Quantcast
Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4143

アマンダ・ラングレ 2016年のインタビュー(1)

$
0
0

前にも書きましたように、今年エリック・ロメールの映画が8本特集上映されまして、そのパンフレット的役割の冊子が発売されています。「CINEMA VALERIA Vol.2」です。

それでその冊子に、ロメール映画の常連女優、というより、たぶんそれ以外ではこれといった活躍ができなかったと思われるアマンダ・ラングレの、2016年のインタビューが収録されていました。フランスの媒体で発表されたものの翻訳でなく、この特集のためにインタビューされたものですので、内容も日本人向けになっています。なかなか他では読むのが難しいかと思いますので、ロメール特集も終了したようですから、私が採録します。 ()の中の文言も、原文のままです。

 アマンダ・ラングレ 特別インタビュー 

AL 日本でエリック・ロメールの特集上映があると知って、飛び上がったわ!「ようやく日本に行ける!」と思ったんですもの。私は学生時代、民俗学を専攻していて、とりわけ日本を研究していたの。まるで『夏物語』のヒロインのようにね。子どもの頃から日本に憧れをもっていたのよ。

―ロメール逝去後、数年を経ても、あらたなファンが増え続けています。また、ロメールはフランスの映画作家だけではなく、世界中の若い世代の映画人に影響を与えています。そのことを、どのように捉えられておられますか?

AL 例えば『海辺のポーリーヌ』は私の世代にすごく影響を与えたと思うわ。なぜだか理由は分からないのだけど。フランスよりも海外の方で受けたんじゃないかしら。なぜなら、とてもフランス的だったから。

―ロメールの作品群でも、『海辺のポーリーヌ』はとりわけ人気があります。本作は日本で初めて紹介されたロメールの作品でもありますし、「喜劇と格言劇」シリーズは、映画シナリオの抜粋が語学の教材として使われていたこともあるほどです。(★駿河台出版社から刊行された)

AL 俳優としては多くの役柄に挑戦できなかったことは残念だけど、映画史に名を遺す作品に出演できて誇りに思うわ。最近、友人に「国際的なスターになってみたかったわ」と言って天を仰いだら、彼は「ポーリーヌは国際的に知られたスターだよ」というのよ(笑)。ロメールは、ただ単純に”女優を撮る”のではなく、生身の人間として私たちをよく知ったうえでシナリオを練り上げていった。私は『海辺のポーリーヌ』と『夏物語』という素晴らしい2本に巡り合えたの。

―「ロメリエンヌ」(ロメール娘)という言葉があるくらい、ロメール映画は女性によって支えられ、その魅力を発揮しています。一方、彼女たちは「ロメール女優」という―いい意味でも悪い意味でも―レッテルを貼られてしまう傾向にあります。

AL マリー・リヴィエールも同じことを言っているわ。ロメール女優とはいっても、私たちは全く違う。私たちを結び付けているのはロメールという人物で、彼は私たちの中に共通点を見いだしているのかもしれないけれど、私には全く分からないわ。それよりも、マリー(リヴィエール)、アリエル(ドンバール)ロゼットベアトリス(ロマン)達と個々の人間関係を紡ぎ、長年にわたって友好関係を築いてきたと思っているわ。そして何年後か、時には十数年ぶりに、また彼の映画に出演する。私たちは、ロメールがなくなってからも、交流を持ち続けているの。

とりわけ私が頻繁に連絡を取っているのはロゼットで、昨夜は彼女と食事を共にし、彼女の家に泊まったの。私は地方で暮らしているから、パリで仕事やランデヴーがあるときは、よく彼女のお宅にお邪魔するの。私たち、ロメールが亡くなったときは、もっと親密に会っていたけれど、人生はずっと同じ場所に留まってはいられない。でもロメールを通して幾つかの本物の友情を得られたわ。

―そもそも、女優になられたきっかけは何だったのでしょうか? 俳優一家のご出身ですか?

AL いいえ。完全なる偶然なの。知人に勧められて、当時ビュットショーモンにあった芸能プロダクションに写真を送ったわ。そこで私の写真を見つけたロメールから一本の電話が入ったのが、ことの始まりよ。

―アンドレ・S・ラバルトがロメールを捉えたドキュメンタリー「われらの時代のシネアスト」にありましたが、あなたの配役をロメールは躊躇しなかったのですね。

AL 実際はそうだったのかもしれないけど、私には何も言わなかったのよ。役が私に決まるまで何カ月も待ったの。

―ロメールの第一印象を教えてください。あなたより40歳以上も年上の方です。

AL 初めてのランデヴーの時、私は時間より30分も早く着いてしまったの。約束よりも早く到着してしまうのは失礼だから、最寄りのバス停で時間を潰していたの。そうしたらロメールが買い物をするために降りてきて、通りの向かいから私を何度もみてきたんです。内心「いったい、このムッシューは何者!?」と思っていたわ。ロメールは私を写真で見ているから知っているけど、私は彼に気付かなかったの。その後、彼が私の所にやってきて、お互い自己紹介をしたの。16区ピエール・プルミエ・ドゥ・セルビ通りにある彼の事務所では、その後、いつも際限なくお喋りに高じたわ。ロメールは私よりもずっと年上だというのに、私を一人前の人間として接し、同じ目線で話を聞いてくれる。14歳の中学生だった私は、それが何よりも誇らしかったわ。

―『海辺のポーリーヌ』のシナリオはどのような感じでしたか? すでに緻密に書き込まれたシナリオが準備されていたのか、現場で書かれていく状況だったのでしょうか?

AL どちらとも言えるわ。まず、あのシナリオは70年代に書かれていたの。ポーリーヌの従姉のマリオン役はブリジット・バルドーが演じる予定で執筆されたと聞いたわ(実際にはアリエル・ドンバールが演じた)。シナリオの本水は残したままで、彼は私たちと会話する中で肉づけしていったの。『夏物語』の場合は、私が配役された時、既にシナリオは準備されていた。たった一つ、私がシニシアティヴを撮ったのは、演じる役の名前をつけることだったわ。マルゴという名前を選んだのは私なのよ。

―マルゴはあなたのように民俗学を研究する学生でしたね。

AL ロメールが私のことを念頭において、あのシナリオを書いたのかは分からないけれど、あの登場人物が民俗学を専攻していることは、シナリオにあったわ。この役をオファーされた時は、ちょうどレ・フィルム・デュ・ロザンジュ(1962年、ロメールとバーベット・シュローダーによって創立された映画製作・配給会社)の30周年のパーティがあったの。仲良しのロゼットに「絶対いらっしゃい! きっとあなたにとっていいことがあるから」と誘われて。そうしたらロメールに「また私の作品に出ることに興味はありますか?」と聞かれたの。彼は私が民俗学を勉強していたことは知っていいたけど、私を念頭においてシナリオを書いたのかはさっぱり分からないわ。

(つづく)

なお3枚目の写真は、撮影中のものとのこと。また、語学学習本を、私は2冊持っています(笑)。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4143

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>