私が中型二輪免許を取得している過程について書いていくつもりですが、その前に私がなぜ自動車免許を取得するにいたったか、という話も書きたいので、前説としてつらつら書いていきます。なおこれは不定期連載としますので、次の記事がいつ発表になるかは現状未定です。
私は子どものころから、基本的に公共交通が好きでした。父が公共交通大好きで自動車嫌いだったということもあるのかもですが(父は、自動車免許を持っていませんでした。母は持っていましたが)、私は車というものにまったくといっていいほど興味がありませんでした。それで、中学生だか高校生のころだかですが、漠然と「運転免許取りたくないなあ」と考えて、自分は運転免許を取らなくても大丈夫な人生を送ろうと考えました。今にしてみれば、なんでそう考えたのかすでにつまびらかでありませんが、つまり自動車が嫌いだったのでしょう。
余談ですが、創価学会の名誉会長の池田大作氏は、やはり若いころ、自分は車を運転する側でなく運転してもらう側になると考えて運転免許を取得しなかったという話を、池田氏以外の人物が書いた何かの本で読んだことがあります。それは彼の出世欲の表れだったのでしょうが、私はそういうものではなく、純粋に車が嫌い、あるいは関心がないというものでした。
それで高校を卒業して、大学に進みました。大学生の時は、免許を取っている人も当然いましたが、私はまったく取得の意志がなく、のんべんだらりと就職活動をしてそれで就職先を決めました。そうしたら、誰だったかに言われました。
「ここに就職するのなら、車の免許は必要だよ」
え、そうだったのと思いました。だったら違うところに就職すればよかった(笑)。さすがに内定を辞退する気はしなかったので、じゃあしょうがないと思い、運転免許を取得することとしました。また、私の祖父(母方。故人。つまらんことを自分の妹に聞きに行って、もらえるはずのお金をもらいそこなった人)が、「Billに、自動車免許を取るように話をしなさい」と娘(私の母)にも言ったりしたので、免許を取らずに逃げるということもできなくなりました。それが、大学を卒業する直前の3月です。
が、この時、私は思いました。
「あれ、わが人生計画が狂ったなあ」
正直私の人生計画(なんて代物でなく、実際には「願望」ですが)なんて、この件に限らず最初から現在にいたるまで(最初「最後」と書いてしまいましたが、まだ私の人生は「最後」ではありません(苦笑))狂いっぱなしですが、あるいはこの時が一番「あれ、おかしいなあ」と思った瞬間かもしれません。いや、間違いなくそうです。
電車や飛行機に乗って移動することこそが、私が希望することであり、車の運転なんてするのもいやだ、タクシーだって乗りたくないと考えていたのですが、まったくそんなことは今後の人生において通用しないことになってしまったのです。ほんと、人生の願望や計画なんて当てになるものではありません。
そんな話はともかく、まずは教習所に通わなければいけません。それでどこの教習所へ行こうかなあと考えて、自宅から一番近い某教習所にしました。これは、もっとも通いやすい教習所だからということで決めたのですが、教習所に入った後、ここはかなり指導の厳しい教習所であると聞かされました。え、そうだったのと私は思い、行く教習所間違えたかなと苦笑しました。金は払い込んでいますから、行くのをやめることはしませんでしたが。
で、私以外の教習生の多数は、高校を卒業した人か大学生で、私のようにそろそろ元大学生になりそうな人やそれを上回る年齢の人はあまり見かけませんでした。
それで私は、オートマチック(AT)限定の免許をとることにしました。私は運動と名のつくものがすべて苦手な人間ですので、MT(マニュアル・トランミッション)を取るのは面倒だと考えたのです。現在は、日本の自動車のほとんどはオートマチック車になったと思いますが、当時は、自家用車はともかく、商売などに使う車は、まだまだMTの車が多い時代でした。これが後々いろいろ問題となりますが、そのことはまた後で書くことにします。
そして私は、教習所に行き、初めて教習車に乗ったのですが・・・。
(つづく)