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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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50年前の今日は何の日、そしてほんまかいなの話

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50年前の今日は何の日かといいますと・・・。そう、あの人が亡くなった日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オルダス・ハクスリーの死んだ日

 

 

Wikipediaによると

>1963年11月22日11時45分に[7]、ハクスリーはその死の床で、話すことが出来なかったため妻ローラに対して「LSD, 100 μg, i.m」(LSDを100マイクログラム筋肉注射して欲しい)と書いて渡した。彼女はそれに応えた。二度目にLSDを注射したときには、「軽くて自由、前に、上に」と言い、17時20分平穏に旅立った[7]。同日に発生したケネディ大統領暗殺事件の為、ハクスリーの死は影が薄くなった。

とのこと。ケネディが亡くなったのは、Wikipediaのケネディ大統領暗殺事件によると

>ケネディを担当したパークランド病院第一外傷室の係員は、ケネディが「瀕死」状態だったと語った。これは病院到着時既に生存の可能性がなかったことを意味する。午後1:00に心拍が停止し、立ち会った司祭が病者の塗油(終油の秘跡)を与えた後に大統領の死亡が宣告された。ある医師は「我々には彼の命を救う希望が持てなかった」と語った。ケネディの病者の塗油を行った司祭は、大統領は病院到着時既に死亡していたとニューヨーク・タイムズに語った。この司祭が病院を出た直後に報道陣に大統領の死亡を伝え、すぐに大統領死去の第1報が未確認ながらテレビやラジオを駆け巡った。これより以前にジャクリーヌ夫人付きの警護担当者がケネディが死亡したとUPI通信が打電し、地元ダラスのテレビ局が午後0:58に伝えている。

とのことですので、つまりケネディよりはハクスリーのほうが後までご存命だったということになります。すいません、これはシェリル・クロウが「Run Baby Run」で使ったネタです。「11月に生まれた彼女・・・1963年、オルダス・ハクスリーが亡くなった日」っていうやつ。クロウ自身は1962年生まれです。

では違う話を。これは私が聞いた話です。 

とある職場に、あまりに仕事ができないので(精神を病んだらしい)、年がら年中罵倒されている某職員がいた。ある日その職員に対して職場の同僚たち(年齢は後輩)が言った。

「いいですか! ××さん! なんにもしなくていいですからね! ただ封筒に後納印だけ押して下さいよ!!」

で、その後納印を押された封筒を(特に確認しないで)郵便局に持っていったところ、それを見た郵便局員が声を荒げた。

「こんなところに後納印を押されたら困る!!!」

後納印がどこに押されたかは、私は知らない。その日は職場で、かなり遅い時間まで罵声が絶えなかったという…。

で、この話の信憑性に疑問を持った私は、そういうことが本当にあったかととある職員に確認したところ、その職員曰く

「いや…そんなこといっぱいありましたから…(苦笑)」

ちなみにこの某職員が結婚してニューカレドニアに新婚旅行に行った際、職場のホワイトボードの職員所在欄に次のように記されていた。いろいろ含蓄があります。

×× ≒天国


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