bogus-simotukareさんの記事で、noharra氏なる人物の『 「ダライ・ラマが焼身を扇動している」となにがなんでも誤解したい人たち』という記事を知り、さらにnoharra氏が引用されている「宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会」というところのブログ記事を知りました。noharra氏は
>「ダライ・ラマが焼身を扇動している」となにがなんでも誤解したい人たちというのも、某S氏と同じく汚れた心の持ち主だ、と私は思っているということなのです。
http://www.supersamgha.jp/2013/11/post-103.html のブログを読むと、その背景を含めて丁寧に解説している。のでそちらを読んでいただけばよい。
と書いています。「なにがなんでも誤解したい人たち」ってのは、不当な言いがかりをつける人たち、くらいの意味なんでしょうね、きっと。某S氏とは、bogus-simotukareさんのことなのでしょうが、それは私の記事の趣旨とは無関係なので置いておくとして、「そちら」とは次のようなものです。noharra氏の引用も同じです。
>飯島:「本土では焼身抗議という大変な抗議活動が行われていますが、それはまったくやむことなく、伝え聞くニュースではまだ小さな子どものいる母親までもが自分のいのちを灯明に変えて、その苦しみを世に問うような大変なおこないがされているのですけども、そういった暴力性の中でわたしたち仏教者というのは何ができるのかぜひお聞かせいただければと思います」
法王:「このように自らの命を犠牲にして何かに抗議するという行いは、今までも行われていたわけです。例えば中国の中におきましても、ある中国の仏教のお寺の僧侶の方が自らの命を投げうって、人びとのために抗議をしたことがありますし、ベトナムの中でもそういったことは起こっています。そして私たちの国チベットでも全く同じです。
このように自分にとってもっとも大切なものである命を投げ出して、他の人たちを救うために、世の中にそういったことの不条理を問いかけようと、こういう行いというものは本当に尊ぶべき、本当に美しい行いだと思います。そういった行いというのは、究極的には他の者たちに暴力を使わないで自らを痛めるということによって、世にその不合理性を問うという行為であるわけですから本当に素晴らしい行為ではないかと思います。
これに関しましては、もちろん本当に非常に心が痛む悲しい出来事であるわけです。私はひとりの仏教の僧侶でありますので、そういう意味においても本当に焼身自殺者が出るということに関しては本当に心を痛めているわけなんです。これは政治的な状況によって、どうしようもなく起きてしまっていることであり、私自身は約2年前に完璧に政治的な分野における最高指導者としての位置を引退しておりますので、そのような状況であります」
noharra氏の解釈では、上のダライ・ラマの発言を、
>ダライ・ラマが焼身を扇動している
ととるのは
>誤解
だそうですが、残念ながら私には、完全にダライ・ラマは焼身自殺を肯定していると思われますけど。
>このように自分にとってもっとも大切なものである命を投げ出して、他の人たちを救うために、世の中にそういったことの不条理を問いかけようと、こういう行いというものは本当に尊ぶべき、本当に美しい行いだと思います。そういった行いというのは、究極的には他の者たちに暴力を使わないで自らを痛めるということによって、世にその不合理性を問うという行為であるわけですから本当に素晴らしい行為ではないかと思います。
という発言は、いくら後で
>もちろん本当に非常に心が痛む悲しい出来事であるわけです。私はひとりの仏教の僧侶でありますので、そういう意味においても本当に焼身自殺者が出るということに関しては本当に心を痛めているわけなんです。
と語ったところで、本質的には肯定していると考えて問題はないでしょう。肯定しない行為を
>こういう行いというものは本当に尊ぶべき、本当に美しい行いだと思います。そういった行いというのは、究極的には他の者たちに暴力を使わないで自らを痛めるということによって、世にその不合理性を問うという行為であるわけですから本当に素晴らしい行為ではないかと思います。
と表現するのは、チベット語は知らないのでわかりませんが、すくなくとも日本語の用法ではないと思います。
