本日は、違う記事を発表するつもりでしたが、やはりこの件を記事にしないわけにはいかないので、表題の記事を書きます。また「映画」のカテゴリーではないかもですが、広い意味で映画やテレビで活躍した人という意味で、こちらのカテゴリーに。「映画」カテゴリーの記事数を増やしたいという理由もあります。
>コメディアンの志村けんさん死去 新型コロナ感染で肺炎発症
2020年3月30日 9時48分
新型コロナウイルスに感染して肺炎を発症し、入院して治療を受けていたコメディアンの志村けんさんが、29日、東京都内の病院で亡くなりました。70歳でした。
志村けんさんは、3月17日にけん怠感などの症状が出たあと、東京都内の病院に搬送されて重度の肺炎と診断されて入院し、25日に所属事務所が新型コロナウイルスへの感染を公表しました。
その後も入院して治療が続けられていましたが、関係者によりますと29日夜、東京都内の病院で亡くなったということです。
志村さんは昭和25年に東京 東村山市で生まれ、高校時代に、いかりや長介さんをリーダーとする人気コミックバンド「ザ・ドリフターズ」の付き人となり、昭和49年に正式なメンバーとなりました。民放の公開バラエティー番組「8時だョ!全員集合」では、持ちネタの「東村山音頭」や、チョビひげ姿で加藤茶さんと踊る「ヒゲダンス」などを披露し、一躍人気メンバーとなりました。
その後も、自身の冠番組で「バカ殿様」や「変なおじさん」などの個性的なキャラクターを生み出し、「アイーン」や「だっふんだ」などのギャグは世代を超えて親しまれてきました。長年にわたってテレビのタレントとして活躍する一方、平成18年からは自身が座長を務める舞台の公演を続け、コントのほか三味線の演奏を披露するなど、幅広い活動を続けてきました。
志村さんは、70歳を迎えたあともバラエティー番組の司会を務めるなど、精力的に活動していましたが、新型コロナウイルスに感染して肺炎を発症し、29日夜、東京都内の病院で亡くなりました。70歳でした。
私が彼の死を知ったのは、10時30分のちょっと前くらいだったと思います。昨日(3月30日)は仕事が休みだったので、自宅近辺の某ファミリーレストランで、ドリンクバーを頼んで本を読んだり買い物や飲食のレシートを整理していたりしていたのですが、iPhoneでニュースを観ていたら志村けんの顔写真がいきなり出てきたので、これはまずいかなと思ったら、やはり死去を伝えるニュースでした。引用したのはNHKの報道のウェブアーカイヴでして、発表が9時48分ですからこれが最初かそれに近い報道ですかね。私の感想を書きますと、ずいぶん早いな・・・です。マスコミの報道も、回復に向かっているという報道もありましたが、重篤な容体ではないかという報道もあり、個人的には正直「やばいかもな・・・」という気もしていたのですが、それにしてもやはり早かったな、です。
山田洋次も、もう少し健康に留意してほしかったという趣旨のコメントを発表していましたが、志村は最近は禁煙していたようですが元ヘヴィースモーカーであり、また酒も現役の大酒飲みだったとのことです。1950年生まれの彼くらいの世代は、酒については体質的に飲めない人もいますから必ずしもそうでもないかもですが、特に煙草は、成人男性なら煙草くらい吸わなければ一人前じゃないくらいのところがあったような時代だったと思いますので、彼は体を壊さないければ煙草をやめられなかったのでしょう。それは正直残念です。彼が今回新型コロナウイルスによる肺炎にやられてしまったのも、やはり若かりし頃からの大量の喫煙が災いしたことは否めません。なお山田洋次監督の、志村けんの死去についてのコメントを、以下に引用します。出典は、こちらのサイトより。
>「『キネマの神様』の出演辞退でがっかりしていたぼくにとって、言葉を失うほどの衝撃です。志村けんさんは日本の喜劇の世界の宝でした。その存在がどれほど貴重だったかを、彼が少しでも自覚して健康に留意してくれていたら、と彼の早死が口惜しく、残念で残念で仕方ありません」。
なにしろ志村けんというと、好き嫌いを超越して、日本人なら誰でもそれなり彼の芸を観てきていたという知名度の持ち主でしたからね。それもすごいし、また彼の場合、ほんと生涯コメディアンでした。これは本当にすごいですね。どうしてもコメディアン、漫才、その他もそうでしょうが、大成功して大御所になると、バラエティ番組やトーク番組など、司会業にシフトします。ビートたけししかりタモリしかり明石家さんましかり。ここで名前を出したのは、世にいう「お笑いBIG3」ですが、現在引退していますが、島田紳助などもそうでしょう。そちらのほうがテレビ局なども使いやすいし、また本人の負担も軽い。
ところが志村は、『天才!志村どうぶつ園』などもありましたが、基本的にコメディアンとしての活動が中心で、俳優活動も、映画出演はザ・ドリフターズの映画をのぞくと、高倉健直々の出演依頼があったという『鉄道員(ぽっぽや)』くらいであり(あと若干声優活動があるといいます)、テレビドラマの出演も、昨日(3月30日)初回のNHK朝の連続テレビ小説『エール』が初出演だったくらいです(志村の登場は、4月末からとのこと)。上でご紹介した山田洋次監督の『キネマの神様』への出演と、その出演辞退が報じられましたが、これがまさに『鉄道員(ぽっぽや)』以来の映画出演になるはずでした。
志村からするとトークが苦手とかいろいろ理由はあったのでしょうが、そう考えると「コメディアン、お笑いタレントバカ一代」(この「バカ」とは、もちろん馬鹿にしているわけではありません。尊敬しているのです。念のため)といってもあながち間違ってはいないかなと思います。
ところで偶然ですが、志村より先に亡くなったドリフのメンバーで、荒井注が亡くなったのが71歳、いかりや長介も72歳で、だいたい志村と同じ年齢です。突然死だった荒井、がんだったいかりやと死因は違いますが、70歳の志村は、だいぶこのお2人より若いイメージがあったと思います。俳優として成功した2人と違って、一般の俳優としてあまり活動しなかったなど芸能人としてのベクトルがだいぶ違っていたのも確かだし、また1928年生まれの荒井と1931年生まれのいかりやらと、1950年生まれの志村ではやはり世代と時代が違ったということも言えたと思います。荒井やいかりやの時代の70歳と志村の時代(まさに「現在」です)の70歳とでは、年齢の座標軸が根本的に異なっていたのでしょう。そう考えると改めて若くしてお亡くなりになったのだなと思います。志村けんさんのご冥福を祈ってこの記事を終えます。なお一番上の写真の本は、2002年の発売です。