なんで野村克也には敬称がついていなくて、佐藤忠志氏には敬称がついているんだよと思う方もいるかもですが、これは佐藤氏の死に方があまりにひどいことによる「商人の情け(私は、商人の末裔なので)」によるものと解釈していただければ幸いです。
前にこんな記事を書きました。
発達障害、精神障害の可能性のある有名人はかなりいるようだ(映画やドラマの登場人物にも、それをうかがわせるキャラクター多し)そこで、野村克也の浪費家ぶりについてWikipediaから引用しました。現在では記述が変わっているのかもですが、その当時の引用をそのまま再引用します。(注釈の番号は削除。以下同じ)
>幼少時代からの極貧生活の反動で、一流選手になってからは金遣いが非常に荒かった。超一流ブランドの衣服、時計、装飾品を毎週のように買い込み、スーツは250着、ネクタイはその倍をいっていたという。沙知代夫人と初めて出会ったときもジバンシーのシャツだった。前妻のもとを離れ、沙知代夫人と同居する時も、トラックに衣服を詰め込んでやってきたという。車は決まって外国車(現役時代はリンカーン・コンチネンタル。野村は運転しないので、夫人が運転手を務めた)。「贅沢だと思われるけど、下取りを考えても国産と比べても、大差ない」というのが持論だった。現在は、ヴェルサーチのネクタイと時計の収集が趣味で、ネクタイはヴェルサーチだけで合計411本、時計は1996年に現役時代から収集してきたものを泥棒に全て盗まれてしまったが、その後数千万円の時計がおおよそ15本ある。
それで、佐藤氏は、ややスケールは小さいかもですが、こんなところです。
>バブル期に一世を風靡し、最盛期には年間2億円とも言われる収入を得ていた佐藤さん
>毎日のように高級ホテルで食事をし、地方への移動も常にファーストクラスだった
>金遣いの荒さは「金ピカ先生」の異名どおりだった佐藤さん
>誰かとご飯を食べるときはいつも先生の奢りなので、奥さんの鞄には100万円の束が入っていた。
>近所の飲食店に行くにもタクシーを利用するような佐藤さんの暮らしぶり
>「死ぬまで住み続けていい」という条件のもと、知人に自宅を売り払い、そのカネで高級外車を買おうとした
なお亡くなる前年の「スポーツ報知」の取材で佐藤氏が語ったところによると、
>妻との喧嘩の原因の1つが、趣味の車だった。CMC社のティファニークラシックを「人生最後の愛車に」と購入した。
「1億。めったにないですよ。日本で1台しかない車ですから。米国で1億3000万って言っていたのに、目の前で1億積んだらOKというのでね」
とのことで、その1億円は、家を売って得た金のわけです。それでそんなものを買って、奥さんから逃げられたばかりか、数年後に近所に金を恵んでもらう立場になって生活保護受給者になり、孤独死(困窮死)するかです。これでは、文字通り「馬鹿は死ななきゃ治らない」というレベルではないか。
それで佐藤氏のこの狂気じみた散財ぶりの原因は、多分彼が、ある時期非常識に高い収入があったからでしょう。それで金銭感覚が完全に狂ったのでしょう。そしてそれは、野村も同じようなところがないか。彼も、上のWikipediaの引用からすると、完全な浪費癖、病的な散財の人物でしょう。
で、なんで佐藤氏は、孤独死・困窮死して、野村はそれは免れたかというと、これはけっきょく配偶者のおかげだと思います。野村のほうが、佐藤氏より継続的に大きな収入があったのは確かでしょうが、野村沙知代が現金・預金を強力に管理していたのが大きかったのではないか。これも前記事からの再引用ですが、
>沙知代夫人と再婚してからは、夫人が一切現預金を管理しているため、現金を持たせてもらえず、クレジットカードだけ持たされていた。ある日、一流ブランド店に行った時、服や宝飾品、時計を眺めていると、店員に言葉巧みに買わされてしまった。そこで、「監督、(クレジットの明細書に)サインして」と言われ、かつクレジットカードの仕組みが分からず、「カードを見せてサインしただけで、なんで商品をくれるんだろう」と思っていたという。おまけに、クレジット明細が沙知代夫人の元に届くことを知らず、いつ、どこで、何を、いくら買ったかが全てバレてしまい、夫人から追及され、「オレの後をつけて来てるやろ、嫌らしい女やな」と言ったという。キャッシュカードで現金を引き出す際に暗証番号が必要であることも知らず、「選手がやるとお金がジャージャー出てくるのに、自分がやるとなぜ出来ないのが不思議だった』という。
