>萩原健一さん死去 68歳 「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」など
[ 2019年3月28日 22:05 ]
ドラマ「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」など数々の作品で知られる俳優で、グループサウンズ「ザ・テンプターズ」のボーカルも務めた萩原健一(はぎわら・けんいち、本名・敬三=けいぞう)さんが26日午前10時30分、GIST(消化管間質腫瘍)のため都内の病院で死去したことが28日、分かった。68歳。埼玉県出身。所属事務所が発表した。「ショーケン」の愛称で親しまれ、一時代を築いた。
所属事務所によると、2011年から闘病していたが、本人の強い希望で病名の公表を控えていた。容体が急変し、モデルのリカ(本名・理加)夫人に看取られて息を引きとった。故人の遺志により、葬儀は家族のみで営まれ、27日に都内の斎場でだびに付された。
1967年、17歳の時に「ザ・スパイダース」の弟分バンド「ザ・テンプターズ」のボーカルとして「忘れ得ぬ君」でデビュー。「神様お願い!」「エメラルドの伝説」などの大ヒット曲を生み、グループサウンズ全盛期を支えた。
ザ・テンプターズは70年に解散。72年、映画「約束」に助監督として参加したが、降板した俳優の代役を務め、岸惠子(86)の相手役を演じた。これが高く評価され、本格的に俳優に転身。同年、日本テレビ「太陽にほえろ!」の初代新人刑事・マカロニ役で人気を決定的に。74年に同局「傷だらけの天使」、75年に同局「前略おふくろ様」と立て続けに連続ドラマに主演した。
映画も「八つ墓村」「影武者」「誘拐報道」「恋文」「いつかギラギラする日」「居酒屋ゆうれい」など多数出演。
昨年3月に放送されたテレビ朝日の2時間「明日への誓い」に主演。同年9~10月に放送されたNHK総合「不惑のスクラム」(全7話)に出演した。
私生活は80年から女優・いしだあゆみ(70)と事実上の結婚生活を送り、96年にはヘアメーク担当だった女性と結婚したが06年に別れた。11年に理加夫人と再婚した。
つまりガンで闘病していたということですが、ご当人も極秘にしていたようですね。まあいかにも他人から同情されるのを嫌いそうな人間ですから、その行動様式も理解できなくはありません。それから、記事では2011年から闘病していたということですが、たぶん現夫人と2011年に結婚したのはそれも関係していたのでしょうね。
拙ブログでも、彼のことを何回か記事にしています。次の2つですかね。
なぜかDVD(あるいはBD)化されない映画(1)(『誘拐報道』) CSで、倉本聰脚本、萩原健一主演の『君は海を見たか』を放送している(追記あり)ほかにも名前の出てくる記事はありますが、上の記事の関連ですので、紹介は略します。
上の記事で取り上げた映画とドラマは、どちらも1982年発表で、彼はこの時期はかなり乗っていたように思います。80年公開の『影武者』にも出演してくらいだし。黒澤映画と萩原というのもイメージがまた違いますし、また降板したとはいえ勝新太郎を主役に起用するなど、『影武者』は黒澤作品にしては意欲的なキャストでしたが、彼自身の好調さがなければやはりこの映画の出演もなかったので鳩も考えます。ただこれも昨年亡くなった橋本忍(脚本担当)自身の希望で、『八つ墓村』にも出演したようですから、そういうルートでも、黒澤に推薦があったのかも。また83年の『もどり川』では、共演した原田美枝子を厳しく叱責したり(原田の回想録に書かれています)、上の『君は海を見たか』では、
>萩原健一は演技に集中するために、撮影中スタッフが台本をめくるかすかな音さえ出ないよう、美術やカメラマンなどその場の全てのスタッフに台本を暗記させ、憶えられないスタッフには霧吹きで台本を湿らせるという徹底ぶりをみせた。
とあるくらいで、相当高いテンションでの活動がうかがえます。
