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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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これも時代の曲がり角なのかも(将棋の羽生善治が無冠になったことについて)

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このブログで私は、何回か将棋の記事を書いています。

時代の変化と、2020年前後以降の羽生善治らの動向が興味深い 思ったより早くその日が来た B級1組に降級した将棋棋士森内俊之9段がフリークラス転出

それで今回も。ちょっと記事を発表するのが遅くなりましたが。

羽生善治「27年ぶり無冠」の衝撃 新世代のチャンピオンは誰だ?

2018年12月21日 20時40分 文春オンライン
 ついにその時が来たというべきだろうか。12月20、21日に行われた第31期竜王戦七番勝負第7局で羽生善治竜王が挑戦者の広瀬章人八段に敗れ、竜王位を失冠し無冠となった。

まさに圧巻のタイトル連続保持記録
 羽生の持つタイトルがゼロとなるのは1991年3月18日以来、実に27年ぶりのことなのである。裏を返せば羽生は27年間、八大タイトルのうちの何かを持ち続けていた。タイトル連続保持記録の第2位が大山康晴十五世名人の15年、第3位の渡辺明棋王が14年であることを考えると、27年連続のタイトル保持はまさに圧巻というべき数字だ。

 タイトル連続保持の記録を眺めると、この中で大山康晴十五世名人と中原誠十六世名人は一度無冠に転落してからの復活劇がある。いずれも1年たたずにタイトル奪回を果たし、再びの長期政権を築いたのはさすがというべきだ。羽生の復活にも当然期待したいが、前者二人の復活劇はいずれも30代の時だった。現在48歳の羽生に同等の期待をするのは、年齢的なことを考えると難しいかもしれない。

羽生にも無冠転落の危機はあった
 そもそも、羽生が30代の時に無冠に転落しなかったのがむしろおかしいともいえる。いや、無冠転落の危機はあったのだ。2003年~04年にかけて、羽生は当時保持していたタイトルの竜王・王将・名人をいずれもライバルの森内俊之に奪われ、王座の一冠となった。ついに羽生時代の終焉かとまで言われたものである

 だが王座の防衛戦が始まる直前に谷川浩司から王位を奪って、無冠の危機をひとまず脱し、さらに王座戦五番勝負ではここでも挑戦してきた森内を、今度は下してライバルの勢いを止めた。さらに王将を奪い返し、棋王も谷川から奪取。終わってみれば2004年度終了時点の羽生は四冠王だった。タイトルの過半数を持っていては、「時代の終焉」などと言われた話は何だったのかということになる。

将棋界はより混迷の戦国時代に突入した
 一度負けてもすぐに奪い返すという羽生神話はしばらく続いたが、その神がかりさが薄れてきたのが昨年あたりからだろうか。2017年度は王位・王座・棋聖の三冠を保持してスタートしたが、王位と王座を失冠し、再びの一冠転落。竜王を奪って永世七冠に輝いたのは知られたところだが、今年度に入っては名人挑戦を果たすも2勝4敗で挑戦失敗。棋聖も2勝3敗で豊島将之に奪われた。

 そうして迎えたのが今期の竜王戦であり、フルセットまで粘ったがついに力尽きた。

 羽生は無冠転落について以下のように語る。

「結果が出せなかったのは自分自身の実力が足りなかったことに尽きる。

(通算100期がかかり)注目される中でタイトル戦という檜舞台に建てるのは棋士にとって名誉なことで、力をつけてまた新たに臨みたい」

 羽生の無冠転落によって、将棋界はより混迷の戦国時代に突入したと言える。次代の覇者候補はまず、現時点で唯一の二冠王である豊島将之(王位・棋聖)だろうか。来年4月から始まる名人戦、その挑戦権を争うA級順位戦ではただ一人無敗の5連勝と、トップを突っ走っている。

