いよいよ本日で安倍政権は終わりですね。次が菅政権で安倍路線継承とのことですが、菅という人は、安倍ほど右翼や産経新聞の受けがいいわけでもないので、とりあえず安倍極右路線は1つの終わりをむかえたと思います。
私としては、安倍自民が2012年の選挙で勝って安倍が首相になった時、3年で安倍が首相を辞任すればいいなと考えていました。3年というのは、次の自民党総裁選で安倍が総裁からおりるということです。ということは、次の衆議院選挙で安倍自民・公明の連立与党が議席を減らすことでそうなればと考えていたのですが、これはだめでした。2015年の選挙では、自民党が5つ票を減らしましたが、公明党が5つ増やし与党は議席の増減なし。定数が5つ減ったので、実質与党は議席を増やしました。この時から、2017年の選挙までは、改憲の危険などもいろいろありましたが、結果的には安倍は、この時期に改憲については勝負をかけないとだめでしたね。そしてこの時期になると、河野談話破棄とかも現実的には無理であり、靖国神社参拝も、2013年12月に1度したのみで、再度の参拝も難しくなってきました。で、このころには、安倍の取り巻き、たとえば櫻井よしこといった人たちも、改憲はともかく河野談話破棄とか靖国参拝とかは、あまり口にしなくなったとおもいます。
それでやはり、2017年の衆議院選挙以降は、安倍はどうも元気がなかったですね。前にもご紹介しましたが、この選挙のあった2017年の初頭に、櫻井よしこが次のようなことを書いています。
>「 天皇陛下の譲位、総選挙、憲法改正 国政は今秋から大仕事がめじろ押し 」
『週刊ダイヤモンド』 2017年1月14日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1165
国政は今年秋から再来年の平成31(2019)年までが大仕事を成し遂げる年だと、安倍晋三首相に最も信頼されている記者の1人は語る。天皇陛下のご譲位、総選挙、憲法改正案の発議と国民投票などがこの間になされるとの読みだ。
これは昨年12月30日、「言論テレビ」の番組で、「産経新聞」の名物記者、政治部長にして黒シャツ姿で知られる石橋文登氏が語ったものだ。
今年1月とみられていた総選挙はもはやないが、その後の政治日程を見ると、総選挙を打てるのは今年秋に限られると強調する。理由は、平成31年は参議院選挙、32年は2020年で東京五輪、33年は安倍首相が任期を3期務めるとしてその最後の年になる。以上を考え合わせて首相の大目的である憲法改正を念頭に置けば、総選挙は今年秋にしか打てないという。
(中略)
石橋氏は、安倍首相は極めて現実的だと強調する。
「大目標がはっきりしている人で、それ以外のことは妥協も構わない。今だから言いますが、郵政民営化のとき、衛藤晟一、平沼赳夫、古屋圭司各氏ら、もともと安倍さんと非常に親しい人材が亀井(静香)さんに乗せられ反対し、小泉政権をつぶそうとした。安倍さんが最後の段階で彼らに言ったのは、郵政なんかよりもっと大きな目標がある。自分たちが政治家としてやろうとしているのは憲法改正、安全保障などじゃないかということでした」
石橋の発言ですが、いくら産経新聞とはいえ、また「言論テレビ」なんていう極右メディアで櫻井よしこ相手とはいえ、全国紙の政治部長(当時)が話したり、それを自称ジャーナリスト(櫻井は、現在では完全に極右政治活動家でしょう)が肯定的に引用するような話じゃないでしょうに(苦笑、呆れ)。安倍の後援会とかがこういう話を流すのならまだわかりますが(ていうか、安倍の後援会だって、馬鹿らしくてこんな話はまともな人間ならしないでしょう)、いくらなんだって、石橋も櫻井も、直接の安倍応援団では、建前ではさすがにない。まったく非常識極まりない(苦笑)。ついでながらbogus-simotukareさんは、
>恐らく安倍はそんな事は一言も言ってないでしょう。「安倍氏は先見の明があった」という後の自慢話(おそらく石橋の作り話)でしかない。まあ、仮に言ったのだとしても「今は安倍の子分」である衛藤や古屋と言った連中はそれを当時無視し、亀井や平沼と行動を共にしたのだからそんな事が事実だとしても「当時、亀井や平沼と比べて、いかに安倍の政治力や人望がなかったか」という恥さらしにしかならないのですが、よしこや石橋はそうは思わないようです(苦笑)。
と論評しています。
これは余談ですが、この時点での石橋の発言や櫻井の記事から推測するに、たぶん右翼の界隈でも、安倍はあんまり(連中が期待するほどには)動いてくれていないという不満があったのでしょう。そのために石橋や櫻井はこのようなことを主張して安倍をかばうと。ほんとどうしようもない馬鹿でクズです(笑)。
