Quantcast
Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4143

PL学園は、PL教傘下の高校だから野球が強かったし、だから廃部に追い込まれた

$
0
0

永遠のPL学園: 六〇年目のゲームセット

昨年PL学園とその野球部に関する記事を2つ書きました。

世の中理不尽な災難にあうこともある PL学園は、野球に特化しすぎたので、野球のあとがなかった

それでその後、PL学園野球部は夏の甲子園大阪府予選一回戦で敗退、休部となりました。現段階復活の目途が立っておらず、事実上廃部となりそうです。今年3月には、大阪府高等学校野球連盟に対して脱退届を提出しました。このときと予選敗退の際は、いくらか拙記事へのアクセスもありました。

それで上の本が、そのPL学園野球部の歴史から休部・廃部にいたる事情について詳しく書いてあるというので、さっそく入手して読んでみました。以下本に書いてある内容を紹介して、若干私のコメントを交えていきます。

PL学園という高校は、たぶん1980年代は、日本でもっとも知名度の高い高校(のひとつ)ではなかったかと思います。好き嫌いやいいわるいは別としてです。当時は今より野球に人気がありましたし、高校野球や甲子園への社会的関心も高かった。おまけにPLは桑田真澄清原和博立浪和義宮本慎也、時代はちがいますがのちには前田健太などの別格のすごい選手をプロ野球界に送り込みました。またプロ野球の監督、コーチングスタッフら指導者になった人も少なくないし、アマチュア球界でも野球を続けていて指導者になった人も多いわけです。PL学園卒業後、青学大に進学、後にJR東海で選手、コーチをした故・伊藤敬司氏もその一人でしょう。立浪と同級生の彼がALSを発病しなければ、当然JR東海の監督になったはずです。氏については、昨年記事(「世の中・・・」の記事)を書いています。ともかく大変野球界ほかへの影響力の強い野球部だったし、その野球部を抱える高校だったわけです。応援の際の人文字は、まさに甲子園名物でもあったし、高校野球名物、夏の風物詩というレベルで知られていました。

そのPL学園も、PL教団の力がその絶頂期であった83年2月に第二代目の教祖(という言い方を、PL教団はします)が亡くなって次第に時代が変わると共に、野球部への援助が減り、またそれまでは不問、見て見ぬふりをされてきた暴力ほかの不祥事が明らかになってくるようになりました。監督の交代もあり、ついにはPL学園校長などが素人監督を務めるようになり、特待生も2013年度までで取れなくなります。PL学園高校自体200人を遥かに下回る生徒しかいなくなってしまいました。PL教団も、信者実数数万人とまで言われる苦しい状況になり、とても野球部に力を入れられるような状況ではなくなります。

そしてPL学園は、2014年に15年以降の新入野球部員受入の中止を発表します。つまり16年の夏の大会が、PL学園硬式野球部(PLには軟式もあります)の最後というわけです。

まさに野球部としても、最悪にも程がある事態になってしまいましたが、個人的には、強豪でなくても、同好会に毛が生えたくらいのものでもいいから、部を存続させてあげればなあと思いますが、けっきょくPL学園が極端に強い野球部を作れたのも、今回部の存続すら許されず事実上廃部ということになったのも、表裏一体だったのだなと思います。

PL学園がなぜ強い野球部を作れたかというと、1人のキーパーソンがいたわけです。井元俊秀氏という人物で、彼は上で書いた2代目教祖と親しい間柄で、PL学園野球部の監督なども歴任しましたが、もっぱらスカウトとしての役割を果たしました。彼は教祖の側近として日本中を回り、同時に日本各地の優れた野球少年たちを発掘しました。井元氏の力によって多くの優秀な選手がPL学園の門をたたいたし、その選手たちが活躍してPL学園の強さを実績をもって示したし、そのことによってますます多くのすごい選手がPLに入ってきたわけです。

そして、他校もPL学園同様の野球部強化をするようになり、また教団からも以前ほどの援助や支援が得られなくなってきた2001年、2年生が暴力を1年生にふるい1年生は退部退学、損害賠償請求の裁判が起きて、監督解任、出場停止ということになり、井元氏も(一応定年退職だったとのことですが)教団を去ります。これらにより、PL学園野球部の選手集めは非常に支障をきたすようになっていきます。

その後も監督の暴力、部員の暴力、監督の解任その他が生じ、けっきょく最終的にPL学園野球部は休部、事実上の廃部に追い込まれたわけです。個人的には、確かに教団が今後もPL学園野球部にかつてのような潤沢な援助を続けるのはできない相談だと思いますが、監督に素人を起用するとか、新入部員受入を打ち切るといったことはまずいんじゃないかなと思います。PL学園野球部の監督は、

