのだということに気付きました。Wikipediaの記述によると、

>「一二三」という名字は父の実家がある熊本県八代郡を中心にわずかに存在する珍姓で、先祖は肥後国の侍である

とあります。はあ、世の中いろんな姓があるのだなと感心させられます。

ここで私の周囲の変わった名字の方々を読者の皆様にご紹介したいという欲望にかられますが、そうすると私の個人情報の問題があるので書けません。私の書きたい人の中には、自称「自分の一系以外ない名字だ」という人もいますから、いろいろ迷惑がかかってしまいます。ごめんなさい。

なんだかよくわからない記事ですが、肝付兼太さんのご冥福を祈って、この記事を終えます。

高樹沙耶(益戸育江)みたいな、やせている薄幸げな女性はわりと好みだ

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私の女性の好みというのを考えると、やせていて薄幸げな女性というのがあるなと思います。

アニセー・アルヴィナとか

フランソワーズ・ドルレアックみたいな女性は、だから私は好きなのです。アニセーは4人のお子さんに恵まれましたが、若くしてガンで亡くなり、フランソワーズは不慮の事故で25歳で焼死しました。

さて、(元)女優の高樹沙耶(益戸育江)が、大麻関係で逮捕されました。彼女も、美人でいかにも線の細い薄幸げな雰囲気の強い女性だったと思います。

元女優の高樹沙耶容疑者 大麻所持の疑いで逮捕

10月25日 11時53分

国内で禁止されている医療用の大麻の解禁を訴える活動を行っていた元女優の高樹沙耶容疑者が沖縄県内で大麻を隠し持っていたとして25日厚生労働省の麻薬取締部に大麻取締法違反の疑いで逮捕されました。
高樹容疑者は、「私のものではない」と容疑を否認しているということです。
逮捕されたのは、沖縄県石垣市に住む元女優の高樹沙耶、本名、益戸育江容疑者(53)です。厚生労働省関東信越厚生局麻薬取締部によりますと、高樹容疑者は沖縄県の石垣島の自宅で乾燥大麻を所持していたとして大麻取締法違反の疑いが持たれています。

高樹容疑者は女優を引退したあと、国内で禁止されている医療用の大麻の解禁を訴える活動を始め、ことし7月に行われた参議院選挙では東京選挙区から立候補し、大麻取締法の改正などを主張しましたが、落選していました。

石垣島では同じ活動を行っているメンバーと共同で宿泊施設を経営していて、麻薬取締部は25日自宅などを捜索して乾燥大麻数十グラムと吸引用とみられる巻紙やパイプなどを押収し、一緒にいた男2人も大麻取締法違反の疑いで逮捕しました。
高樹容疑者は調べに対して「私のものではない」と容疑を否認しているということです。
5年前に石垣島に移住
高樹容疑者はモデルや女優として活動し、数多くのテレビドラマや映画などに出演していました。5年前の平成23年、沖縄県の石垣島に移住し、翌年、芸能事務所も辞め、自然とともに生活する「ナチュラリスト」を自称するようになります。

日本で禁じられている医療用の大麻の利用を認めるよう訴える団体に所属し、自身のブログやツイッターでは「医療用大麻は治療に役立ち認知症予防なども期待できる」などと主張していました。

一方で、大麻について「18歳くらいに初めて知りました。時折食べたり吸引しました」とか「個人の感覚からすればお酒、たばこ、チョコレートよりも安心で安全で多幸感が得られる」、「アンチエイジングにもよい」などという書き込みも行っていました。

(後略)

引用した記事にもあるように、彼女は今年の参議院選に、大麻解禁活動を主張して立候補したくらいで、正直今回の逮捕もそんなに意外ではないのですが、彼女もどこかで一線を越えちゃったんでしょうね・・・。いや、私は麻薬をやったことはありませんが、大麻は煙草ほど体に悪くはないとは思っています。私は、酒は旅行に行ったら飲みますが、煙草はすいません。いや、大麻もする気はありませんが。

