Quantcast
Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4143

東エルサレムをイスラエルが占領して、昨日で50年目。

$
0
0

昨日風呂の中で図書館から借りた(おいおい)下の本を読んでいて、「おや」と思いました。1993年出版の本で、たぶんイスラエルとパレスチナで、ラビン首相とアラファト議長がオスロ合意で和平に動いたからみもあって執筆・出版された本だと思われます。

エルサレム

で、私が印象に残ったのがこちら。つまり第三次中東戦争中の1967年6月7日の午前9時50分、すでにヨルダン軍はあらかた退却している状態の東エルサレムにイスラエル軍が入り込みます。ユダヤ教の神聖な建物である嘆きの壁に、イスラエル軍のラビ部隊のラビ長であるゴレン将軍が午前10時に入ると、イスラエル軍兵士が歓喜の興奮状態となっています。そして椅子を壁の前に出して、3人のラビがシカの角笛ショフールを拭き祈りを始めます。そして祈りの最中、ゴレン将軍は感激を抑えられなくなり、こう叫んだというのです。

「壁は我々のものだ。もう二度と手放さない」

さらに彼は旧約聖書の詩編第137編を引用し

「我々はあなたを決して忘れることはなかった。そうしてあなたの右の手が、上の右手が、この歴史的な救いの時をもたらしたもうた」

と続けたというのです。(以上、前掲書p.120~121を当方の責任で要約。ただしゴレン将軍の発言は、本の記述のまま)

これを読んだとき(この本は以前にも読んだので、このくだり自体は、前にも読んだことがありますが)、私が思い出したのが、1990年に当時チベット自治区党委書記の胡錦濤が、記者会見で語ったというこの発言です。

>中国政府の立場は、一〇〇年、一〇〇〇年も変わらない。分離独立は認めない。認めるものは民族の罪人だ 

この発言は、こちらの記事でご紹介しました。

分離独立は認めない 認めるものは民族の罪人だ(胡錦涛)

その記事で私は、次のように書いています。

>この発言に対する感想は様々でしょうが、まさに中国政府の認識がこの胡錦涛のセリフに表れていると思います。中国政府がチベット(にかぎりませんが)の独立を認める可能性なんてのは、まったくないでしょうね。

同じことがゴレン将軍の発言でも言えると思います。イスラエル政府およびイスラエル国民のユダヤ人からすれば、嘆きの壁、エルサレム全体をぜったい手放すわけにはいかないということでしょう。

もちろん記者会見の正式な発言と、いわば感極まった即興の発言は同一視できない部分もあるでしょう。しかしイスラエルがエルサレムで妥協することはないでしょうし、する日は、たぶんイスラエルという国の性質が、現在とは全く違うものになったということでしょう。少なくとも、この発言から半世紀、イスラエルはエルサレムについては絶対妥協をしていません。ラビン首相は、アラブ側と和平に動くため、エルサレム以外(ゴラン高原とか西岸など)は放棄してもよいと考えていたという話を読んだことがありますが、つまりエルサレムは絶対だめということです。ラビン氏でだめなのですから、現首相のネタニヤフ氏ではもっと見込みはないでしょう。たぶん今後も同じようなものでしょう。

それで風呂に入っていて、1967年6月7日・・・あれ、50年前の今日じゃないかと気づいたわけです。つまり50年、イスラエルはエルサレムを守り通したわけです。

それにしてもこの本のこのくだりを今日読んだのは偶然だと思いました。そしてあらためて半世紀という歳月の長さをかみしめました。

いつの日か私もイスラエルに行くと思います。その時は長期の記事になると思いますが、読者の皆様も乞うご期待。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4143

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>