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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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けっきょく自称作曲家氏の存在がそれなりに重宝だったということなのだろう

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だいぶ旧聞ですが、聴覚障害者と称する作曲家が、実は自分では作曲をしておらず、また聴覚障害も嘘である(少なくとも前聾ではない)、ということが報じられました。

その話が報じられた直後、私がネットを検索していたら、次のような記事が目に留まりました。もうちょっと時間が経っていたら、あるいは莫大なネット言説に埋没して発見するにいたらなかったかもしれません。

>2013-04-21

新垣隆Add Startueda_wolfjiangmin-alt

音楽

鬼武者「交響組曲 RiSiNG SUN」初演した時の指揮者、作曲家である。佐村河内守に影響を与え、この頃まで少なくとも親交があった作曲家。

新垣氏が自称作曲家氏のゴーストコンポーザー(「ライター」というより、「コンポーザー」ですよね?)だったということ自体が公知だったとまではいわずとも、新垣氏と自称作曲家氏との関係というのはそうとう業界関係者の間では知られていたということですね。たぶんそのものずばりのことを知っていた人も少なくはなかったじゃないのかなという気がします。何人くらいかはわかりませんが、それなりの数はかならずいたはず。

それで、新垣氏の次のような発言が私は印象に残りました。Wikipediaに発言の要点が収録されていますので、引用します。

>ゴーストライターについて新垣は「私は、お金とか名声が欲しいのではありませんでした。佐村河内の依頼は現代音楽ではなく、調性音楽でしたから、私の仕事の本流ではありません」、「彼の申し出は一種の息抜きでした。あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者だったら誰でもできる。どうせ売れるわけはない、という思いもありました」、「自分が作曲した作品が、映画音楽であれゲーム音楽であれ、多くの人に聴いてもらえる。その反響を聴くことができる。そのことが純粋に嬉しかったのです」などと語っている

私が印象に残ったのは、

>あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者だったら誰でもできる。

というところです。

私は現代音楽なんて何の知識もないし、ほんとごく少数の古典的とでもいうべき現代音楽家の音楽を若干聴いたことがあるだけですが、たぶん

>あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者だったら誰でもできる。

というのは、そっちの方面に詳しい方ならほとんど常識の話なのでしょう。そう考えると、どうもなあです。多くの方が指摘するように、新垣氏の名前で同じ音楽をCDで発売したところで、たぶん売り上げは微々たるものだった可能性が高い。世間はおそらく、これが自称作曲家氏の作曲した音楽だから聴いたのでしょう。それは当たり前な話で、私たちがある曲を聴こうと考える動機は、「バッハの作曲だから」「モーツァルトの作曲だから」「ジョン・ケージの作曲だから」ということが大きいでしょう。実際世界には、それこそ無数といいくらいさまざまな曲があるわけで、それを取捨選択するのに作曲家名というのは最高というか唯一無二のブランドです。音楽の専門家なら古今東西のさまざまなジャンルの音楽を徹底的に聴くというのもありでしょうが(Wikipediaによると、新垣氏はさまざまな種類の音楽を聴かれる方とのこと)、それを一般人に求めるのはお門違いだし、現実的にもそんなにさまざまな種類の音楽を聴くことは難しいし、そもそも膨大な音楽家によって作曲される膨大な曲は、そのほとんどはできばえ以前に私たちの耳に届くチャンスすらありません。

そう考えると、自称作曲家氏の存在は、たいへん音楽界には重宝だったんだなと思います。inti-solさんご指摘のように、音楽界でゴーストが作曲をしているということはそんなにめずらしくないはず。自治体の歌、社歌、校歌のたぐいはゴーストばっかなんて指摘もあります(う! 私の卒業した高校も、歌詞といい曲といい、大先生が作者だぞ。ほんとに大先生が作者だったのか怪しいものです)。自称作曲家氏の音楽は、発表すればそれなりに売れたし人気も高く、演奏もされたのだから、こんなありがたい人物はいないというものです。

当然私もふくめての話で、「いい音楽」「できのいい音楽」というのを一般人が判断するのは不可能ですし、そもそも「いい音楽」より「(自分の)好きな音楽」のほうがたいていの人間にとってははるかに大事です。音楽を聴くというのは、多くの場合趣味ですから、そうである以上自分の好みの音楽を聴きたいのは当たり前です。私はそんなことを判断することはできませんが、カラヤン指揮のベルリンフィルの演奏と、バーンスタイン指揮のニューヨークフィルの演奏のどっちが好きかなんて、最終的には趣味の問題ですから、好きなほうを聴けばいいという話になります。

そう考えると、「いい音楽」と「好きな音楽」といったって、私たちが聴くことができるのは氷山の一角中の一角であり、どれだけ膨大な楽曲が埋もれているのかなと考えます。そんなことを私のような音楽の完全な素人にも考えさせてくれたという点で、今回の騒動もマイナスだけではなかったのかもしれません。

今回の記事は、上にリンクさせていただいたinti-solさんの記事を参考にしました。お礼を申し上げます。


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