実は、高樹沙耶は、かつてはわりと脱ぎっぷりが良かった女性でした。今は立場も年齢も、脱ぐ状況でもありませんが、美人で脱ぎっぷりがいい女性というのは貴重ですから、彼女のヌードをご紹介します。なお彼女は、主演した映画の主人公の名前を芸名にしています。「早乙女愛」と同じパターンです。

 

あらためてみても、彼女は美人だと思います。

検察は、裁判員裁判での量刑を最大限尊重するんじゃなかったっけ

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ずいぶん以前に私は次のような記事を書きました。

そんなことを言うのであれば、検察は今後裁判員裁判では、量刑不当の控訴はしないのかという話になる

その記事の中で私は、

>> 東京高検は25日、「一般市民の量刑感覚を個々の裁判に反映させるという裁判員制度の趣旨を損なう」とする上告趣意書を最高裁に提出し、要旨を報道機関に公表した。

という記事を紹介したうえで、

>こんなこと言っていたら、今後検察は、裁判員裁判に関しては、量刑不当による控訴をすべきでない、っていう話になりますよ。でも量刑不当で今後も控訴するんだろ?

>量刑っていうのは、無罪を争っているのでない限り裁判の最大の焦点であるわけで、裁判員裁判なら、上級審も地裁の量刑に倣うべきったって、検察、弁護側双方そうはいかんでしょ。弁護側がそういう主張をするのならまだしも、公訴権を持つ国家機関である検察がそういう主張をするというのはどうかです。

個人的には、

>>一般市民の量刑感覚

より裁判官の判例と日々の勉強に基づいた判断のほうがよっぽど信頼できると思いますが、 量刑に市民感覚を適用するとは、まさに悪しきポピュリズムもここに極まったりです。

と批判しました。

それで、別にこの件が、最初の事例ということもないのでしょうが、「どうもなあ」という事例がありました。

>時事ドットコムニュース>社会>福岡女児殺害、双方が控訴

 福岡県豊前市で小学5年の女児=当時(10)=が殺害された事件で、福岡地検小倉支部は13日、殺人罪などに問われた内間利幸被告(47)を無期懲役とした福岡地裁小倉支部の判決を不服として控訴した。検察側は死刑を求刑していた。
 内間被告も12日付で控訴した。弁護側は有期刑が相当だと訴えている。(2016/10/13-18:02)

量刑不当で控訴しているじゃないですか(笑、いや笑っちゃいかんですね)。

別に、児童への性犯罪で殺人をした人物は1人の被害者であっても死刑にするという判例があるわけでもありませんから、これは実質完全な量刑不当の控訴ですよね。上の上告趣意書と全然そぐわないじゃないですか。まさか、上の上告趣意書は東京高検が出したもので、今回の控訴は福岡地検小倉支部によるものだから関係ない、なんてことは言わないでしょうねえ。こんなのは、この事件が死刑が妥当かどうかなんて以前の問題です。何をいまさらですが、検察というところもその場しのぎのデタラメなところです。

もっともそういうことを言い出すと、検察の上訴権というのは妥当かという問題があります。再審ですら、検察は上訴権があるわけで、それで名張毒ぶどう酒事件は1審無罪が逆転死刑になりましたし、1度再審決定が下ったのにそれがまたひっくり返ったわけです。袴田事件もご同様。現在東京高裁で審理中です。こういったことも、是正しなければいけないことだと思います。


アイルランド・英国紀行(2015年9月)(46)

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そういうわけで、音楽系のパブとガイドブックに載っていたパブに入ってみます。ギネスを注文します。しかし右の男性、すごい腹だな。

