>「平成の怪物」松坂大輔 現役引退を発表
2021年7月7日 15時57分
「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔投手。
プロ野球・西武は、甲子園で活躍し日米通算170勝をあげた松坂投手が今シーズンかぎりで現役を引退すると発表しました。
「伝説の延長17回」「リベンジする」「自信から確信に変わりました」など数々の名勝負とことばを残し、球界を盛り上げました。
松坂投手は東京都出身の40歳。1998年に横浜高校のエースとして甲子園で春夏連覇を達成し「平成の怪物」と呼ばれました。
ドラフト1位で西武に入団し、1年目から3年連続の最多勝など数々のタイトルを獲得しました。
2007年からは大リーグ・レッドソックスなどでプレーし、ワールドシリーズで日本投手として初めて勝利投手となりました。
この間、日本代表のエースとして2回のオリンピックへの出場、そしてWBC=ワールド・ベースボール・クラシックでは1回目と2回目の日本の優勝に貢献し2大会連続でMVPに輝きました。
その後、日本球界に復帰しソフトバンクでは勝ち星をあげることはできませんでしたが、中日では2018年に日本でおよそ12年ぶりとなる勝利をあげるなど6勝をマークし「カムバック賞」を受賞しました。
松坂投手は昨シーズン古巣の西武に14年ぶりに復帰しましたが、首の痛みや右手にしびれが出たため、去年7月にけい椎への圧迫を軽くするための内視鏡手術を受けました。
その後は再起をかけて2軍で調整していましたが、公式戦での登板はありませんでした。
そして球団は7日、松坂投手が今シーズンかぎりで現役を引退すると発表しました。
松坂投手は日米通算で23年間プレーし、プロ野球で114勝、大リーグで56勝の合わせて170勝をあげました。
松坂投手の現役引退について、西武の渡辺久信ゼネラルマネージャーは球団を通じてコメントを発表し「『メットライフドームで勝利する』ということを目標に厳しいリハビリに耐えながらここまでやってきました。ファンに自身の姿を見せることができていない日が続き、体調面もなかなか向上せず、ずっと苦しい思いをしてきたと思います。大輔は現在、体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況です。今は双方の回復に専念をさせていただきたく、ぜひ皆様には彼のことを引き続き、温かく見守っていただけますと幸いです」と述べています。
球団では今後、松坂投手の会見を予定していますが、時期は未定だということです。
(後略)
上の記事にもありますように、松坂は2018年に6勝をあげましたが、それからはほぼ戦力になりませんでした。それで、今回の松坂の引退の引き金になったのではと噂される記事がこちら。記事では、
>スポーツ紙の番記者は、「高知での二軍キャンプに参加した際には、軽めのキャッチボールやダッシュ、ティー打撃などをこなしていた。ただ、ふっくらした体型で二重あごになっており、絞れていないことは明らかでした」と振り返る。
松井稼頭央二軍監督は松坂を「全面的にサポートしていく」と明言しており、復帰を待ちわびているのだが、「実は、少なくともシーズンが開幕してからは、球団関係者も二軍施設で松坂の姿を見ておらず、“行方不明”の状態になっている。今は一軍首脳陣も、松坂がどこでどんなトレーニングをしているのか知らないそうです」(前出・記者)
(中略)
だが、球団OBは「手本と言っても、ほとんど球場にいないんじゃ、どうにもならない」と苦笑いする。「それなら18年オフに巨人からFA移籍の人的補償で来た内海哲也の方がよほど貢献している。昨年はケガからの復活勝利を遂げたし、オフに有望な若手を連れて自主トレするなど教育役としても熱心です」(同前)
松坂は今季、推定年俸2000万円の1年契約。「球団内では『いかに功労者でも支配下登録枠を使うのがもったいない』という声まで上がっている」と前出の記者。「このままならクビが基本線。よくて育成契約に切り替え、来年中に引退試合の興行を打つというシナリオもあり得ます」(同前)。
とかなり辛辣に松坂を表しています。残念ながらそういわれても仕方ない成績、実績です。
松坂としては、出身球団に最後のご奉公をしたいという気があったのでしょうし、また西部球団も「松坂に死に場所を与えよう」みたいな考えがあったはず。そう考えるとやはり2018年のシーズン終了をもって彼は、野球を引退した方がよかったのでしょうね。
松坂は、日本プロ野球(NPB)で114勝、MLBで56勝しましたが、1999年~2009年で145勝、30歳になってからの2010年~2021年のあいだは25勝しかできませんでした。2010年にボストン・レッドソックスで9勝したのが最後の輝きでしたかね。そう考えると典型的な早熟な人、しかし本来円熟して行くべき時期にぱっとしなかったというのが現実だったということでしょうか。これには、高校までに無茶な投げ込みをしたとか、WBCとかで無理な登板をしたとか、いろいろあったのでしょうが、やはり彼は、30歳以降の自分にだいぶモヤモヤしていたものがあったのでしょうね。もう少しやり遂げた気持ちがあれば、多分もう引退していたのではないか。そしてしまいには、
>ふっくらした体型で二重あごになっており、絞れていないことは明らか
>球団内では『いかに功労者でも支配下登録枠を使うのがもったいない
>このままならクビが基本線
とまで書かれて、それが多分最終的な引退への引導となったというのは、正直まさに一世を風靡したといっていい野球選手としてはやはり残念ですね。私は野球を好きでありませんが、しかしそんな私でもそれ相応にその動向を知っているくらい知名度の高い人物なのだから、もう少しふさわしいタイミングで引退した方がよかったかなと思います。
また正直松坂は、交通違反の関係で球団幹部(黒岩彰氏)が代わりに警察へ出頭したり(しかし取材中の写真週刊誌に書かれてしまいばれる)、中日時代に2軍の練習日に「リハビリ」と称して日本テレビアナウンサーの上重聡(PL学園高校で、松坂と投げ合いました)とゴルフにいったりと、やや「どうもなあ」の部分があったのも事実です。特にゴルフの件などは、上重のほうが「まずいぞ」と注意するようなものですが。松坂の名前の元となった荒木大輔氏は、松坂の西武時代にコーチをしていて松坂を指導していましたが、
>「すごくいい時間を過ごさせてもらった半面、彼の悪い面が気になって気になってしょうがなくて。かなり厳しく言ってきたつもりだけど、どこまで響いたか分からないけど」と笑い「茶髪だったりね。服装なり、時間のルーズさであったり、挙げればきりないほど悪いやつなんで。ただこと野球に関してはもうしっかりやれる子だった」と懐かしんだ。
と語っているくらいで、荒木氏のいう「悪い」というのは、上の部分のようなこともあるのでしょう。
ともかく「お疲れ様でした」と書いてこの記事を終えます。