過日父が死亡して、それでその時の葬式は一般の葬式(つまり、通夜、告別式を行って、不特定の人間に参列していただく)を執り行いましたが、家族で話し合って、私たちの葬式の際は、身内だけの葬式、あるいは直葬でいいということになりました。とりあえず私は、家族親類のみに参列してもらえば十分です。葬式のための金は最大限使わず、違うことにつかってもらえばいい。
調べてみると葬儀簡素化についてのNAVERまとめもありますね。
私見では、冠婚葬祭の簡素化は時代の流れかと思います。たとえばいま40歳のかたが平均寿命を迎えるのころ、現在以上に冠婚葬祭が華美になる可能性はそんなに高くないと思います。葬儀会社も、現在もそうでしょうが、これからも簡素化して安価に葬儀を済ませられるプランをどんどん出していくんじゃないですか。
ちょっと前NHKBSでしばらくぶりに伊丹十三の『お葬式』という映画を途中まで(主人公たちが病院の霊安室に行くところまで)見ました。あれは裕福な家庭の葬式という設定でしたが、これからはあのような葬式は少なくなるでしょうね。
個人主義の思想が日本人にも行き渡ったとか、地域や家族のしきたりというものがうるさくなくなったこと、いろんな意味で若者にかぎらず日本人のさまざまな考え方が変わったことなど理由はいろいろでしょうが、私個人もそのような考えには賛成です。どっちにしたって金はかかるんだから、結婚式や葬式よりちがうことに金を使ったほうが合理的でしょう。
ただし、これも地域によって考えが違い、九州なんかはいまでも仲人をたてた結婚式が多いようですし保守的ですし(これもだんだんにかわっていくでしょうが)、名古屋の結婚式の派手さは有名です。都会のほうが地方よりも、特に葬式の簡素化の流れのスピードは早いでしょう。
日本の社会というのも、善悪はともかくとしてそういったことにだんだんに興味関心が薄れていくんだろうなと思います。
とくに「戒名」なんてねえ、「葬式仏教」とまで言われるくらいですが、正直戒名なんかどうでもいいと考えている人が世間はほとんどでしょうね。「世間体」とか「親戚の手前」といった事情で戒名をつける人も、これからは減りはしても増えることはないでしょうから、仏教というか寺の側もこれからはそういったことも考えていかなければならないし、また考えている人も少なくないでしょうね。
上にも書いたように私は葬式は簡素にしてほしいと思うしそうなるでしょうが、それはたぶん日本人の持つ死の意識というものの変化ともたぶん不可分なのでしょう。