過日私は、このような記事を書きました。
これでは大山のぶ代の人権が保障されないこの件は、けっきょくこのような形になったとのことです。
朝日新聞デジタル 6月6日(月)6時46分配信
俳優の砂川(さがわ)啓介さん(79)が、認知症の妻、大山のぶ代さん(82)の介護について語る講演会(認知症の人と家族の会、朝日新聞厚生文化事業団など主催)が5日、大阪市内で開かれ、約200人が訪れた。砂川さんは自身が尿管がんと診断され、その治療を機に大山さんが老人ホームに入所したことを初めて明らかにした。
大山さんは、4年前に認知症と診断された後も「私、ここ(自宅)にいたい」と話し、砂川さんは在宅介護を続けてきた。
しかし今年4月に砂川さんの尿管がんが判明。抗がん剤治療が始まり、入退院を繰り返しながら治療を続けている。このため、急きょ大山さんが入る老人ホームを探したという。
砂川さんはホームでの大山さんの様子について、「お友達もできて元気にやっています」と報告。「試練ですが、まずは僕自身のがんを治さないといけない」。この日は体調をおして大阪での講演に臨んだが、大山さんがどうしているかと思うと涙が出るといい、「これが愛なのかな」と話した。
講演会は、来年4月に京都で開かれる認知症の国際会議のプレイベント。(十河朋子)
砂川は尿管がんとのことで、抗がん剤治療も大変ですから、もちろんこれは困ったこと、厳しいことです。しかし、大山のぶ代が老人ホームに入所したというのは、結果論ですけど良かったですね。
前に、砂川の著作「娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記」を読んで、ちょっと砂川の介護ぶりが大変そうだなと感じていました。本で読んだだけで大変そうなのがわかったくらいですから、正直現実の厳しさは推して知るべしです。けっきょく砂川は、介護保険も利用せず、自分とお手伝いさん、大山のマネージャーのみで大山のぶ代を介護し続けたわけです。それは、認知症になった大山の姿を見せたくないとかいろいろな思惑があったわけですが、読んでいてかなり限界だなという気がしました。だから砂川は、大山の認知症を公表したわけですが、介護であんまり追い込まれても仕方ないので、多少なりとも余力がある段階で彼の手を大山が離れたのは、いろいろな意味で良かったんじゃないんですかね。人間そこまで苦労をすることはないわけです。
それで、手元に砂川本がないので(図書館で借りてきました)正確なページなどは示せないのですが、彼が書いていて私が印象に残ったことが、大要彼が「自分は大山より先に死ねない」と書いていることです。つまり自分が死んだあと大山の介護はどうなる、ということです。それは人間ですからそう考えることは当然ですが、ただ今回砂川は、自分の病気という理由で、死ぬ前に大山の介護を自分で行うことを断念せざるを得なくなったわけです。つまりは、人間、自分が(相手が死ぬまで)面倒をみたい、と考えても限界があるということです。
それで過日、次のような本を読みました。
障害のある子の家族が知っておきたい「親なきあと」―お金の管理 住むところ 日常のケア
この本には、親が、自分の死後に子どもにどうやって財産を残すか、残すとしてどのようにそれを管理していくか、さらにどのように制度の枠組みに子どもを当てはめていくか、ということがことこまかに書かれています。私は、こういうことを考えることこそが必要だなと思うわけです。親と障害者の子では、親の方が先に死ぬ可能性が高いわけで、それは現実にそのようなことを常に考えなければいけないわけですが、認知症の夫婦の場合、夫婦である以上そんなに年齢が違うわけではない。一般に夫婦では女性の方が年下であり、また長命なわけですが、砂川、大山は大山の方が年上であり、また認知症になるとどうしても寿命も短くなるようであり、あるいは砂川のほうが後まで生きるかもしれません。しかし今回砂川は、自らの病気により大山の介護を断念せざるを得なかったわけです。つまり、人間「自分が介護(世話)をしなければ・・・」という固定観念を捨てる必要もあるのかなと思います。別に人間好きで病気になったり死ぬわけでもありませんが、しかし残念ながら病気になったり死んだりしてしまいます。自分が死んだ、あるいは介護ができなくなった際にどうやって奥さん(夫)、親、子どもその他が生きて行けるようにするか、というのは、元気な時に様々な準備に動かなければいけないし、そうでなくなるといろいろなことをするにも大変です。自分ができたこと、しなければいけないことができなくなってしまいます。そういうことを認めるのは人間気が進まないことですが、しかしアル・ゴアじゃないですが、不都合な真実を見ることが必要な時もあります。
こういうことを書いては申し訳ないですが、砂川も大山を老人ホームに入居させた後、本当にほっとしたんじゃないんですかね。もちろんこれからも、彼は彼女について、様々な心配をしていかなければならないわけですが、以前のような絶望的な気分、激しいストレスや不安感に苛まれることもなくなったでしょう。少なくとも改善はしたはず。それだけでも、大山のぶ代が老人ホームに入居して、砂川の直接の手を離れたことは、いろいろな意味で良かったと思います。