紙幣がかざってあるのがなかなかです。

こういう中でグラスを傾けるのもいいものです。

アイルランドのパブでは、やはりギネスが一番です。

女性も、なにか私に向って「なーんで写真撮るのよー」とでも言っているようです。

それで店の一角で演奏をしています。

別にライヴチャージがあるわけでもなく、アマチュアミュージシャンがヴァイオリン(フィドル

ギターやバンジョーも奏でられます。

ライヴをゆっくり堪能して店を出ます。

だいぶ人通りは減りましたが、それでもそれなりにいます。

路上でキーボードを弾いている人もいます。

ホテルに戻ります。ギネスでほろ酔い気分です。

こういう道を歩くほどの度胸は、私はありません。

アイルランドらしい光景・・・でしょうか。

ホテルにだんだん近づきます。

やっとホテルにつきました。

今日は1日充実していました。ではおやすみなさい。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(47)

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朝食をいただきます。このホテルは本日でチェックアウトですが、ゴールウェイにはもう1泊します。

今日は、かのモハーの断崖その他へ行きます。映画『ライアンの娘』の冒頭に登場するあの場所です。ただ『ライアンの娘』の舞台はディングル半島という設定なので、リアリズムではなく、映画の劇的な要素を高めるものです。ディングル半島は今回はいけませんでしたが、また行かねばなりません。

天気が悪いと、旅行にはいろいろ支障をきたします。

ここが今日泊まる予定のB&Bです。「地球の歩き方」に載っていたので安易に予約したのですが、別に空き部屋はいくらでもあるみたいでしたので、予約の必要はなさそうです。

大きめの荷物だけ置かしてもらい、バスターミナルへ行きます。

英国では、バスの意味で「coach」がよく使われます。アイルランドもご同様なんですかね。

中で、私が乗るバスの発車を待ちます。

写真に写っている3人は、バス会社、旅行会社の人たちの模様。

こんなふうに適当に待ちます。

バスに乗ります。私は前のほうに座ります。こういう場合、最初のほうで座った場所にずっと座りますから、最初にいい席を確保するのがポイントです。

左側通行なのは、日本人にとっては落ち着くところはあります。

 

ラグビー場があります。

写真を見てから気づきましたが、女の子のためのラグビーの日だったんですかね?

すぐ牛がたむろっているようなところに出ます。

このような家もあるわけです。

 

道路標識も、一応ゲールゴのほうが上ですね。ただし文字は英語のほうが太くなっています。

城があります。ここで最初の観光です。

 Dunguaire Castleなる城です。

 

バス近辺にいても仕方ないので、城に向かいます。

 

 

 中は有料だといわれたので、それなら金を払ってまで中を見学する気もしないので、周辺を歩きました。なおこの城は、「Guns in the Heather」なるディズニー映画でロケーションに使われたとのことです。

バスに戻ります。

(つづく)

大川小学校の判決を聞いて、「ポセイドン・アドベンチャー」を思い出す

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先週話題になったこちらの裁判の記事を。記事は読売新聞です。

>「津波襲来予見できた」大川小犠牲、学校に過失

2016年10月26日 22時03分

 東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の児童23人の遺族らが市と県を相手取り、計23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は26日、市と県に対し、計約14億2658万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

 高宮健二裁判長は、当時、市の広報車が高台への避難を呼びかけていたことなどから、現場にいた教員らには「津波が襲来することを予見し、認識できた」とした上で、すぐそばの裏山へ避難させずに児童らを死なせた過失があったと認定した。

 訴えていたのは、死亡・行方不明となった児童23人の遺族ら29人。判決によると、地震発生後、教員らの指示で児童は校庭に避難した。児童らは校庭に待機後、約150メートル離れた交差点付近の「三角地帯」と呼ばれる北上川堤防近くの高台への移動を開始。川をさかのぼった津波が堤防を越え、移動開始直後に巻き込まれた。児童74人、教職員10人の計84人が死亡・行方不明となり、当時学校にいて助かったのは児童4人と教員1人だった。

この事件での、原告側勝訴、市・県の敗訴は妥当だと思いますが、ただ行政側は控訴する見通しのようですね。上にもありますように、Wikipediaの「石巻市立大川小学校」の記述を借りますと

>2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波が地震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上してきた。この結果、河口から約5kmの距離にある同校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。スクールバスの運転手も死亡している。