が、83年にドラッグでの逮捕、84年に飲酒運転での人身事故、85年に暴力事件を起こしたりと、絶頂期だったにもかかわらず芸能活動暗雲が生じ、それでも90年代ごろにだいぶ調子を取り戻してきますが、2005年にまたまた不祥事を起こしてしまい、執行猶予付きの懲役判決を受けてしまいます。
特に83年からの不祥事は、現在だったら芸能界追放になっても仕方ないくらいのもので、上の『もどり川』もお蔵入りの可能性が高かったかもしれませんが(私がそういう措置をすべきだと考えているわけではありません。念のため)、それでも復活することができたのは、根強い人気もあったし、たぶん役者として別格の才能があったのでしょう。普通なら、ここまでのトラブルメーカーはさすがに起用に難色を示されるでしょうし、たぶん相当警戒されたでしょうが、それでも彼を起用したいという監督や脚本家、プロデューサー、そしてファンの声が大きかったのでしょう。
それにしても、萩原は、まだいい時代に生きて、それで全盛期を過ごせたと思いますね。昨今で83年~85年頃のトラブルを起こしていたら、さすがに彼の才能と人気をもってしても、なかなか復活は難しかったのではないか。83年4月に大麻で逮捕され、『もどり川』は6月の公開でしょうから、現在では逮捕の2か月に主演映画の公開というのは無理かもしれません。そうなると経済的な迷惑が生じるので、そうおいそれと復活はできないでしょう。実際彼は、ドラッグに交通事犯、暴行、恐喝などかなり人間的にもやばいところがるわけです。2回も執行猶予付きとはいえ懲役刑を受けるというのも相当なものです。
それで私もよく知らなかったのですが、彼が俳優として高い評価を受けた最初期の映画である1972年の松竹映画『約束』に関して、Wikipediaによると
>『約束』の製作現場に、助監督として参加。しかし元の主演俳優が降板してしまったことを受けて、代役に抜擢される。
『約束』での岸惠子との共演は高い評価を得、これを機にPYGの活動を続けながら俳優へと本格的に転身。TVドラマ『太陽にほえろ!』の初代新人刑事=マカロニ役でその人気を決定付ける。
とあります。『約束』のWikipediaにも、
>監督:斎藤耕一、主演:岸惠子。岸の相手役を演じた萩原健一の出世作としても知られる。
とあります。つまりここでの抜てきが、彼の俳優人生を決定づけたわけです。彼のことですから、この映画での抜てきがなくてもいずれ頭角を現したとは思いますが、しかしこれもやはり運ですかね。なおこの映画のロケ地について、私がいつも勉強させていただいている「居ながらシネマ」さんが記事をお書きになっているので、ぜひお読みになってください。
『約束』 (1972)個人的に、萩原の映画でぜひソフト化してほしいのが、『青春の蹉跌』ですね。なぜかDVDでのソフト化されていません(VHSはされています)。事情は不明ですが、あるいはCSなどでの放送もあるかもしれません。
萩原健一さんのご冥福を祈ってこの記事を終えます。それで最後に、私がちょっと印象に残った記事をご紹介します。この談話を出した時点で彼の体調は相当悪かったのでしょうが、さすがにこんなに早く、内田のもとへ旅立つとは考えてはいなかったのではないでしょうか。なお記事で使用している写真は、2枚とも引用記事で使用されたものです。
>ショーケン、裕也さん悼む 「出刃包丁を持って追いかけた」大ゲンカも
2019年3月18日 14時9分スポーツ報知 # 芸能
歌手で俳優の萩原健一(68)が18日、肺炎のため死去したロックミュージシャン・内田裕也さん(享年79)に「非常に残念です。近々、企画書をもって裕也さんと共演することを楽しみにしていましたが、奥様のご不幸があり、タイミングを逃しました。心よりご冥福をお祈りします」と追悼コメントを寄せた。
萩原がザ・テンプターズのボーカルとして活躍していた頃から、内田さんはショーケンの才能を高く評価。仲が良いあまりに大ゲンカの経験もあり、ショーケンはテレビ番組で、81年の「さよなら日劇ウエスタンカーニバル」で「出刃包丁を持って(内田さんを)追いかけた」と告白しつつ「(内田さんは)僕のことをすごくひいきにしてくれます」と感謝していた。