 対抗馬として、羽生から竜王を奪った広瀬を挙げたい。竜王に続き、棋王戦でも挑戦を決めて二冠奪取を虎視眈々と狙っている。A級順位戦でも豊島を追う位置にある。

大山は56歳で王将を奪取した
 その広瀬の挑戦を受ける渡辺明は、王将挑戦を決めているので年明けからは王将・棋王のダブルタイトル戦だ。昨年度は不調ともいうべき成績だったが、復権を果たす大きなチャンスだ。

 その先輩勢をまとめてごぼう抜きするかもしれない若手のホープがいる。いうまでもなく最年少棋士の藤井聡太だ。タイトル挑戦こそないが、佐藤天彦・羽生善治・広瀬章人を連破して朝日杯将棋オープンを優勝するなど、将来への期待値は十二分にあるといえよう。

 もちろん、羽生だって黙ってはいまい。大山は二度目の無冠転落後もさらに11期のタイトルを積み重ねた。なかでも56歳で王将を奪取し、最優秀棋士賞を受賞というのは晩年の大山の実績でも白眉だろう。王将のタイトルは58歳まで防衛を続けた。羽生によってその再現があってもおかしくない。

 いずれにしろ、覇権を握るチャンスは皆に等しくある。戦国時代を抜け出す棋士は現れるだろうか。盤側でその戦いぶりを観戦しながら、次代の天下人をお伝えできればと思う。

(相崎 修司)

記事にもあるように、羽生は1991年からこの12月まで、なにがしかのタイトルを保持していました。これはまさに驚異です。信じがたい記録です。そして、その棋士がタイトルを奪われて無冠になったのも、やはり一つの時代かなと思います。

羽生は、記事にもあるように、1970年生まれの年男です。48歳というのは、やはり将棋というゲームで一線で指しまくるのはかなりきつい年齢です。事実、彼と同い年の森内俊之は、A級から落ちた後、フリークラスに転出しました。これは、第一線でタイトルを狙うことから事実上撤退したということを意味します。そのあたり森内に葛藤がなかったわけはありませんが、やはり今後のタイトル奪取は非常に厳しいという判断があったということでしょう。それは個々人の判断ですから他人はどうこう言えませんが、そして羽生は、あくまでタイトルを失っただけであり、A級では現在5勝1敗という成績であり、降級うんぬんという状態ではありませんが、ともかく彼も、将棋人生の一つの区切りに来たということです。今後また、あらためてタイトルに挑戦する立場になりました。やはりこれは時代ですね。昨年、記事にもある藤井聡太が大きな話題になりましたが、彼は21世紀生まれの2002年出生なわけです。羽生とは32歳も年齢が違い、まさに親子の年齢差です。つまり羽生とは、1943年生まれの故・米長邦雄や1947年生まれの中原誠と羽生の年齢差のような関係にあるわけです。もちろん羽生が出てきた時代は、すでに谷川浩二がいたし、羽生の後も、渡辺明のようなすごい記事が出ているわけですが、やはり1990年代から今日に至る30年弱は、こと将棋界に関しては、羽生というのが異常な存在感のある時代でした。好き嫌い、その他はともかく、羽生の強さと存在感は、やはりとてつもなく、そして別格でした。1993年に、米長が悲願の名人位を永遠のライバル中原から奪取したにもかかわらず、翌年には羽生がタイトルを取ってしまったというあたりが、まさに羽生という人間の時代であり、そしてそのとてつもない強さを表していたことの象徴だったと思います。そしてその怪物が、ついにタイトルをすべて失った。これはやはり、1972年に中原が大山康晴の名人位を奪取した時などと同様、将棋の世代が1回転したことの象徴かもです。

もちろん上の記事にもあるように、このまま羽生が黙っているということもないかと思います。これで彼が二度とタイトルを取れないとも思わない。しかし彼もあと2年後で50歳です。前に引用した中原の発言、

>大山康晴先生も私も、50歳を過ぎるととたんに苦しくなりました。

というセリフを打破できるか、例外になれるか、私もこれから羽生の動向を見守っていきたいと思います。


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