以前このブログで勝鬨橋が最後に上がった1970年の写真をご紹介したことがあります。
勝鬨橋が最後に上がった日この際の写真というのは、なかなか見つからないので私もわりと一生懸命ネットをあたりまして、それでようやく1970年に橋が上がった際の動画を見つけることができました。
http://vod.ntv.co.jp/f/view/?contentsId=2161
さして長い動画でもありませんが、とりあえずネットであがっている動画はこれ以外に現段階見つけていません。1970年11月29日は日曜日で、上がったのは早朝でした。つまり交通事情をかんがみて、一番影響の少ない曜日と時間に橋を上げたのだと考えられます。三島由紀夫が自殺した4日後のことでした。
いずれにせよこの動画を見つけることができて、前の記事で書いた
>もし確認できたら、このブログで紹介します。
というのは、約束を果たせたことになります。よかった。
勝鬨橋が上がらなくなったのは、つまりは橋を上げるような大型船の定期運航がなくなり、また交通量の激増して、橋を上げることによる弊害が大きくなったからです。必要がなくなってさらに上げることによる損害が大きくなれば、上がらなくなるのは理の当然。
そして、この際の写真をいろいろさがしたのですが、どうもいい写真を見つけるのが難しかったのです。が、ようやく「すごい!」といえる写真を見つけることができました。こちらから。写真を一部抜粋してご紹介します。
撮影者のコメント(後でご紹介)にもあるように、そんなに真上まで開いたわけではなかったわけです。またヘリコプターが複数飛んでいるのが確認できます。これは報道用のものだと考えられますので、たぶんこの跳開が非常に貴重なものになる、というのは当時予測できていたのでしょうね。これが最後であると東京都側が発表していたかどうかは現在確認できませんが、もう橋が開くことはないかも、という予測はたぶんあったのでしょう。この後橋を上げるための発電所も80年に撤去されたので、勝鬨橋が上がることは事実上なくなりました。
いずれにせよヘリコプターが飛んでいるということは、たぶんNTV以外にも動画があるのでしょうから、それはぜひ拝見したいものです。これからも鋭意調査をする所存です。また上から4枚目の写真は、前の記事でも紹介したことがあります。
撮影者は、安河内孝氏です。学生時代の撮影ですが、こちらによると、清水建設に就職して、ダムの専門家になったとのこと。写真は、この時は素人でしたが、現在は写真コンテストの審査員も務めているとのことで、セミプロくらいのものなのでしょう。氏の撮影時の話をこちらから引用します。
>大学三年の時、大学の助教授から勝鬨橋が開くことを聞き、義理の兄さんからニコンFのカメラを借りて撮影に行きました。開く時間は確か7時だと記憶しています。
早朝6時に現地に行きました。非常に寒かったことを覚えています。
一眼レフのカメラでの撮影は初めてで、50ミリと150ミリのレンズで、絞りやシャッタースピードやレンズ交換は前日義理の兄さんに教えてもらいました。
現地について、撮影場所を探しました。逆光にならない左岸側に移動し探しました。堤防の天端に登ろうとしましたが、その時は満杯でした。段々時間が迫ってきて焦り、ウロウロとしていたら有る方が冷凍庫の門を乗り越えて、冷凍庫の外壁に付いているタラップを上がる姿が見えたので、小生も同じようにタラップを上がり、屋上に出ました。はっきり言えば無断での立ち入りで、法律違反ですね。あの頃は今みたいに厳しくは有りませんでした。
確か三階建てだと記憶しています。
タラップはむき出しだったので怖かった事を記憶しています。
屋上に付いた時は15分前でした。慌ててフィルムをセットしました。この時のフィルムは12枚撮りです。
カメラを構えて見ていると、少し橋が揺れ、一気に橋が上がりました。時間的には数分です。ただし、全開にはなっていません。45度位ですね。
この時、ハトが飛び立ち、橋に近い方は多量なホコリを被っていました。開いていた時間は数分です。次のフィルムを入れ替えして撮影するのがやっとこでした。
このフィルムは、小生にとって初めてのカラーによる撮影で、写っているのか心配でしたが何とか写っていてホッとしました。
(中略)
撮影場所付近は、川沿いに冷凍庫が沢山ありましたが、今ではマンションばかりで、撮影場所を探しましたが判りません。ただし、おおよその見当は付きます。
(後略)
上に引用したインタビュー記事によると、安河内氏は
>安河内 孝(やすこうち たかし)
昭和24年3月28日生れ
[略歴]
S46 清水建設(株)入社
とありますが、そうすると70年に大学3年生というのはちょっと変ですね。いずれにせよ、このような貴重な写真をお撮りになった安河内さんには本当に感謝したいですね。これも貴重な時代の証言です。
これからも、勝鬨橋についての情報がありましたら、適宜記事にしますのでお楽しみに。