が、それはともかくとして、たしかに石橋の予想通り2017年の秋に選挙があったわけです。それで与党は、2/3の議席数を確保したのですが、どうも改憲についてはきわめて感触がよくないという判断になったようですね。石橋の言うように、改憲をするのなら、2017年からでも大忙しですが、明らかに安倍は、それに積極的でありませんでした。実際河野談話破棄や靖国参拝は、この時点でほぼ無理という判断をしていたようだし、2018年からの自民党総裁3期目は、私が繰り返し指摘しているように、正直やるほどの成果はなかったといっていいでしょう。産経も2019年初めに、どうも改憲はいよいよ苦しくなったなというニュアンスの記事を発表しだしています。
産経新聞も、安倍や自民党の改憲に対する姿勢には相当の不満があるようだそれで2019年の参議院選挙も、自民党は勝利したとはいえ、改憲勢力2/3を下回りました。それなら国民民主党を切り崩して2/3確保だなんていう元気も、この時点では自民党も産経新聞もありませんでした。安倍も、この時期以降は、改憲は、自民党大会の演説や憲法記念日での改憲派の集会におけるメッセージのようなものでしか触れなかったように思います。
安倍や産経を、こと改憲について元気をなくさせたのは、国民も自民党の議員らも、改憲に興味がないのが明らかだったからということでしょうが、実際安倍としては、改憲を選挙の際にはフロントに出さずに選挙に勝って、それで改憲手続きを強引に進めたいという思惑があったのでしょうが、それもうまくいきませんでした。
そうこう考えていくと、けっきょく昨日の記事と同じ話になりますね。安倍は、改憲ほかについて、これといった道筋も作らなかったし、次なる首相ほかに期待するというものでもない態度です。どうも安倍は、改憲で世間が盛り上がっているところに改憲案を提示して国民投票まで持っていく、ということを望んでいて、国民が改憲に興味がないところを何とか改憲機運を盛り上げる、ということはしたくなかったようですね。彼は、国民に対していかに改憲が必要かということを懇切丁寧に説得するなどということはしませんでした。自衛隊員の子どもがどうしたこうしたとかいう馬鹿な話はしましたが。どうも、第1次政権の際の2007年に、かなりむりやりいわゆる国民投票法を国会で通過させたことが、想像以上にまずかったという認識でいるのかもですね。あれは非常に評判が悪かった。事実安倍は、第2次安倍政権下で6回国政選挙に勝ったとされますが、改憲を最大の争点にして選挙を戦うことはありませんでした。公約の1つの扱い以上のものではなかった。それでいて安倍は、自分のかわりに改憲をやってくれそうな後継者を育成することもなかった。改憲は、たぶん自分しかしないしできないという自負が安倍にはあったのでしょうが、おそらくですが、首相に復帰してからそんなに経っていない時点で、改憲は難しいという結論に達してたのではないか。
それで、安倍が改憲のためにしゃにむに動くということを阻止したという点で、これは護憲派もよくやったと思います。幸い、安倍のブレーン、仲間である改憲派の連中が、きわめて質が悪かったということもありますが(だから小林節慶應義塾大学名誉教授のような本来改憲派である人物が、共産党の応援をするというような事態も生じたわけです)、護憲・改憲のどちらにも就く可能性のある層に、あまり改憲を魅力的なものと感じさせなかったのは、護憲派の努力も大きいでしょう。そういった人たちはあまり憲法関係の本など読まないのでしょうが、書店に並ぶ憲法の本も、護憲の本のほうが多く、改憲の本は、著者、出版社ともに、護憲の本よりだいぶいかがわしいというか、通俗的、質が悪いイメージがぬぐえませんでした。
ともかく総合的に状況を考えると、改憲については私もそこまで楽観的にはなりませんが、河野談話については、ほぼ破棄は不能という次元に到達したんじゃないんですかね。安倍はほぼなにもできませんでした。靖国神社の首相参拝も、安倍でこうならこれからの首相はますます難しいでしょう。これは、小泉純一郎のような先例もいるので、ほぼ不能とは言いません。
もちろん集団的自衛権などいろいろ問題もありますが、現段階ではそう悪くもないかなというのが私の認識です。問題点、反省点をいろいろ考えなければいけませんが、内閣支持率などで相当悔しい思いをしながらも、安倍にそうそうは決定的なことをさせないようにできた(もちろんすべてではありません)のは、アンチ安倍である私(たち)にとっては、「よくやった」というものだと考えます。過度に楽観的になってはいけませんが、過度に悲観的にある必要もない。成果は成果として、それ相応に評価すべきだと思います。