私はそんなことを知らなかったのですが、母が私に過日こんなことを話しました。父は、私と同じく旅行好きでしたので(といいますか、私が映画好きで旅行好きなのは父の影響です。もっとも野球が好きということは影響がありませんでした)、晩年イタリアにひとり旅で出かけました。何回も行っている国です。それで帰国したあと、理由はわかりませんが、ついに死ぬまでひとりで国外に行くことはなくなったというのです。で、母曰く。
「なにがあったかは本人話さなかったけど、たぶん嫌なことがあったんじゃないかな」
詳細はもちろんわかりませんが、それ以降は、飛行機に乗る際のチェックインその他母にやってもらうようになったといっていました(ちなみに両親は、父のほうがだいぶ年上です)。
なるほどねえと私は思いました。その件は知りませんでしたが、私も父のことで思い当たることがあったのです。
父がどこかへ観光に行ったのですが、日帰りで帰宅すると言ったのです。そこは、家から日帰りができなくはないが、それではあまり観光の時間がとれない、くらいの場所でした。父が金がないわけがないし、時間だってすでに仕事を引退していたわけですから、宿泊することになんら問題はない。それでその話を聞いた私は、確か「泊まればいいじゃん」と言ったのですが、「いや、いいんだよ」くらいのことを話した記憶があります。で、私の知る限りそこへ父が行ったのはそれが最後だったと思いますが、日帰りしたのはその時だけのはずです。高齢で体力的にきついのにそんなことをしたのは、すでに1人で宿に宿泊するというのが精神的にきつかったのだろうなと思います。その心境がどのようなものかはわかりませんが。
そういえば、父が死んだあとに母が語ったところによりますと、父とスーパーマーケットだかに行った際、父が不自然に母に身体をくっつけてきて、万引きに間違えられそうになったというのです。もう精神的に、ひとりでは不安で仕方ないという状況だったのかもです。四六時中とまでは言わずとも、そういう瞬間があったのでしょう。
きりがないからこの辺でやめますが、母が車を運転していて父が助手席に座っていた際(父は自動車を運転できませんでした)、昔は非常に優秀なナビゲーターだった父が、どうも方向感覚が悪くなっていたなんて話もしていました。
そんなことは私は何も知りませんでしたが、「なるほどねえ」と妙に納得してしまいました。それにしても、体力的に衰えてそれで旅行とかができないというのは仕方ありませんが、認知症その他の関係で、体力はあるのに旅行に行くのが困難になるというのは願い下げですね。しかしもちろん私もそうなる可能性があるし、事実そのような事態になる人はすくなくないわけです。
実際認知症の人が行方不明になったり事故にあって死亡したりするのは、つまりは徘徊する体力はあるということです。寝たきりになれば動けませんが、体力のある人は、「え!」と思うような遠いところへ行くこともできます。ましてや車の運転ができて運転すれば、行動範囲ははるかに広がります。
ところで認知症になると料理が苦手になるとされます。料理をするというのは、膨大な情報を脳内で処理しないとできません。材料をそろえることから調理の手順、盛り付け、後片付けにいたるまで、脳がじゅうぶんに働かないとうまく作業ができません。
それでそれは、個人で旅行するというのも同じです。公共交通機関を予約したり、宿泊施設を予約したり目星をつける。現地での公共交通機関、時にはレンタカーなどの利用、観光地や食事を取る場所の事前確認、あるいは現地での出たとこ勝負での観光など、これも実に膨大な情報を頭で処理するわけです。海外ですと、パスポートや時にビザの手配、日本語が通じないストレスなども重なります。
いまの私は、そういったことを難なくこなします。それは、いままでにそれなりの経験をしていることと(当たり前の話ですが、経験があれば、どのように行動すればいいかというのは過去の事例からだいたい判断がつきます)、あとは私がそういったことを順序だてて行うだけの頭があるからです。いくら経験があっても、頭がなければできません。で、私もそれができなくなる日が来て、そのような行動ができるようにならない保証は当然ない。
旅行は趣味ですが、趣味じゃなくても日々の日常生活にも人間の頭脳はフル回転しています。頭の働きが悪くなると、上の父の事例でわかるように、いろいろ不都合が生じます。アル・ゴアじゃないですが、不都合な真実です。