拓殖大学教授の遠藤浩一(敬称はつける気がしないのでつけません)が急死しました。記事より。
>2014.1.6 05:00
保守派の論客、遠藤浩一氏が死去 大学関係者が明らかに
拓殖大学日本文化研究所所長で産経新聞「正論」メンバーの遠藤浩一(えんどう・こういち)氏が4日、死去したことが分かった。55歳。大学関係者が5日、明らかにした。
4日に新年会に参加した後、体の不調を訴え、その後死去したという。葬儀などの日程は未定。
民社党広報部長などを経て拓殖大学大学院教授に就任。近代日本政治史などを専門に活躍した。2009年にフジサンケイグループ主催の第10回「正論新風賞」を受賞。今月3日付の産経新聞「正論」欄で論文を発表したばかりだった。
記事を読んだ限りでは本当の突然死だったようですね。この人物に敬称はつけませんが、お亡くなりになったのは気の毒ですので、ご冥福をお祈りします。
この遠藤という人は、極右(自称)シンクタンク「国家基本問題研究所」のメンバー(国家基本問題研究所理事)であるくらいで、なかなか気合の入った右翼です。
さてさて、遠藤という人は、何を専攻している人だったのでしょうか。Wikipediaから引用しますと、
>石川県金沢市出身、駒澤大学法学部卒業。
叔父の遠藤欣之助(民社研『改革者』誌を編集)と指導教授だった高橋正則の影響を受け民社党職員となる。党本部では月刊誌委員会編集部長、広報部長等を務めた。反共主義の立場を取り、日本社会党には批判的であった。
(中略)
民社党解党後は、後継組織の民社協会所属候補者の一部を支持している(当人によると西村眞悟以外とは没交渉)。憲法改正案については、同協会作成の改正案が現在のところ最良、としている。現在、井尻千男の後任として拓殖大学日本文化研究所所長を務め公開講座を主宰(毎年講座名は変わるが「日本文明論」が入る)、また同大学院地方政治行政研究科教授として後進の指導にあたっている。文章は歴史的仮名遣で記述する。新しい歴史教科書をつくる会副会長を務めていたが、2006年1月辞任。
この記述によれば、大学卒業後民社党の職員をしていたくらいで、とても研究者としてまともな勉強をしたように思えませんから、明らかに「研究者」「学者」としてでなく、「政治活動家」「右翼活動家」として拓殖大学に採用されたように思います(Wikipediaでの肩書きは、「評論家」)。実際拓殖大学は、これまた民社党職員だった荒木和博を教授に迎えているくらいで、これだって荒木なんぞにまともな学問業績なんか期待はしていないでしょう(Wikipediaでの肩書きは「評論家」「政治活動家」)。実際彼は、彼の仲間たちからでさえ「学者」でなく政治活動家としてみなされているのでは。それは当たり前で、荒木なんかが学者としてまともに扱われたらこれは世も末というものです。さすがに拓殖大学のような右翼の大学でなければ、遠藤や荒木を大学に招聘することもないでしょうが、それにしてもです。
ほかにもNHKの経営委員に抜てきされた百田某の例に見られるように、右翼というのも悪い商売ではなさそうですね。私も生まれ変わったら右翼になろうかな。もっとも産経新聞は大赤字なので、右翼なら金が儲かるというものでもありません。
bogus-simotukareさんの記事を参考にしました。感謝を申し上げます。