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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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藤田祐幸氏の死を悼む

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だいぶ旧聞ですが、記事を。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160720-00000005-mai-peo(リンク切れ)

><訃報>藤田祐幸さん73歳=元慶応大助教授
毎日新聞 7月20日(水)7時0分配信

 藤田祐幸さん73歳(ふじた・ゆうこう=元慶応大助教授、物理学専攻)18日午後9時45分、多臓器不全のため死去。葬儀は20日午後1時、長崎県西海市大瀬戸町雪浦下郷1217の真光寺。自宅は同市大瀬戸町雪浦上郷691の6。喪主は妻弘子(ひろこ)さん。

 反原発運動を一貫して支援。1990年4月には日本の市民運動の先陣を切ってチェルノブイリ原発事故後の現地調査に入った。2007年に慶応大を早期退職後は西海市に移住し、自給的農業など自然と共生する暮らしを実践し、反原発の講演を続けていた。

最終更新:7月20日(水)7時0分

藤田祐幸氏には、実は私は、学生時代ちょっと世話になっていました。彼が主催(かどうか詳しく知りませんが)したイベントを手伝ったりしたものです。それで1度酒席を共にしたことがありますが、当時日本大学だったかの「助手共闘」(?)での武勇伝(匕首を突き付けられた)とかを話していただいたものです。それで日大を追い出されて、慶応に拾われた(共産党系の教員が手薄だったからとか言っていました。事実かどうかは知りません)という話ですが、そうすると、Wikipediaにある

>1972年、東京都立大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。1972年より慶応義塾大学法学部教員

という経歴はどうなんかなです。あるいは、助手と博士課程が並行だったのかもです。

それで、いつだったか記憶にないのですが、私が大学を卒業したあとの話ですが、神田神保町にあるカレー屋ボンディでカレーを食べていたら、藤田氏が私の隣に座っていました。これまた何たる偶然と驚き、声を掛けました。さすがに私のことは覚えていませんでしたが、それでもいろいろ話ができたのは、こうなってしまうと私にとっても良い思い出です。

ちょうどその日に、何かのイベントがあるとかで、よかったら参加しませんかとまで声をかけてもらったのですが、あいにくその日は関西に行かなければいけなかったので、「残念ながら・・・」と申し上げるしかありませんでした。まあ先方も、私が本当に行くとは期待してはいなかったでしょうが、それが彼と会い話す最後の機会になったと考えると、無理していけばよかったかなと、あまり現実性のないことを思います。

いずれにせよ尊敬する学者が亡くなりました。藤田先生、さようなら。安らかにお眠りください。

 

 

 

 


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