当時の(元)野球選手が、現在の選手よりはだいぶ浮世離れした人が多いというのは事実かと思いますが、たぶんですが、野村沙知代が野村の金使いの荒さに辟易し、ここは自分が徹底的に管理しなければいけないと考えたという側面が大きくないか。そして野村の、沙知代への世間一般からすれば明らかに過剰と思われる依存心も、野村のそのような発達障害と不可分の個性が大きく影響をしているのではないかと思います。
佐藤氏の夫人は、野村沙知代などとちがって夫をたてる女性だったようですが、残念ながら佐藤氏には、そんな「良識」(?)は通用しなかったわけです。上の「スポーツ報知」の記事では、
>女房のやつがね。私が暴力ふるったとウソの110番して、警官が6人きて、11日間、留置されましたよ。戻ってきたらいなかったんです。犬連れて。まあ、ほっぽっときますけどね。もう女房に未練ないし
(中略)
妻との喧嘩の原因の1つが、趣味の車だった。CMC社のティファニークラシックを「人生最後の愛車に」と購入した。
(中略)
ちょうどその時期の自身のフェイスブックに「糞ばばに入院中に解約された。私の趣味は日本刀と車。(中略)もう私には趣味は無い。生きる甲斐、目標が無い。(中略)自殺では妻の世間体が悪い」などと記し、その後、更新をストップ。安否を心配する書き込みなどは放置されたまま。妻をのろけることもあったブログもやめてしまっている。
趣味の暴走は、熟年夫婦の亀裂になった。
「女房が反対したからですよ。勝手にキャンセルしちゃったんです。結局? 買いました。大きなケンカに? 私から車を取り上げよう、取り上げようとするから…」
いや・・・そりゃ誰だって反対するでしょう。反対しなかったら、それはどうかです。車のセールスマン以外で「ぜひ購入を」なんていう人がいるのか(呆れ)。
佐藤氏はDVを否定していますが、11日留置されたということは、送検もされたし、それなりの重大案件と警察も検察も考えたということでしょう。それでですよ、その後この人がまともな人生を送っていればいいですよ。現実には、何回もお見せしている写真をまたまたご紹介すれば、
これですからねえ。「スポーツ報知」取材時の写真もついでに紹介。
2019年の9月に亡くなって(死の直前の写真は、8月撮影とのこと)、上の写真の撮影がたぶん18年の6月ですから、たった1年2か月くらいでこの惨憺たる有様になったわけです。しかしどうも奥さんへのDVもあったらしいし、とても彼に同情するわけにはいきませんね。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉をもじれば、彼の発達障害などの精神疾患を憎んでも彼自身は憎まずということなのかもですが、そう考えると野村の奥さんの厳しい態度も、そう悪いものでもなかったのかもですね。多分ですが、野村もそういったことを認識したうえで奥さんに依存していたのではないか。けっきょく奥さんの違いで、この似たり寄ったりの2人の人物の人生は、大きな違いとなったわけです。
ところで「スポーツ報知」の、佐藤氏追悼の記事の中で、
> 記事にすることを一瞬ためらった。それでも、ありのままの「今」の姿を伝えることで、かつての金ピカ先生にお世話になった生徒さんたちが心配してまた集まってくるような、そんな思いも込めてインタビューをまとめた。「お座敷」と呼んでいたテレビ出演も、近況報道がきっかけになってオファーがあればと思っていたが、その後、先生のその後が伝わってくることはなかった。
とありまして、「ちょっとなあ」と思いました。テレビ出演オファーとありますが、ご当人否定しているとはいえ、DVで11日も拘留された人物を、テレビ局があらためて出演のオファーをすることはないでしょう。たぶんこの記事を書いた記者(佐々木良機氏の署名あり)も、本気で書いているわけではない、あるいは「あわよくば」というところでしょうが、DVは論外としても、遺憾ながらこの時点で佐藤氏は、とてもテレビ出演などができるような状況ではないでしょう。対外的にも、ご自身としてもです。上の写真を見ても、今時煙草をくゆらすポーズなんてのがはやるわけもありませんが、目なども「うつろ」とまではいわずとも、やはり元気を感じませんね。紹介記事でも、
>目ヂカラがしかし、失われているようにも見えた。
とあります。
