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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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勝新太郎の息子は、俳優稼業を続けていなければ、まだ死なないで済んだと思う 

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勝新太郎の息子で、「鴈龍」あるいは「鴈龍太郎」などの芸名で活動していた活動していた奥村雄大が亡くなっていたということが報じられました。記事を。

>勝新太郎、中村玉緒の長男・鴈龍さんが55歳で急死していた

「週刊文春」編集部2019/12/03
source : 週刊文春 2019年12月12日号

 勝新太郎の長男で女優の中村玉緒(80)を母にもつ俳優の鴈龍(がん・りゅう)さんが、11月1日、急性心不全で急死していたことが「週刊文春」の取材で分かった。享年55。

 故若山富三郎の長男で、鴈さんの従兄弟にあたる俳優の若山騎一郎氏が明かす。

「報せを聞いた時は絶句しました。まだ若いし、大きな病気もなかったのに……。悲しいという以前に心の整理がつかず、状況を飲み込めずにいます」

 滞在先の名古屋で急逝し、遺体が発見されるまでに数日間を要した。いわゆる孤独死だったが、事件性はないと見られる。11月29日に近親者だけで葬儀を行い、すでに納骨も済ませているという。

 鴈龍さんが役者の道を志したのは18歳のときだ。勝は「お前は俺の一番弟子だ。息子じゃない」と言って厳しく指導したが、デビュー作「座頭市」(1989年)の撮影中に大惨事を起こしてしまう。

「鴈さんが真剣をあやまって使用したため、殺陣師の俳優が亡くなったのです。勝さんは責任を追及され、鴈さんは謹慎生活を強いられた。追い討ちをかけるように90年に勝さんがコカインをハワイに持ち込んで逮捕されてしまいます」(芸能デスク)

 下咽頭癌を患った勝が壮絶な闘病の末に亡くなったのは1997年6月のこと。告別式で司会を務めた鴈さんは「父の名を辱めないよう、精一杯やらせていただきます」と宣言したが、その後も俳優活動は苦戦。玉緒がテレビ局に頭を下げて回ったが、単発の仕事ばかりだった。

「2017年の舞台を最後に鴈さんは公の場から姿を消し、一時は宝石デザイナーを目指したこともあったが、近頃は何の仕事をしているのか、近しい人も知らなかった」(芸能関係者)

 近年は、母の中村玉緒とも距離をとっていたという。

「玉緒さんを安心させるために、自立の道を模索していた。一方、玉緒さんは常に息子の身を案じ、陰で支援を続けていました」(親族)

 最愛の息子に先立たれた中村玉緒は、ショックのあまりコメントできる状態にないという。

 12月5日(木)発売の「週刊文春」では、父であり師匠の勝新太郎、母・中村玉緒との関係性や、従兄弟である若山騎一郎氏のインタビューなどを詳報している。

この記事では、彼のことを「鴈龍」と表記していますが、たとえば「日刊スポーツ」では、

鴈龍太郎さん死去 勝新太郎さん中村玉緒夫妻の長男

で、「鴈龍太郎」とあるし、また

>名古屋市内の自宅で死去

とあります。上の記事では、名古屋は「滞在先」です。事実上名古屋に自宅を構えていた、っていうことなんですかね? それで「スポーツニッポン」は「鴈龍」で、名古屋は「滞在先」、「デイリースポーツ」は、見出しが

鴈龍太郎さん 死去していた 名古屋の自宅で…勝新太郎さん長男 母・玉緒ショック

となっています。記事によると、

>関係者によると、鴈さんは名古屋で一人暮らしをしていた。

とのことです。

「週刊文春」の記事にもあるように、昨今どうも彼は、あまり周囲と関係を持っていなかったようですね。彼のWikipediaは「鴈龍」であり、

>その後、端役で復帰していたが、1994年3月に勝が演出と主演を務める舞台『不知火検校』(しらぬいけんぎょう)で本格的に復帰する。その際、母方の祖父である二代目中村鴈治郎から1字を貰い受けて姓を「鴈」、辰年生まれ・長男であることから名を「龍太郎」とし、芸名を「鴈龍太郎」に改名した。後に「鴈龍」に改名した。

>芸名を鴈龍太郎に戻して2017年まで舞台で活動していたが

とあります。このあたり、つまりマスコミですら、彼の芸名をどう表記するかといった基本的な問題も定まっていなかったわけで、いかに彼が、これといった活躍ができなかったかがうかがえるというものです。

それで、彼を語るうえでやはり外せないのが、上の記事でも紹介されている『座頭市』(1989年)での過失致死事件でしょう。映画のWikipediaによれば、

>殺陣のリハーサル中、五右衛門役の奥村雄大の持っていた日本刀(真剣)が子分役の俳優の首に刺さり死亡する事故が起きてしまう。奥村に真剣を持たせたのは助監督で、時代劇経験のない、急遽集められたスタッフの一人だった。「真剣の使用における安全管理の問題」「重大事故の発生にもかかわらず撮影を続行する製作姿勢」などが問題視され、一大スキャンダルとして報道された。なお、奥村は勝の長男で、本作が映画デビュー作であった。

とのことで、それが事実なら彼は気の毒ですが、しかし正直、この時で俳優をやめて違う人生を送ったほうが、たぶん彼にとってはよかったような気がしますね。芸能一家で、母親といい、芸名をもらった母型の祖父である中村鴈次郎といい、すごい役者がそろっている家の出身ではあっても、彼自身はやはり芸能界で生きていけるだけの能力がなかったのでしょう。そして一応不問に付されたとはいえ、「座頭市」の事件は、彼の役者人生にきわめて暗い影を落としたし、そしてそれを払しょくすることは全くできませんでした。あるいは、父親の勝が亡くなった時点でやはり芸能界からフェイドアウトするのがよかったのでしょうが、いまさら他の世界に転身はできないと考えたのでしょうか。そのあたりはご当人でなければうかがえない世界ではありますが、おそらく彼は、俳優稼業をやめて違うことで生計を立てていれば、たぶん今年の11月1日ごろに名古屋で孤独死をする運命にはならなかったのだろうなと思います。そういうことを言うと身もふたもないというレベルですが、ほぼ間違いなくそうでしょう。気の毒ですが。

市川雷蔵(彼も、亡くなって今年で50年です)の息子は、長きにわたって銀座でカフェを営業していたそうですが(すでに閉店)、雷蔵が長生きしたとして子どもに役者の道を進ませたかはもちろんわかりませんが、理由はともかく勝新太郎の息子は、役者に進んだのが文字通り致命的にまずかったと思います。いや、その道から転身すればよかったのですが、それを彼はこれも理由はともかくできませんでした。彼にも、親、伯父(若山富三郎)、祖父その他への思いがあり、そうおいそれと役者の道をあきらめるわけにもいかないところもあったのでしょうが、彼からすればあまりに過酷で、しかも将来が見通せないものだったのだろうなと思います。とても気の毒です。

奥村雄大さんのご冥福を祈って、この記事を終えます。


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