学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件事故としては戦後最悪の惨事となった。

ということです(注釈の数字は削除。以下同じ)。

さらに

>地震発生から津波到達まで50分間の時間があったにも関わらず、最高責任者の校長不在下での判断指揮系統が不明確なまま、すぐに避難行動をせず校庭に児童を座らせて点呼を取る、避難先についてその場で議論を始めるなど学校側の対応を疑問視する声が相次いだ。普段から避難に関する教育を徹底し児童らだけの自主的避難により99.8%が無事だった釜石の全小中学校や、地震直後より全員高台に避難させ在校児童が全員無事だった門脇小学校と対照的とされた。宮城県が2004年3月に策定した第3次地震被害想定調査による津波浸水域予測図では、津波は海岸から最大で3km程度内陸に入るとされ、大川小学校には津波は到達しないとされていた。そのため大川小自体が避難先とされていたケースもあり、実際に地震の直後高齢者を含む近所の住民が大川小学校に避難してきた。石巻市教育委員会は2010年2月、各校に津波に対応するマニュアル策定を指示していたが、被災後の議論で教育委員会は、学校の危機管理マニュアルに津波を想定した2次避難先が明記されていなかった点で責任があると認め、父母らに謝罪している。

ということです。つまりまともに避難せずに、教職員と生徒が、ほぼ全滅に近い被害を出したのは、この大川小学校くらいだったようで、それも遺族たちにとっては、ひどく心が痛むところです。それで、この件について、inti-solさんが非常に参考になることを書いておられます

>刻々と津波が迫る中、40分以上の時間を空費した挙句、間違った結論を出したことは、最悪というしかありません。ただ、それが人間のもつ抗し難い性質の一つであることも事実です。
津波警報が出ているけれど、本当に津波は来るのか、来ないんじゃないか、そう思った(あるいは思いたかった)から、一刻を争うという危機感が乏しかった。津波が来たらみんな飲まれて死ぬ、という、あまりに深刻すぎて想像もしたくないような危険性に実感がなく、子どもを裏山に避難させても結局は津波は来ず、けが人でも出たら、後で保護者からクレームが、というような「より身近に感じられる」危険性が判断を左右した、案外そんな心理だったのではないでしょうか。ある種の条件下では誰もが陥る可能性のある、心理的陥穽でしょう。

この件に関しては、この記事を読んでいるあなたがもし大人だったら(たぶん大多数の人はそうでしょう)、自分がこのとき大川小学校の教員だったらどう行動したかなと考えるのも有益かと思います。はたして私(あなた)は、このとき「そんなこと言っている場合じゃない。すぐ(より高い)裏山に避難しよう」と言えたか。言って、もし他の教員たちが賛同しなかったらどうしたか。いろいろ考えさせられます。

inti-solさんは続けて、

>私が個人的にこの一件から汲み取ったのは、

としたうえで、

>避難マニュアルやハザードマップは参考にするにしても、そこに書いていないことも起こり、書いていない場所にも被害が及ぶことも当然あると認識すべき
避難はとにかく時間が命
希望的観測は、そこに根拠となるものがあるかどうかを理詰めで考えるべき
群集心理、他人に流されるのではなく、自分が危険と判断したら、せめて自分自身とその影響力が及ぶ範囲だけでも、ただちに行動すべき

と書いておられます。

それで、私が思い出したのが、今シーズンの「午前十時の映画祭」でも上映された映画「ポセイドン・アドベンチャー」です。原作は読んでいないので、映画の話をさせていただきます。

「ポセイドン・アドベンチャー」では、豪華客船ポセイドン号が、海底地震による大津波で転覆してしまいます。それでニューイヤーズイヴのパーティーが開かれている会場も、当然反転してしまいます。船のスタッフは、救援隊が来るまでここで待機しようと主張し、主人公である牧師(ジーン・ハックマンが演じました)は、もはや救援隊など来ない、いずれ浸水して死んでしまうから、いまのうちに船底(この場合船の最上部)に行こうと訴えます。