>次期監督も、まず教団にとって適した人であり、学園がふさわしいと判断する人でなければなりません。(中略)当然、野球部の監督にも信仰心は認められます。(正井一真PL学園校長・野球部監督(いずれも当時)の談話 上掲書p.158~159)

とのことですが、そのような人はいくらだっているでしょう(苦笑)。それでこれが一般の高校なら、強豪でなくてもいいから、一般の高校の野球部と同等で構わないという考えで継続することも可能でしょうが、理由はともかくPL学園の場合、教団のトップが野球部の存続に意義を見出さなければ、このような極端な事態にまでなってしまったということです。つまりトップダウンが極端な形になると、強化も井元氏のような有能な人材が仕事以上の熱意で動いてくれるし、中村順司監督のようなすごい指導者も現れたわけです。

そしてこれが、トップほかの最高幹部たちが野球部を重荷に感じる、あるいは厄介者、迷惑に感じるようになったら、それがまるっきり反転したわけです。強化費が回らなくなるくらいはまだ仕方ないとして、野球経験がない人間が(職務命令で)監督を務めるとか、練習を補助していた有能なコーチが追われたり、野球部を存続させることすらできない相談になってしまったわけです。

私見では、野球部の廃部は仕方ないとしても、なぜ廃部しなければならないかという現状を率直に教団側は部員、学園関係者、保護者、元野球部員その他にきっちりと説明する必要はあるんじゃないかと思います。私は部外者ですからいいですが、内部関係者はぜひ説明してほしいと考えているんじゃないんですかね。教団にもそれくらいの説明責任はあるでしょう。

で、現トップとPL学園同級生である接骨院経営者の方(PL学園そばに居住していて、野球部員のケアもしていたとのこと)は次のように語ります。

>教団の信者数が減少していることや、学園の経営が厳しくなっていることを口にすることは、現在の教祖の教えを否定することになる。宗教団体のトップとして、とてもそんなことは公表できません」(上掲書p.254)

それは確かにそうだろうと私も思います。思いますが、どうもなあですね。そしてこういうあたりが、けっきょく宗教団体であるが故の構造的唯我独尊体制の弊害なのでしょう。宗教団体でも、もう少し民主的(???)に運営されていたら、たぶんまた違った可能性はありうるのでしょう。カリスマ的トップダウンの体制が悪く働くとこうなるわけです。他の私立高校、公立高校も、野球部に限らず部員減少により部活がつぶれるというのはともかく、このような強権措置は取られないのではないかと(勝手に)考えます。

PL学園の生徒は、2016年の段階で180人くらいしかいないそうで、これでは学園の存続も厳しそうです。人文字の応援などとんでもない話です。教団の存続も厳しいという人もいます。

過日の記事で私は、

>スポーツというものもいろいろ新陳代謝を必要とします。選手や指導者の入れ替わりは当然として、ある時期の人気スポーツがその後もそうであるとは限らないし、スポーツのあり方や方針もいろいろ変わっていくしまた変わらないと困ります。

と書きました。野球の人気も昔ほどではありませんが、人気のあるチーム、強い野球部も、時代と共に変化していくし、またいかざるを得ないということなのでしょう。

ところでPL学園最後の野球部員たちは、3年生12人、うち1人は白血病を患って1年留年して今年は記録員ですから試合に出られません。おまけに大阪府予選1回戦(結果的に最後の試合となりました)の試合前日に2人の部員が練習中の怪我で1人骨折、1人亜脱臼という事態になりました。最後の試合を、怪我や熱中症などで1人が続行不能になったら放棄試合になるところでした。出場する選手の中にも怪我で満足にプレーできない選手がいるくらい苦しい状態でしたが、なんとか試合を続け、7-6で負けました。負けは仕方ありませんが、せめて監督くらいは野球経験者ができなかったのかという気はします。できなかったのではなくて、教団側(これは学園よりもっと上の判断です)があえてそうさせたわけですが、これは野球部員が気の毒です。

なお2014年にPL学園野球部に入学した生徒は13人、うち2人が1学期中に退部しました。その年の11月、つまり2学期中には新入部員が今後入らないということが発表されましたので、この時点でPL学園を見限って他校に転校する野球部員がいても仕方ないところですが、結果として1人も退部せずに最後の試合を迎えることができました。すでに行くところがないとか、いろいろな思惑や事情はあったでしょうが、なにはともあれ最後の野球部員として活動できたことは、いろいろな点でよかったと思います。生徒たちも「話が違う」「それはないだろう」と思ったことは多々あるでしょうし、彼らが退部したところでそれを「悪い」とか「ぜひ最後までPLでがんばってほしい」という権限は誰にもないでしょうが、悔しさやつらさもふくめてなんとか野球部生活を全うできたのは彼らにとってもいろいろな財産になるでしょう。

本はとても面白いので、ぜひお読みになってください。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4143

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>