で、引用元の「宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会」も
>この法王猊下のお答えについて、当日取材に来たマスコミの中で、猊下が全く意図しない内容を報道したものがありました。その記事には『チベット族僧侶らの焼身自殺理解 ダライ・ラマ「尊い行為」』(共同通信)という内容が書かれていました。当日の参加者はこの記事を読んで、誰もが違和感を覚えたでしょう。また記事の最後に記者が加えた一文「焼身自殺に理解を示したともいえ、中国政府を刺激し、内外に波紋を呼びそうだ」からは、むしろこの記事が意図的に「波紋」を作り出し、対立を煽っているとも捉えられ、スーパーサンガとしてこの事態を重く受け止め、林代表以下幹事が各報道機関に異議申し立てを行いました。
と書いています。ってことは、「宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会」のスタンスとしては、この件のダライ・ラマの発言については、ダライ・ラマの発言は焼身自殺肯定ではないし、また翻訳の間違いでもない、っていうことなんですかね。そうだとしたら、それはダライ・ラマ側の公式の見解と異なります。こんなことは議論するだけ馬鹿馬鹿しいことで、そもそもダライ・ラマ側が
>集会の通訳は共同通信に「驚くべき行為と訳すべきだった」と述べ、修正した。
通訳によると、ダライ・ラマは集会で、焼身自殺について「非常に心が痛む悲しい出来事だ」などと繰り返し答えた。焼身自殺の行為自体を肯定するような言葉はなかったという。ダライ・ラマはチベット語で答え、通訳が日本語で訳した。
と申し入れているわけで、このダライ・ラマ発言がこの通り通訳されたのなら、それはダライ・ラマ側の落ち度であり、共同通信側に責任はないでしょう。通訳の間違いうんぬん以前の問題として、共同通信が報じた「尊い行為」という発言は問題発言でよろしくないと考えたから、ダライ・ラマ側がそのような申し入れをしたというわけで、これらの発言が問題発言、よろしくない発言であることは明白でしょう。だから私は前の記事で
>どうなんですかねえ、これ。外国語で行われた講演その他での問題発言を通訳の誤りと称して隠すというのは常套手段でしょう(笑)。もしほんとにこれが通訳の誤りであるなら、その部分だけでなくある程度まとまった時間の動画とチベット語の発言を書き起こして翻訳をつけてHPなどで発表するべきじゃないですか。早急にしてくださいよ。
と指摘したわけです。で、どうなんですかね。動画とダライ・ラマ発言の書き起こしと翻訳は発表されたんですか? されたのでしたら早急に私も拝見してこのブログで読者の皆さまにその内容と私の意見をお知らせしたいので、ご存知の方はぜひ私に情報をください。
そもそもよりによって宗教者が、こういうことで発言主体の責任をマスコミになすりつけちゃいかんでしょ。まあわざとやっているんでしょうが、どこまで不誠実なんだか(笑)。こういうことを言い出す連中が出ると思ったから、私は前の記事で、
>そういうわけで、ダライ・ラマやチベットを支持する人も、この発言を肯定するのはやめたほうがいいですよ。ダライ・ラマはこのような発言をしたことを否定しているんだから。
と書いておいたんですけどね。やっぱり出てきました、こういうむちゃくちゃな主張をしてダライ・ラマをかばう人たちが。私見では、こんなのは「ひいきの引き倒し」のたぐいでしょう。
いずれにせよ、こんな発言を紹介しておいて「誤解」も「意図しない」もないもんです。ふざけるのもいいかげんにしてくださいよ。
しかしですよ。この件は、より本質的な問題を内包しているように思います。bogus-simotukareさんもご指摘のように
>第二に在家の会が翻訳しid:noharraが紹介してる翻訳が「実は間違ってる」としましょう。
しかしここからは「皮肉にもチベット仏教支持者には自殺を賛美していい、それはダライ猊下のお考えでもある、と思ってる人が、多数いるかどうかはともかく、無視できない程度の数はいるらしいこと」がわかると思います。正直、「不快感、恐怖と悲しみと嘆きと怒り」を俺は覚えますが皆様はいかがでしょうか?
ということになっちゃいますよねえ。チベットや、ダライ・ラマ支持者の方々にとっては、こういうことも見て見ぬふりっていうやつなんですかね。それもどうかです。
例によってbogus-simotukareさんにお礼を申し上げます。