けっきょく8人だけが牧師に続き、残りの人たちはその直後に起きた浸水により、水に飲まれてしまいます。

もちろんこれは映画であり、パーティーの会場の客たちと大川小学校の生徒たちでは立場も何も違いますが、しかし上のinti-solさんがお書きになっていることとだいぶ話が重なるような気がします。

>避難マニュアルやハザードマップは参考にするにしても、そこに書いていないことも起こり、書いていない場所にも被害が及ぶことも当然あると認識すべき

船のスタッフは、船が転覆するなどということを想定していなかったわけです。それだから、救援を待とうという間違った判断をしてしまいました。

>避難はとにかく時間が命

映画では、牧師の説得を受けなかった人は助かるに至りませんでした。まさに時間は命です。

>希望的観測は、そこに根拠となるものがあるかどうかを理詰めで考えるべき

牧師についてこなかった人たちは、まさに根拠のない希望的観測に流されてしまったのだと思います。それが命取りになりました。

>群集心理、他人に流されるのではなく、自分が危険と判断したら、せめて自分自身とその影響力が及ぶ範囲だけでも、ただちに行動すべき

まさに、自分の考えで行動した人が助かったわけですし、また映画に出てくる歌手(キャロル・リンレイ)は、声をかけてくれた雑貨商(レッド・バトンズ)の説得に応じて、九死に一生を得ることができたわけです。

原作者のポール・ギャリコや脚色したスターリング・シリファントらが、どれくらい人間心理を取材して小説を書いたり脚本を書いたのかは知りませんが、このあたりはさすがだと思います。名作とされている映画は、やはりそのあたりはしっかりしています。

大川小学校で犠牲になった教職員、生徒のご冥福をお祈りすると同時に、この記事に全面的にアイディアをいただいたinti-solさんに感謝を申し上げてこの記事を終えます。

いまだに「神武×歳」なんてことにこだわる馬鹿

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三笠宮崇仁が亡くなりました。記事を。

>三笠宮崇仁さま逝去 100歳、天皇陛下の叔父

島康彦、多田晃子2016年10月27日09時32分

 昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)さまが27日午前8時34分、東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられた。死因は心不全。100歳だった。急性肺炎のため5月から入院していた。戦時中は旧日本軍の大本営参謀などを務め、軍紀の乱れや残虐行為への反省を促す発言をしていたことが戦後に明らかになった。オリエント史の研究者としても知られた。

(中略)

 三笠宮さまは15年12月に100歳の百寿を迎えた。宮内庁によると、記録上、皇族方で100歳は初めてだった。この際、宮内庁を通じて「世界中の人々の幸せを願い、また、70年以上にもわたり私を支えてくれている妻百合子に感謝しつつ、楽しく穏やかな日々を過ごしていきたいと思います」と心境を明かした。同年10月には名誉総裁を務める中近東文化センターで百寿のお祝い会があり、三笠宮さまはケーキのろうそくの火を吹き消したという。

 (中略)

 戦時中は、支那派遣軍参謀、大本営陸軍参謀などを歴任。中国での日本軍の規律の乱れや残虐行為への反省を促す声を軍内部であげるなど、毅然(きぜん)とした姿勢を貫いていたことが戦後に明らかになっている。

 「軍は歴史の研究が不十分だったのではないか」との思いから、戦後は西欧史、そして古代オリエント史へと歴史研究を志し、47年から3年間、東京帝国大学文学部研究生としてヘブライ史を学んだ。54年に日本オリエント学会設立に参加し会長に。75年には中近東文化センター設立に加わり総裁を務めた。東京女子大、青山学院大などの講師、東京芸術大美術学部客員教授として教壇に立った。

 (中略)

 また、フォークダンスや社交ダンスに親しみ、日本レクリエーション協会、日本ワックスマン財団、日本スリランカ協会の各名誉総裁を務めた。「紀元節復活反対」を主張したり、テレビの歴史教養番組に出演したりするなど話題も多かった。

