前にも記事にしましたように、1982年に制作された倉本聰脚本、萩原健一主演のドラマ『君は海を見たか』を毎週観ていまして、その第8回に、こんなシーンがありました。
将来父親にダイビングを教えてほしいと嬉しそうに話す不治の病で死期の近い息子を見て、萩原健一の父親がいたたまれなくなり、その道の権威の医者を求めます。
相談した医者は、学閥ほかの問題で、その権威は診察してもらえないのではないかと話します。
その医者のもとに萩原は訪ねていきます。医者は、自分がみても同じだと診察に難色を示します。
紹介状も返されます。
が、必死に医者に訴えかけて、何とかカルテほかを借りたうえで診察をしようという言葉をもらいます。
が、妹と妹の婚約者は、それはまずいと話します。そういうことをすると、現在の主治医を裏切ることになるというのです。けっきょく萩原の父親は権威の医者の診察を断念します。
なお医者を演じてるのは鈴木瑞穂です。さすが、こういう役を演じさせると抜群のうまさです。
また萩原もまさに渾身の演技です。個人的には必ずしも萩原健一という俳優を好きというわけではないのですが、なるほど、逮捕その他不祥事を連発しながらも彼が使われ続けた理由の一端を理解できたな気がしました。
現在の感覚では、いや、セカンドオピニオンは患者の当然の権利だろと思いますが、このドラマの制作された当時(ただしこのドラマの脚本は、1970年制作のドラマが原型です)はそういうものでもなかったということです。
このドラマ放送の10年以上あとの話ですが、フリーアナウンサーの逸見政孝氏が、1993年に前田外科で胃がんの手術を受けたのですが、すでに相当悪い状態であり、事実上前田外科からさじを投げられます。この時逸見夫人と逸見氏の事務所社長が違う医者に診察してもらおうと懸命に逸見氏を説得しますが、逸見氏は医者との信義にもとるみたいな意見を言い、それに不快感を示したということが、逸見氏のWikipediaに記載されていました。けっきょく逸見氏は、東京女子医大で診察を受けるのですが、当時はドラマの登場人物や逸見氏のような考え方はそれなりに一般的だったのかもしれません。
ドラマの少年や逸見氏は、どっちみち転移しているので助かる見込みはなかったでしょうが、たとえば積極的な治療をすべきかそれはしないかというのも重要な問題です。逸見氏の場合、東京女子医大でのあのような大手術は無謀ではなかったかという意見も出ました。逸見氏は、そのような意見に同意することはなかったかと思いますが、前田外科が治療をしなくなったというのも、たぶん治療しても見込みがないということだったのでしょう。そう考えると、現在のほうがさすがにある程度患者の権利は進歩しているのかなという気はします。
以下余談です。思春期の少年は、父親の友人の妹の水沢アキに淡いあこがれを感じます。なお写真は第8回より。
たぶん彼女は、82年バージョンで新たに付け加えられた登場人物かと思いますが(70年のドラマは全8回、82年は11回)、そしてたぶん視聴率を取るためのキャラクターだと思います(だから水着姿とかが出てくるのでしょう)。観ていて、ややとってつけたような役どころだなという気がしないのでもないのですが、でも二十台後半(1954年生まれの)の彼女も、なかなかいいかなという気はします。また彼女を、「美女探求」で取り上げても面白そうです。