それでこれが夫婦そろって野村克也や佐藤忠志氏のような人物ですと、さらに事態がひどくなりえます。これまた私が何回もご紹介する夕張保険金殺人事件では、
>そのような状況を一変させたのが、1981年(昭和56年)10月に発生した北炭夕張新炭鉱ガス突出事故である。この時も、服役中のHに代わって妻が会社を経営していたが、H班が現場に派遣していた作業員7人が事故で死亡し、作業員にかけられていた多額の死亡保険金が会社に振り込まれた。作業員の遺族に支払われた分を除いても、H夫婦の手元に残った金は1億円以上に上ったという。思いがけず大金を手にしたH夫婦は、Hが刑務所から戻った後、夕張市南部青葉町の夕張川を望む地に白亜2階建ての自宅兼事務所を新築。子供たちにポニーを買い与えたりするほか、妻が経営するスナックの改装やアクセサリー店・ダイエット食品店の開業、さらに高級車リンカーンをはじめとする数々の奢侈品を買いあさるなど浪費を重ね、わずか2年足らずで保険金を使い果たしてしまった。
もともと1970年代から閉山が相次いでいた夕張の炭鉱業が、新炭鉱での事故をきっかけに急速に衰退したこともあり、多額の借金を負った夫婦の生活は困窮した。そこで、夫婦は札幌で新たにデートクラブを開業しようと考え、そのための資金を得る目的で保険金詐欺の計画を立案するに至る。
事件の経緯
1984年(昭和59年)5月5日午後10時50分ごろ、夕張市鹿島栄町1、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の旧大夕張駅前の栄町商店街にあったH興業の作業員宿舎(旧鹿島旅館)から出火し建物全焼。宿舎内にいた作業員4人、住み込みの寮母の長女(当時13歳)と長男(同11歳)が焼死、消火活動をしていた消防士1人も宿舎の崩壊に巻き込まれて殉職する事態となった。また、火災の現場から逃げようとして2階から飛び降りた作業員のI(当時24歳)が両足骨折の重傷を負い、病院に搬送された。
夕張警察署と夕張市消防局の現場検証の結果、この日は作業員の入寮を祝う宴会が夜10時ごろまで行われており、その際のジンギスカン鍋に使った焼き肉プレートか石油ストーブの不始末が火災の原因と認定された。保険会社はこの認定に基づき、全焼した宿舎にかけられていた火災保険金および死亡した作業員4人にかけられていた死亡保険金の合計1億3,800万円をH夫婦に支払った。これにより再び多額の保険金を得たH夫婦であったが、夫婦はこれらの保険金も1か月ほどでほとんど使い果たしたという。
というわけです。デートクラブの開店費用の資金で、1か月で1億円以上使うということもないでしょうから、無目的に浪費したのでしょうが、どんだけてめえら馬鹿でクズでキチガイなんだよとは思います。そもそもこの夫婦にデートクラブなんか開業したり運営したりする才覚なんかあるわけもないのですが、そういう認識もなかったんですかね。けっきょく2人とも1審で死刑、昭和天皇が死ぬことによる恩赦を期待して控訴を取り下げますが、恩赦はなく、夫のほうが裁判の再開の申し立てをしますが却下、2人そろって仲良く同日に死刑を執行される始末です。夫のほうが最初、奥さんが後の執行でした。これも、夫婦が2人とも野村や佐藤氏のような人間だからここまで馬鹿なことをしたのでしょう。どっちかがまともならさすがに夫婦2人そろって死刑になることはないでしょう。これもまさに、馬鹿は死ななきゃ治らないのたぐいです。佐藤氏は、孤独死(困窮死)、この夫婦は死刑執行されたのだから、文字通り自分たちの愚行のために死んじゃったわけで、お話にもなりません。
いやー、そう考えてみると、やはり配偶者は重要ですね。野村克也にとって野村沙知代は確かに、世間一般の通念と違い最高の配偶者だったし、沙知代よりははるかにまともな人間である佐藤氏の奥さんは、佐藤氏の暴走を止めることができなかったのです。2人そろって異常な人物である夫婦は、ついに夫婦そろって死刑になってしまった。たぶんですが、結婚しなければ、2人とも死刑とまではいかなかったのではないか。これは極端な事例ですが、それにしたってあまりにひどく共鳴してしまった結果だったのでしょう。まーったくむなしいですよね。佐藤氏はまだしも、死刑になった夫婦は、その放火で6人の作業員とその家族、1人の消防殉職者を出したくらいです。そしてたかだか1月くらいの浪費と引き換えの死刑判決と執行です。ご当人らは不徳の致すところですが、7人もの犠牲者はまったくもって浮かばれません。