 (後略)

ぶつ切りの引用で恐縮ですが、三笠宮という人が、かなり特異な皇族であることは、この記事からよくご理解いただけると思います。記事にはそこまで突っ込んでは書かれていませんが、彼についてのWikipediaには、

>1950年代後半から『紀元節』の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者・歴史学者としての立場から、神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、積極的に復活反対の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』はこのときに刊行されたものである。このため「赤い宮様」ともてはやされた。

とあるくらいです。つまりはなかなかの人物だということです、三笠宮という人は。前に書いた、1971年に佐藤栄作に、国連で台湾が代表権を維持できるよう動いてくれと頼んだ誰かなどとは比較の対象にもなりません。

さて、上の記事で興味深いところがこちらです。

>三笠宮さまは15年12月に100歳の百寿を迎えた。宮内庁によると、記録上、皇族方で100歳は初めてだった。

つまり宮内庁自身も、神武天皇が127歳とか、そういう話は神話としてのフィクションであると認めたわけですね。そんなん本気で信じているわけもありませんが、しかしこういうことを公に認めるということは、それなりの意義があるかと思います。

さてさて、そういう社会常識とかについて平然と異議申し立てをするのが、我らが産経新聞という新聞です。記事を。

>昨年12月に明治以降の皇族では初めて100歳を迎え、ご存命の中で唯一の大正生まれの男性皇族でもあられた。

さすがに本気じゃなくて政治的建前でしょうが、お前らいまだに「神武×歳」なんてことにこだわっているのかよと私けっこう本気で呆れました。といいつつ予想通りというところもあります。何をいまさらながら狂った新聞です。

それにしても、三笠宮について上に書いたようなことは、産経としては「どうもなあ」でしょうね。皇族だから批判するわけにはいかないが、かといって上のような意見は「困ったものだ」というところでしょう。

inti-solさんは私のコメントへの返しで、

>今後は、三笠宮の生前の主張には一切言及しないことで、「存在しなかったことにする」のでしょう。

とお書きになっています。

たぶん産経からすれば、現天皇が米長邦雄をたしなめたことなども、「なかったこと」にしたいんでしょうね。どっちみち、外に女を作って遊び歩いていたような米長みたいな人物を東京都の教育委員にしたこと自体、非常識にもほどがあります。もっとも乙武洋匡も、その点では同じようなものか。

今回の記事は、上に引用したinti-solさんの記事を参考にしました。感謝を申し上げます。

韓国の「マッスル美女」を楽しもう

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最近このブログは、「マッスル美女」なる関係でわりとアクセスをいただいています。つまり韓国女性の間で、「マッスル美女」なるものがブームだというのですが、そういうわけで、今日は動画をまとめてご紹介しちゃいます。読者のみなさんも、マッスル美女をごってりお楽しみください。

2016 WFF Miss Bikini Korea Pro

2016 머슬마니아X맥스큐 Ms Bikini Grand Prix

この動画は、最初の大勢の女性がいるシーンが圧倒されます。

2016 WBFF ASIA 디바 비키니 모델 Short

2016 WBFF ASIA 디바 비키니 모델 Tall

背の高さで、カテゴリーが分けられているんですかね?

2016 WBFF ASIA 디바 비키니 모델 +35

「+35」ってのは、35歳以上って意味なんですかね。動画を見ると確かにみなさんそれなりのご年齢に見えますが、しかしみなすばらしい肉体をお持ちです。

それでは最後に、参考動画を。

미녀들의 후끈 비키니 퍼포먼스 ('2016 미스 인터콘티넨탈 코리아')

これは、2016年の「ミス・インターナショナル」の韓国予選の様子のようですが(違っていたらごめんなさい)、出てくる女性は、みな色白で、それで引き締まってはいますけど、当然ながら「マッスル美女」とは全然違いますね。水着の露出度も、これは比較するのが野暮ですが、全然違います。

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